第十七音 祝装起動、ライブバトルへ
雑音体の群れが走り出した。
椅子を蹴り、譜面台を跳び越え、床に落ちたメトロノームの影を踏み鳴らしながら迫ってくる。黒い輪郭は細く、速い。けれど、全員が同じ拍で動くせいで、ひとつの巨大な生き物のように見えた。
「散開!」
理央の声で五人が動く。
だが、足が揃わない。
詠が右へ跳んだ瞬間、天音は前へ出ていた。琴羽は詠を支えようとして半歩遅れ、澪の身体だけが場のテンポから取り残されたように静かに沈む。
「っ、危ない!」
黒い影が琴羽の背後に回り込む。
天音がスティックを抜いて床を叩いた。雷のような衝撃が走り、雑音体を吹き飛ばす。けれど、衝撃の余波が詠の足元にも届き、詠の体勢が崩れた。
「ごめん、詠!」
「ううん、こっちこそ合わせられなくて……!」
「合わせようとしすぎるから遅れるのよ」
理央がベースケースを開く。弦に触れる前から、紫の律紋が指先に浮かんでいた。
Allegroが肩をすくめる。
「変身前からこの乱れ。いいね、記録する価値がある」
「記録なんて、させない」
澪が一歩前に出た。
その声は小さかった。けれど、音楽室に落ちた余計な拍を、一瞬だけ押し止めた。
詠は息を吸う。
怖い。
また、自分だけが走ってしまうかもしれない。誰かの音を置き去りにしてしまうかもしれない。
でも。
置き去りにしたくないから、鳴らすのだ。
「……やるしかないね」
詠がギターを構える。
「ひとりじゃ届かない音でも」
澪が《音幻》を手に取る。
「重ねれば、形になる」
琴羽が鍵盤に指を置いた。
「傷ついた心にも、春は来る」
天音が二本のスティックを交差させる。
「止まった鼓動は、もう一度鳴らせる」
理央が低く弦を鳴らした。
「乱れた律は、私たちが整える」
五人の足元に、五色の律紋が咲く。
詠はAllegroを見据えた。
「響け、五色ノ祝音」
五人の声が重なる。
「私たちは、音を諦めない」
詠が叫んだ。
「祝音少女《五色ノ契》、奏装!」
桜色の律紋が舞い、詠の髪がふわりと跳ね上がる。祝具《櫻音》が起動し、赤と白の光が彼女の身体を包んだ。袖口に桜の刺繍が走り、ギターの弦が明るく震える。
「さあ、目を覚ましてよ——あたしたちの音で!」
深藍の光が澪を包む。《音幻》から放たれる軌跡が空間の歪みを裂き、静かな祝装が彼女の呼吸に合わせて揺れた。
「……この音だけは、渡さない」
桃色と淡緑の風が舞う。琴羽の花桜鍵が空を駆け、春鈴が小さく澄んだ音を鳴らした。
「みんなに届いて……風のメロディ!」
雷のような太鼓が轟き、天音の祝具《雷陣》が金の火花を散らす。彼女は笑い、迷いごと床を踏み抜くように構えた。
「鼓動、解き放つ。ぶち抜くよ!」
紫の紋章が浮かび、理央の瞳が鋭く輝く。重低音とともに《幽紫》が唸りを上げ、戦場の底を固定する。
「律はわたしが制する。誰にも触れさせない」
五人の姿が、一閃の光とともに戦場を彩った。
祝音少女《五色ノ契》、ここに顕現。
ノイズ陣がざわめく。
「完全に特異音域です!」
「新人のはずが、こんな高密度……!」
Allegroが鼻を鳴らす。
「やれやれ。じゃあ、こちらも正規シーケンスで迎えようか」
かん。
拍子木が鳴る。
今度の一拍は、戦闘開始の合図だった。
※ ※ ※
※ ※ ※
空間を切り裂くように、ノイズの群れが突進してくる。
拍子木のリズムに導かれ、雑音体テンポスナッパーたちは均一のステップで迫った。まるで訓練された兵隊のように、足音も、腕の振りも、影の揺れ方さえ同じだった。
「行くよ——音を、響かせるの!」
詠がコードをかき鳴らす。
桜色の音波が前方へ弾け飛び、先頭の雑音体を切り裂いた。けれど二体目、三体目がすぐ後ろから飛び込んでくる。詠が次のコードへ移ろうとした瞬間、拍子木が鳴った。
かん。
弦を弾く指が、半拍遅れる。
「っ!」
詠の音波は敵の肩をかすめ、壁に散った。
「BPM:変動。君の攻撃、さっきより遅いね」
Allegroは指揮台のように浮かぶ黒い足場の上で笑っていた。
澪が前に出る。深藍の音壁が展開され、詠に迫ったノイズを押し返した。澪の周囲だけが異様な静寂に包まれ、拍子木の干渉がわずかに鈍る。
「詠、呼吸」
「うん!」
天音の二本のスティックが雷鳴のように唸った。地を揺らすビートが床を走り、敵の陣形を崩す。
「まとめて吹っ飛べ……雷陣ッ!」
だが、Allegroが指揮棒を横へ払う。
天音の打撃音が、途中で伸びた。強すぎる一拍が間延びし、雷の軌道が雑音体の群れを通り越して壁を叩く。
「ドラムの子。勢いはいいけど、速さだけなら僕の管理下だ」
「ああ!? 管理とか言うな、むかつく!」
天音が歯を食いしばる。
理央のベースが低く鳴った。
重力を感じさせる音が、戦場の底を押さえる。床に広がる紫の律紋が、メトロノームの影を一瞬だけ縫い止めた。
「テンポは数字ではない。場を支える関係性よ」
「へえ、いいこと言う。でも、関係性ほど壊しやすいものはない」
Allegroの拍子木が三度鳴る。
かん、かん、かん。
詠は速く、澪は遅く、琴羽はその中間へ引きずられた。三人の音の間に、目に見えるほどの隙間が生まれる。
その隙間へ、小型ノイズが入り込んだ。
「させないっ」
琴羽が花桜鍵に触れた。桃色の風がふわりと舞い、仲間の足元に小さな春鈴の音を置いていく。
それは正確なメトロノームではなかった。
少し揺れている。少し頼りない。けれど、誰かが迷ったときに戻れる、小さな目印だった。
「みんな、同じ速さじゃなくていいよ! でも、聞こえる場所にいて!」
その言葉に、詠の胸が熱くなる。
同じにすることが、揃うことじゃない。
隣の音を聞くこと。
遅れたなら待つこと。走ったなら振り返ること。違う速さで進んでも、同じ場所へ向かうこと。
「そうか……」
澪が呟いた。
「拍を合わせるんじゃない。互いの音を、見失わない」
五人が戦場の中央に集う。
Allegroが仮面の奥で目を細めた。
「まだ歌う気? 君たちのテンポは、もう僕のものだよ」
詠は首を横に振った。
「違う」
桜色の光が、ギターの弦に集まる。
「これは、誰かに決められる音じゃない」
澪が静かに続ける。
「これは、わたしの音」
琴羽が春鈴を鳴らす。
「でも、ひとりぼっちの音じゃない」
天音がスティックを肩に担いだ。
「止められても、また鳴らす」
理央が低音を響かせる。
「乱されても、組み直す」
五人の律紋が円を描いて輝く。
「五人そろって——」
「「「「「祝音少女《五色ノ契》!!」」」」」
Allegroが拍子木を振り上げる。
「なら、証明してみなよ。君たちの音が、本当に君たちのものだって」
詠はマイクを握りしめ、息を吸った。
「……きいてください。私たちの思い——《not yours, not yet》」
曲が、鳴り響いた。
*
not yours, not yet——まだ誰のものでもない。
でも私たちで奏でたい、一人じゃ届かない旋律を。
交わる瞬間にだけ、始まる奇跡がある。
私たちの音で、未来を震わせたいんだ。
*
詠の歌声が、戦場の中心に立つ。
澪のギターが、その声の輪郭を深く支えた。琴羽の鍵盤が風のように隙間を満たし、天音のドラムが心臓の奥を叩く。理央のベースが、すべての音の帰る場所を示す。
AllegroがBPMを上げる。
曲は壊れない。
AllegroがBPMを落とす。
曲は止まらない。
五人の音は、ひとつの速さに閉じ込められていなかった。速くなった詠を澪が受け止め、遅れた琴羽を天音が押し上げ、揺らいだ全員を理央の低音が繋ぎ直す。
「な……なんで崩れない!?」
Allegroの声が初めて乱れた。
詠は歌いながら、笑った。
崩れないんじゃない。
崩れても、また繋ぐのだ。
五人の音が溶け合い、ノイズの陣形が揺らぎ始める。
黒いメトロノームの影に、細かなひびが入った。
※ ※ ※
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