第二十五音 四人の奮闘、澪の答え
澪が崩れたことで、陣形に穴が開いた。
その穴を、ノイズは見逃さない。
黒い音符の群れが、澪へ向かって流れ込む。
「澪は私が守る! みんな、前に出て!」
詠が叫び、ギターをかき鳴らした。
桜色の斬撃が五線譜を切り裂く。だが反転律場の中では、その音さえ歪んで聞こえた。自分の音が自分のものではないような気持ち悪さが、指先から肩まで這い上がってくる。
「気持ち悪くても……鳴らす!」
天音の太鼓が続く。
叩くたびに、響きが歪む。強打したはずの音がやけに薄く、軽く打った音が妙に重く返ってくる。
それでも天音は止めなかった。
「関係ない。リズムは止めない」
打面を叩き続ける。
正しい音色でなくても、拍は刻める。
理央のベースが、低く這う。
反転律場の中でも、最低域の震えだけは比較的乱れにくい。理央はその隙間を見つけ、根音だけを淡々と押さえていく。
「感覚が信用できないなら、構造で補う。ルートがあれば、まだ形は保てる」
「わたしも……!」
琴羽が花桜鍵に触れる。
和音を出そうとして、その不快感に顔を歪めた。けれど、単音ならまだ出せる。
一音。
また一音。
細い光の粒を並べるように、琴羽は音を置いていく。
「一音ずつでいいよね……みんなに、届けるから……!」
四人は戦っていた。
でも、足りない。
澪の深藍の音が抜けた五色ノ契は、どこかで輪郭を失っている。詠の歌は前に出られる。天音の拍は支えられる。琴羽の音は包める。理央の低音は構造を保てる。
それでも、敵の律場を読み、隙間を切り開く音がない。
一方、詠の背後で、澪は膝をついたままギターを見ていた。
——どうして。
——どうして弾けない。
正しいコードを押さえれば、耳が痛む。だったら、正しくないコードを弾けばいいのか。
それは、正しい音楽なのか。
ディストノームの言葉が、頭の中で繰り返される。
律に従う君には、何が正しい音に聴こえる?
——私はずっと、正しさに従っていただけだったのか。
——私の音は、ただ正確なだけで。
——誰かに、届いていたのか。
「澪! 澪、聴こえてる?」
詠の声が、降ってくる。
澪は顔を上げた。
反転律場の中でも、詠の声だけは、痛くなかった。
「聴こえてる」
「なら、よかった」
詠はノイズを斬り払いながら、澪の前に片膝をつく。
「でも、弾けない」
澪は言った。
「どの音が正しいのか、もうわからない」
「わからなくてもいいよ」
「……よくない」
「よくないけど、今はそれでもいい」
詠の目はまっすぐだった。
「ねえ、澪。澪がいつも弾いてくれる音、私、好きだよ」
「……は?」
「理論とか、スケールとか、そういうのじゃなくて」
詠は少し照れたように、でも真剣に続ける。
「澪の音が好き。澪が選ぶ音が好き。あの音聴くと、なんか、背中が伸びる気がする」
「それは……」
「理論でそうなってるわけじゃないじゃん。私がそう感じてるだけ。でも」
詠の声が、黒い五線譜の向こうで確かに響いた。
「それって、嘘だと思う?」
澪は、答えられなかった。
でも、胸の奥で何かが鳴った。
※ ※ ※
※ ※ ※
澪は、詠の顔を見た。
嘘じゃない、と思った。
詠は嘘をつくタイプじゃない。感じたことをそのまま言う。それが詠の音楽でもある。だから澪は、詠の歌が少し羨ましかった。
理論じゃない。
耳じゃない。
でも、届いている。
澪はギターを見た。
反転律場の中で、協和音は不快だ。正しい音は、今この空間では痛みになる。
だったら。
澪の指が、弦に触れる。
正しいかどうかじゃない。
私が、弾きたい音を弾く。
Cメジャー。
耳が痛む。
でも今は、その痛みごと選べる気がした。
この音は「正確だから」選んだのではない。
詠の声に合わせたいから、選んだ。
「……わかった」
澪が立ち上がる。
「律は、耳で決まるんじゃない」
ギターを構え直す。
「誰かに届けたいと思った瞬間に、決まる」
ディストノームが、初めて表情を動かした。
「それが、答えか」
「……それが、私の答えだ」
澪のギターが鳴る。
協和音。
反転律場の中で、本来なら不快なはずの音。
でも澪は、眉一つ動かさない。
「耳が痛い。でも」
スライドが走る。
コードが変わる。
澪の指は迷わない。
「これは、私が選んだ音だ」
詠がマイクを握る。
澪の音に、声が乗る。天音の太鼓が拍を取り戻す。理央のベースが根音を打ち込む。琴羽の単音が、和音へと膨らんでいく。
五人の音が、反転律場の中で鳴り続ける。
歪んでいる。
不快かもしれない。
でも、止まらない。
「これじゃ」
ミヨリが叫ぶ。
「これが祝音の律じゃ! 音楽が美しいかどうかは、耳だけが決めるんじゃない。届けたいと思う心が、決める!」
ディストノームの五線譜が揺らぐ。
「馬鹿な。律場を無視して鳴らし続けるだと」
「無視してない」
澪がディストノームを見据える。
「あなたの律場の中で、ちゃんと聴こえてる。協和音が不快なのも、全部」
その上で、弾いている。
「正しいから弾くんじゃない。届けたいから、弾く」
澪の深藍の律紋が、反転した五線譜の上に広がる。
「それが、律を信じるってことだ」
詠が一歩前に出た。
「怖いよ。まだ、うまく鳴らせるかわからない」
澪が頷く。
「でも、逃げない」
琴羽が春鈴を鳴らす。
「誰かの痛みを、なかったことにしない」
天音がスティックを握り直す。
「黙らされても、叩き返す」
理央が低音を響かせる。
「崩されたなら、もう一度組み直せばいい」
詠はギターを構えた。
「私たちは、完璧じゃない」
五人の声が重なる。
「それでも、五人で鳴らす」
「祝音少女《五色ノ契》」
「奏装!」
反転律場に、五色の光が走った。
※ ※ ※
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