表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/60

第十二音 音が揃わない、テンポを喰らうもの

 五人での初めての演奏は、思っていたよりもうまくいかなかった。




 音は出ている。合わせているつもりだった。


 でも、どこかがずれていた。




 天音の太鼓が走り気味になる。


 それに引っ張られまいと、理央のベースがテンポを引き戻そうとする。


 その綱引きの中で詠は歌に集中できなくなり、琴羽は空気を読んで音量を落とし、鍵盤が他の音に埋もれていく。


 そして澪は――黙ったまま、ギターを弾き続けていた。




「……やり直そう」




 詠の声は、どこか乾いていた。




 誰も反論しない。


 ただ、誰も動かなかった。




 音楽室に沈黙が満ちる。


 さっきまで音があった空間が、余計に広く感じられた。




(なんで、こんなに難しいんだろう)




 詠は《櫻音》のネックをそっと握り直した。


 一人で弾いているときは、こんな気持ちにはならない。


 でも、五人になった途端、音が言うことを聞かなくなる。




 人が増えるほど、音が遠ざかる気がした。






 練習の後、旧演奏棟の裏手。




 天音は一人で太鼓の手入れをしていた。


 撥の先を丁寧に確かめ、打面の張り具合を指で叩いて確かめる。


 こういう時間が、天音には必要だった。音を出した後は、静かに道具と向き合う。それが彼女のやり方だった。




「……走ってたわよ、今日」




 無言で理央が隣に立った。




 天音は手を止めなかった。




「わかってる」




「わかってるなら、なぜ直さないの」




「言われたから直す、っていうのが苦手なんだ」




 理央が少し黙った。




「……もっと周りを見ろって言いたいんだろ?」




 天音が先に続けた。


 先手を打つように。言われる前に言ってしまうように。




「そんなことは言わないわ」




 理央の声は冷たかった。でも怒っているわけではなく、ただ事実を述べているような静けさだった。




「ただ、音が揃っていない。それだけ」




「じゃあ言えよ。合わせろって」




「言ったら、合わせてくれるの?」




 天音は口をつぐんだ。




 理央も何も言わなかった。




 風が吹き抜ける。夕暮れの風は、少しだけ湿っていた。


 旧演奏棟の蔦が揺れる音だけが、二人の間を流れていった。




 幼い頃はこんなじゃなかった、と天音は思う。


 口で言わなくても、太鼓とベースが勝手に会話していた。


 言葉がいらなかった。




 でも今は、音まで噛み合わない。




(何が変わったんだろう)




 答えは出なかった。




 ※ ※ ※




 翌日の放課後。




 五人は再び音楽室に集まり、練習を再開しようとしていた。




 昨日の空気は、まだ部屋の隅に残っている。




 譜面台の位置。椅子の向き。アンプの待機音。どれも昨日と同じはずなのに、誰も最初の一音を出せない。




「昨日より、合わせる意識で行こう」




 詠が言う。




 みんな頷く。でも表情は硬い。




 天音はスティックを指先で回している。理央はベースのチューニングを何度も確認している。琴羽は鍵盤の上に手を置いたまま、押す前に迷っている。澪は黙ってギターを構えていた。




 詠は息を吸った。




「じゃあ、いくよ」




 最初の一音を出した瞬間、違和感が走る。




 テンポが、ない。




 正確には、誰かが出しているテンポはある。天音の拍も、理央の低音も、詠のコードも鳴っている。




 けれど体が乗れない。




 まるで足元の地面が、一拍ずつ後ろへ滑っていくような感覚だった。




「……おかしい」




 澪が呟く。




 その声に応えるように、窓の外から黒い霧が忍び込んできた。




 霧は五線譜のように細く伸び、床を這い、音楽室の中心で人型を作る。




 拍子木を手にした影。




 《テンポスナッパー》。




 BPMを狂わせる雑音体級のノイズ。




 拍子木を一打するたび、空間のテンポが微妙にずれる。ずれは小さい。けれど積み重なると、演奏の足場そのものを崩していく。




「ノイズ……!?」




 琴羽の声が震えた。




「来た……!」




 詠がギターを構える。




「奏装、起動——祝・華!」




 桜色の光が弾け、詠の祝装が展開される。続けて澪、琴羽、天音、理央の祝具が応じ、五色の律紋が音楽室に咲いた。




 けれど、変身したからといって、ズレが消えるわけではない。




 テンポスナッパーが拍子木を打つ。




 かん。




 詠のギターが半拍早く鳴った。音波はノイズの肩をかすめ、壁に散る。




「くっ、タイミングが……」




 理央がベースでテンポを保とうとする。しかし空間ごとスライドしていく錯覚が、指の動きを狂わせた。




「基準拍が固定できない。これでは構造が組めない」




 天音が踏み込む。




「だったら、でかい音で押し返す!」




 雷の打撃が床を揺らした。だが次の瞬間、拍子木の音が割り込む。天音の一撃は、思った場所より半歩遅れて炸裂した。




「叩いてるのに追いつけない……!」




 ドラマーにとって、それは自分の心臓を他人に握られるような不快さだった。




 琴羽は鍵盤の上で指が止まる。




 どの音が正解かわからない。和音を押さえても、空間の中でそれが正しく響く前に、別の拍へ引っ張られる。




「みんなに合わせたいのに……合わせる場所が、ない」




 五人の演奏が、ばらばらに崩れていく。




 テンポスナッパーは何も語らない。




 ただ、拍子木を鳴らす。




 かん。




 また一拍。




 それだけで、五人の焦りが少しずつ増幅される。




 詠は歌おうとした。




 けれど、喉が開かない。




 どこに声を乗せればいいのか、わからない。




 そのとき。




 澪が、ギターを構えたまま音を止めた。




 ふっ、と。




 まるで風が止むように、静かに。




「澪?」




 詠が呼ぶ。




 澪は答えない。




 ただ、ノイズの拍子木を一度だけ見て、踵を返した。




 そして無言のまま、音楽室を出ていった。




「澪!」




 返事はなかった。




 残された四人の音は、さらに不安定に揺れた。




 テンポスナッパーの拍子木が、また鳴る。




 かん。




 まるで、逃げ場を失った心臓を数えるように。






少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ