第十八音 響宴の終止符と次なる影
サビの最後で、五人の音が一つの円を描いた。
桜、藍、桃、金、紫。
五色の律紋が舞台全体に咲き乱れ、黒いメトロノームの影を包み込む。
Allegroが拍子木を打つ。
かん。
けれど、もう音は割り込めなかった。
詠の歌声が、澪の静かな和音が、琴羽の春風の旋律が、天音の鼓動が、理央の低音が、拍子木の乾いた音をやわらかく押し返す。
「Re:Tune——!」
五人の声が重なった。
音の輪が広がる。
小型ノイズたちは、黒い粒子をほどくように消えていった。雑音体テンポスナッパーたちも、均一だった足並みを失い、ひとつ、またひとつと膝をつく。
それは破壊ではなかった。
乱された拍が、本来の呼吸へ戻っていく。
速くされた心臓が落ち着き、遅らされた涙がこぼれ、閉じ込められていた空気が窓辺へ流れる。
戦場だった音楽室に、夕方の光が少しずつ戻ってきた。
「う、うわああぁっ!? 何なんだこの同調率はッ!」
戦律監《テンポスナッパー・Allegro》が耳を押さえ、膝をつく。
仮面に亀裂が入った。胸のメトロノームの紋章が、かすかに白く焼ける。
だが、その目にはまだ敗北を認めぬ色が宿っていた。
「……なるほど、貴様らが例の五人か。これは……想定以上、だが——」
Allegroは指揮棒を床に突き立てた。
黒い霧が足元から吹き上がる。
「今回は撤退する。けれど、覚えておきなよ。テンポを取り戻したくらいで、音楽を取り戻した気になるな」
「逃げるの?」
天音が一歩踏み出す。
Allegroは薄く笑った。
「違うね。次の曲へ移るだけさ」
黒い霧が、その身体を包んでいく。
「君たちの音は、まだ借り物だ。誰かの期待、誰かの傷、誰かの記憶。自分のものだと思った瞬間に、別の手が調を変える」
詠はギターを握りしめた。
その言葉の意味は、まだわからない。
でも、嫌な響きだけが胸に残った。
「じゃあね、祝音少女《五色ノ契》。次は、調を奪われないように」
Allegroは残響の中に消えるように、ノイズの波とともに撤退した。
空間に残されたのは、沈黙。
そして、微かな風の音。
五人は、汗をぬぐいながら顔を見合わせた。
「……終わった?」
「終わった……と思う」
詠が笑い、澪が肩をすくめる。天音がスティックを掲げ、琴羽が「やったぁっ」と小さく跳ねる。
理央だけは、Allegroの消えた場所を見つめていた。
「次は、調を奪われないように……」
「理央?」
「いいえ。ただ、今の言葉は覚えておいた方がいい」
澪も、小さく頷いた。
「テンポの次は、調」
詠の背筋に、冷たいものが走る。
勝った。
確かに、勝ったはずだ。
けれど、音楽室に戻った夕焼けの中で、次の不協和音だけが、まだ消えずに残っていた。
※ ※ ※
ノイズ本部の薄暗い会議室。
Allegroが膝をついていた。
仮面の亀裂から、黒い粒子がこぼれている。さっきまでの軽薄な笑みは消え、代わりに苛立ちと屈辱が滲んでいた。
「……想定より、連結が早い。五色ノ契は、もう初期同期を越えています」
その報告を聞いても、長い黒髪の影は動かなかった。
カナミ。
彼女は薄暗い席に座ったまま、Allegroを見下ろしていた。その目には怒りも焦りもない。ただ、遠い昔に聞いた音を思い出すような、冷たい静けさだけがあった。
「テンポでは、壊れなかった」
カナミが言う。
「なら、次は調」
背後の闇から、一人の影が進み出る。
音の高さが、そこだけわずかに歪んだ。
戦律監。
その存在が現れた瞬間、会議室の空気が別の調へ塗り替わる。
「……私が行こう」
低い声が響いた。
カナミは、視線だけを向ける。
「変えなさい。あの子たちが、自分の音だと思っているものを」
オルタレーターは静かに頷いた。
「承知した」
静寂。
だが、次なる戦いの鼓動は、確かに鳴り始めていた。
※ ※ ※
騒ぎが収まったあとの音楽準備室は、妙に広く感じられた。
詠はケースに収めた《祝華》を膝に乗せ、まだ指先に残る熱を確かめる。ライブの高揚は残っている。けれど、その奥に、敵の音が置いていった冷たい棘も残っていた。
「勝った、んだよね」
琴羽の言葉に、誰もすぐには頷かなかった。
勝った。確かに勝った。
でも、今日の敵はただ音を壊しに来ただけではなかった。こちらの音を測り、揺さぶり、奪えるものを探していた。
理央が静かにノートを閉じる。
「次は、もっとこちらを理解した上で来るはずです」
その言葉で、浮かれていた空気が少しだけ引き締まった。
五人で鳴らす音は強い。だからこそ、狙われる。
詠は《祝華》を抱きしめ、音楽祭の終わりに残ったその予感を、胸の奥へしまい込んだ。
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