第二十一音 オルタレーター消える、そして
共鳴音がオルタレーターを包み込み、調の狂いを無力化していく。
黒い五線譜がほどけ、舞台の床へ光の粒となって降り注いだ。ずらされていた照明のうなりが元の高さへ戻り、アンプの待機音が、静かな呼吸のように落ち着いていく。
オルタレーターは片膝をついた。
胸の紋章にひびが入り、重なって潰れていた調号が、一つずつ白く消える。
「君たちの音は……調和すらも超えていた、か」
「超えたんじゃない」
詠は息を切らしながら、ギターを構えたまま言った。
「違ってても、一緒に鳴らせるってわかっただけ」
澪が静かに頷く。
「正しい音だけを探していたら、たぶん負けていた」
理央が低く続ける。
「変化を拒む律は、折れる。変化を含めて組む律は、残る」
オルタレーターは、ほんのわずかに笑った。
それは嘲笑ではなかった。
「面白い。ならば、次はもっと深い場所を壊される」
「次?」
琴羽の声が震える。
「調は、音の表面にすぎない。根を失えば、旋律は立てない」
オルタレーターの身体が光にほどけていく。
「戦律監。あれは、君たちの律そのものを問う」
最後の言葉だけが、舞台に残った。
オルタレーターは音の中に消えていく。
空間が静けさを取り戻した。
ざわついていた観客席にも、今は静かな感動の波が広がっている。誰も敵の姿を覚えていない。けれど、崩れかけた演奏が別の響きへ変わったことだけは、確かに胸に残っているらしい。
一拍遅れて、拍手が起きた。
最初は一人。
次に、二人。
やがて、客席全体が音で満ちる。
詠はぽかんとしたあと、ようやく笑った。
「……届いた」
「届いたね」
琴羽が涙目で笑う。
天音はスティックを肩に担いで、照れくさそうに顔をそむけた。
「ま、当然だろ」
「さっきまで一番焦っていたくせに」
「理央、それ言うな」
澪は客席を見つめていた。
拍手の音は、全部同じではない。
速い手。遅い手。強い手。遠慮がちな手。
それでも重なれば、ひとつの音になる。
「……違っていても、鳴る」
澪の呟きは、誰にも聞こえなかった。
ミヨリが五人の前に降りてくる。いつもの軽さは少しだけ消え、表情は真剣だった。
「ようやった。じゃが、これは始まりにすぎん。次に来るのは、もっと根っこを壊す奴じゃ」
「根っこ……」
詠は《櫻音》を見下ろした。
弦はまだ、かすかに震えている。
※ ※ ※
ノイズ本部の会議室。
空気は凍りついていた。
消滅したオルタレーターの残響が、黒い水面のようなモニターに揺れている。誰も声を出さない。小型ノイズたちでさえ、壁際で息を殺すように沈黙していた。
長い黒髪の少女が、静かに口を開く。
「テンポでは壊れず、調でも壊れなかった」
カナミの声は冷たかった。
怒りではない。
失望でもない。
もっと深い、何かを切り捨てた後の静けさだった。
「なら、次は律」
闇の奥から、一つの影が進み出る。
その足音には、響きがなかった。
戦律監。
灰黒の装束をまとったその存在が現れた瞬間、会議室の音がすべて薄くなる。呼吸の高さも、鼓動の間隔も、世界を支える見えない線も、静かに歪められるようだった。
「出ろ、《ディストノーム》」
カナミが言う。
「次は、お前の番だ」
ディストノームは沈黙のまま膝を折る。
「律の再構築。承知した」
暗転。
次なる不協和音が、音もなく始まった。
※ ※ ※
その夜、詠はステージの残響を何度も思い返していた。
オルタレーターの音は消えた。けれど、消えたはずの場所に、まだ何かが残っている気がする。
勝利の余韻だけではない。
敵が最後に見せた沈黙。ミヨリが一瞬だけ見せた硬い表情。理央が戦闘後の記録を読み返す指先の迷い。
全部が、次の音へつながっている。
「終わった、じゃないんだ」
詠は小さく呟いた。
一つの不協和音を越えたからこそ、もっと深い歪みが見えてくる。五人の音が強くなるほど、敵もまた、五人の弱いところへ手を伸ばしてくる。
それでも、詠はギターを手放さなかった。
次に来る音がどれだけ歪んでいても、五人で聴く。五人で鳴らす。
そう決めた夜だった。
※ ※ ※
翌日の音楽準備室で、詠は昨日の戦いをもう一度なぞった。
オルタレーターは消えた。けれど、消えたから終わりではない。敵の音が残していった歪みは、五人の中に小さな問いとして残っている。
「勝ったのに、すっきりしない」
天音が机にスティックを置いた。
理央は頷く。
「敵の目的が、単純な破壊ではなくなってきています。こちらの反応を観察しているようにも見えました」
観察。
その言葉に、詠は背筋が冷えるのを感じた。
誰かが、五人の音を見ている。どこが強くて、どこが脆いのかを測っている。
それでも、詠は昨日の歌を否定したくなかった。
「見られてるなら、もっとちゃんと鳴らそう」
怖さをごまかすためではない。
次に来る敵へ、五人が五人であることを隠さないために。
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