第四十七音 六人分の合奏
六人分の音を鳴らす、という言葉は簡単だった。
でも、実際にやってみると、すぐに難しさがわかった。
詠が《祝華》を鳴らす。
桜色の旋律に、紫がかった残響が少し遅れて重なる。
その瞬間、澪の《音幻》が反応した。
結び留める余韻が、詠の残響へ触れる。
琴羽の花桜鍵は、それをほどこうとして柔らかく広がる。
天音の《雷陣》は遅れて返る二拍目に合わせようとして、拍が前に出すぎた。
理央の《幽紫》は新しい基準点を掴もうとして、低音を沈めすぎる。
結果、音は崩れた。
準備室の空気が、ぐにゃりと歪む。
「止め!」
天音が自分で叫び、スティックを止めた。
「今の、俺が走った?」
「私も低音を置きすぎました」
理央が即座に認める。
「詠ちゃんの残響に、みんな一斉に寄りすぎたかも」
琴羽が困ったように笑った。
澪は弦に触れたまま、静かに言う。
「カナミの音を中心にしようとしすぎている」
その言葉に、全員が黙った。
詠は《祝華》を見る。
確かに、カナミの音が宿ったと知ってから、五人はそれを大事にしようとしすぎていた。
消えないように。
壊さないように。
もう一度失わないように。
でも、それでは音が重くなる。
カナミの音を守ろうとするあまり、五人自身の音が縮こまってしまう。
「飾りでも、重しでもない」
理央が呟いた。
「ミヨリが言ってた」
詠が頷く。
「力でもあり、記憶でもあり、問いでもある」
天音が頭をかいた。
「問いなら、答えなきゃって思うけどな」
「すぐ答えなくてもいい問いもあります」
理央が言う。
「今は、問いを持ったまま鳴らす練習が必要です」
琴羽が花桜鍵に触れる。
「カナミさんの音を、わたしたちが正しく使ってあげなきゃって思ってた」
「それも、少し違うかもしれない」
澪が答える。
「正しく使うのではなく、一緒に鳴る」
詠はその言葉を受け取った。
一緒に鳴る。
カナミはここにいない。
でも、音は残っている。
残響は命令ではない。
試験でもない。
五人の音に遅れて重なり、時に痛みを思い出させ、時に消えかけた音を結び留める。
それを、恐れずに合奏へ入れる。
「もう一回」
詠が言った。
今度は、カナミの音を中心に置かない。
五人それぞれが、自分の音を鳴らす。
詠の桜色。
澪の深海藍。
琴羽の春桃。
天音の雷金。
理央の紫。
そこへ、少し遅れて、カナミの残響が重なる。
詠は弾いた。
最初の旋律は、あくまで詠自身の音。
澪はそれを追わず、静けさで空間を開ける。
琴羽は包みすぎず、音の隙間をやわらかく支える。
天音は二拍目を追いかけず、自分の一拍目を確かに置く。
理央は低音を沈めすぎず、五人が立てる高さに基準点を置いた。
すると、カナミの残響は自然に入ってきた。
遅れて、重なる。
消えかけた音を結び留める。
灰をほどく。
二拍目を返す。
根音の奥に、新しい基準を置く。
それは、六人目が主旋律を奪う音ではなかった。
五人の音の後ろで、まだ鳴っていることを知らせる音だった。
準備室の空気が、静かに震える。
ミヨリが譜面台の上で目を閉じた。
「……悪くない」
「ミヨリが褒めた」
天音が小声で言う。
「褒めてはおらぬ。悪くないと言っただけじゃ」
「それ、ほぼ褒めてるよ」
琴羽が笑う。
久しぶりに、準備室に自然な笑いが戻った。
けれど、その笑いの中にも、昨日の重さは残っている。
それでいい。
重さが消えたから笑えるのではない。
重さを抱えたまま、笑えるようになったのだ。
詠は《祝華》をそっと撫でた。
「カナミさん」
返事はない。
でも、残響が一度だけ震えた。
うるさい、と言われた気がした。
詠は笑う。
「うん。練習する」
その時、ミヨリの耳がぴくりと動いた。
表情が変わる。
さっきまでの穏やかな空気が、すっと冷えた。
「ミヨリ?」
澪が聞く。
ミヨリは窓の外を見る。
朝の空は晴れている。
けれど、その奥に、昨日見た黒い細線がまだあった。
「律の傷が、広がっておる」
五人の音が、静かに止まった。
六人分の合奏は、確かに鳴った。
だが、世界そのものの傷は、まだ塞がっていない。
詠は窓の外を見る。
さっきまで、準備室には笑いがあった。
カナミの音をどう鳴らすか、少しだけ掴めた気がしていた。
けれど、窓の向こうに見える空の傷は、その小さな達成感を簡単に塗りつぶすほど大きかった。
「カナミさんの音が宿ったから、終わりじゃないんだね」
琴羽が言う。
「むしろ、始まったのかもしれません」
理央はノートを閉じた。
「今までは、虚音や戦律監のように、現れた敵へ対応していました。しかし律の傷が広がるなら、敵が現れる前から世界そのものが変質する可能性があります」
天音が顔をしかめる。
「面倒な言い方だけど、やばいってことだろ」
「はい」
理央は即答した。
澪が窓際へ歩く。
「でも、今日の合奏は無駄じゃない」
「うん」
詠は《祝華》を抱えた。
「カナミさんの音を受け取った私たちで、次に向かう。その準備は、少しできた」
ミヨリが頷く。
「なら、次は傷そのものを見る」
その声に、五人は自然と背筋を伸ばした。
六人分の合奏で得た小さな確信を持って、五人は準備室を出た。
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