表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/60

第十一音 対峙と共鳴、式部理央の覚悟

「……また、音をやるつもり?」




 天音が先に口を開いた。




「やってる。『また』じゃない」




「……そうか」




「あなたは?」




「声が聞こえた。来た」




 理央が少しだけ目を細めた。




「相変わらず、言葉が少いのね」




「……理央こそ」




「わたしは必要なことしか言わないの。それはあなたも同じでしょう」




 詠は二人のやりとりを見ながら、なんとなく、これがこの二人の「普通」なんだと感じた。険悪ではない。でも柔らかくもない。言葉は少ないけれど、通じ合っている何かがある。




「理央」




 天音がもう一度、名前だけ言った。




「わかってる」




 理央はそれだけで、詠たちの方へ目を向けた。




「あなたたちが、天音の言う『五人』?」




「そう! 花咲詠です。ギターボーカルで――」




「知ってるわ。旧演奏棟から音がしていたもの、ずっと」




 詠は少し驚いた。




「聞こえてたの?」




「この学院で、祝音の気配を持つ者が動けば、わかる。……もっとも、わたし自身もそうだと気づいたのは、最近のことだけど」




 理央はベースを構え直した。




「確かめさせて。あなたたちの音が、本当に『届く』かどうか」




 その瞬間、足元から這い出すようなノイズが、ホールの壁を這い始めた。




「虚音……!」




 ミヨリが警告を発する。




「理央がここで音を鳴らしたせいで、ヤツらが寄ってきた!」




「ふぉっふぉ……いや、それもまた運命の音じゃ」




 黒いノイズは、ただ這っているだけではなかった。




 床に刻まれた五線のような影が、ぐにゃりと曲がる。


 壁に反響していた音が、半音だけずれた。




 詠が思わずギターを鳴らす。




 けれど、出た音は自分の指の形と合っていなかった。




「えっ、今の……違う!」




 澪がすぐに弦を押さえる。


 藍の波紋が床を走ったが、途中でねじれ、別の方向へ流される。




 琴羽の和音が濁った。


 天音の太鼓の拍が、一拍だけ沈む。




「テンポじゃない」




 理央が静かに言った。




「根音が、ずらされている」




 歪律系の虚音。




 音の高さそのものではなく、音が立つための土台を崩してくる敵。




 詠たちの音は出ている。


 でも、立つ場所がずれている。




 だから、届かない。




 理央はノイズの中で一歩も引かなかった。


 ベースを低く構え、一音、叩きつけた。




 重い。




 詠はそれを体で感じた。音というより、圧力のような。空間ごと揺さぶるような低音。




(これが……ベースの『重さ』)




 天音が言っていた言葉が、一瞬でわかった。




 理央の低音が、床に杭を打つように響く。




 ずれていた五線の影が、そこで一度止まった。




「今」




 理央の声。




 短い。でも、全員に届いた。




 詠はギターを構えた。澪が音を重ねる。琴羽の鍵盤が空間に広がる。天音の太鼓が炸裂する。




 そして、理央のベースがその全部を底から支えた。




 五つの音が、初めて揃った。




 虚音の波が押し寄せる。




 また根音がずらされる。


 詠の旋律が浮きかける。




 そのたびに、理央のベースが底へ引き戻した。




 澪の波紋がまっすぐ伸びる。


 琴羽の和音が濁らず広がる。


 天音の太鼓が、今度は沈まずに前へ出る。




 今度の音には「底」があった。崩れない。


 理央の音が、全員の音場を一点につなぎ止めていた。




「まだ、終わらない……!」




「……届いたわ」




 理央が小さく呟いた。




 それは、詠たちの音に向けた言葉だった。


 同時に、自分自身へ向けた言葉でもあった。




 証明できるから意味があるのではない。


 届いたから、今ここに意味が生まれた。




 次の瞬間、一撃の低音が、虚音の中心を打ち抜いた。




 黒いノイズが砕け散る。


 音が、沈黙を取り戻す。




 ※ ※ ※




 崩れ落ちるように、理央が一歩下がった。


 詠が駆け寄り、そっと手を差し出す。




「……わたしたちと、音を重ねてくれる?」




 一瞬の沈黙。


 理央の目が、詠の顔を、澪を、琴羽を、天音を、順に見た。




 そして、手を取った。




「音が、導いたのなら。……それに従うまでよ」




 五人目の契が、今、結ばれた。




 ミヨリがくるくると宙で回る。




「五色の音、ここに揃ったり! これで『五色ノ契』は完成じゃ!」




「……うるさい」と天音。




「わたしも同意見」と理央。




 詠は思わず笑った。


 このふたりは、やっぱり息が合っている。




 ※ ※ ※




 夜の帳が下りた神響の街。




 理央の部屋は整然としていた。


 書棚と譜面棚。窓際の譜面台。余計なものがない。


 散らかりはなく、すべてが機能的に並んでいる。




 その静けさは、式部家そのものに似ていた。




 大学教授の父は「音は学問である」と言う。


 音楽評論家の母は「音は教養である」と言う。


 だから理央も幼い頃から、音楽理論と歴史と批評の言葉を学んできた。




 でも今夜、理央はただベースを弾いていた。




 理屈ではなく。評価のためでもなく。


 ただ、弾きたいから弾いた。




「……確かに、響いたわ。あの子たちの音」




 低い声に、微かな揺れが混じった。




 詠の真っ直ぐな視線。


 澪の静かな気配。


 琴羽の柔らかな音色。


 天音の熱い鼓動。




 そして自分自身の、低く深い、支える音。




「支配ではなく、調和……か」




 理央はもう一度、弦を鳴らした。




 今まで「音で場を制する」ことが理央の音楽だった。


 場を整え、秩序を作り、乱れを正す。




 でも今日の演奏は違った。


 五人の音が重なったあの瞬間、理央は「制していた」のではなく、「一緒にいた」。




 その違いが、じんわりと胸に残っていた。




 月明かりの下、ベースの弦がもう一度、そっと鳴る。


 それは誰に聴かせるでもない、心の中の音合わせ。




 幼い頃、天音と音を出していたあの部屋の感覚に、少しだけ似ていた。




 ※ ※ ※




 同じ頃。




 学院の古い桜の枝の上で、ミヨリは夜風に尾を揺らしていた。




 五つの音が、揃った。




 詠の桜。


 澪の藍。


 琴羽の春。


 天音の雷。


 理央の紫。




「……ようやく、ここまで来たのじゃな」




 ミヨリは小さく目を細める。




 喜びだけではない。


 その横顔には、どこか遠い昔を思い出すような影があった。




「かつて、同じように五人が揃ったことがあった」




 誰に聞かせるでもなく、ミヨリは呟く。




「じゃが……」




 その先の言葉は、夜の風に消えた。




 神響の空に、五つの音の残響がまだ微かに残っている。




 けれど、その奥で。




 ほんの一瞬だけ、別の弦が震えた気がした。






少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ