2-22.収束
まるで昨日までの騒ぎが嘘だったように静まり返っている。
これだけの生徒がいるのに学院は静寂に包まれていた。
そして、ソフィアの噂は跡形もなく消えたのだった。
即日、親世代に話が伝わるようにリュシオール達が手をまわした結果だった。
保護者達は最初は軽くとらえていた。
子供たちの憂さ晴らしや嫉妬からくる、よくある噂話に過ぎないと。
よくよく聞くと、それに巻き込まれたのは、第二王子殿下、レッチフィル辺境伯令息、フィネス家公爵礼令息。
あまりにも高位貴族の名が並んでいた。
何人もの生徒が学年問わず親に呼び出された。
早退させられる生徒が続出する。
関わっていないか、何をしたのか。
家に不利益が出ることをしていないか。
貴族社会では、家の名誉が最優先である。
王族や高位貴族に不敬と取られれば家は没落する。
万が一の時、子供を切り捨てる事も厭わない。
二度と余計な噂を流すな。家を危険に晒すな。
もし、訴えられたら家籍から除名して貴族籍から抜けてもらう。
脅しに近い警告を受けていた。
誰も話題にしない、誰も触れない。
まるで最初から、そんな事実なかったかのように。
ソフィアが教室に入ると、ロザリーが真っ先に駆け寄ってきた。
昨晩、シャルロット様からロザリーの説明を受けている。
前期試験終了までは、一緒にいてくれるそうだ。
護衛なのに、守られてばかりで情け無い。
ソフィアは少しだけ目を伏せた。
昨晩シャルロット様は深く頭を下げて謝罪された。
噂の元凶は自分にあると。
ソフィアを標的にされたのは、私の落ち度だと痛々しいほど落ち込まれていた。
シャルロット様は何も悪くない。
状況把握せず、報告義務を忘れ、自身にしまい込んだ自分が悪い。
ロザリーの後ろから、数人の生徒がそっと近づいてきた。
噂に加担することなく、心配そうな視線をくれていた生徒達だった。
「私達、謝りたいのです。何もできなくて申し訳なくて。」
昨晩のシャルロット様の言葉が、胸に蘇る。
ただの傍観者であっても、結果として加害者側にたっているんだ。
厳しく、正しい。
その言葉は、ソフィアの心の奥深くを揺らした。
家格や立場があれば、声を上げることすら難しい。
今ならその事情が理解できる。
けれど、理解できるからと言って痛みが消えるわけではない。
苦しくて、孤独で、ただ痛かった。
ないまぜの気持ちになる。
それでも。
「謝罪の気持ちは、受け取ります。でも、一つだけお願いがあります。
もし、誰かがひとりで苦しんでいるのを見かけたら、どうか、その孤独に気づいてあげてほしいのです。
声をかけるだけでもいい。
ほんの小さな言葉でも、人は救われることがあります。」
この数ヶ月、あまりにも心が擦り切れてしまいそうだった。
だからこそ、誰か一人にでも届いてくれたらばとの願いだった。
その一方で、教室には別の集団がいた。
噂を楽しんでいた生徒達だ。
彼らはソフィアに近づけない。
ロザリーが、謝罪に来た生徒を誘導し、自然にソフィアを守るように他者を拒むように静かな輪を形成させていた。
今更近づくなと言わんばかりに。
胸の奥がジクジクする。
家からは、必ず許されてこいと圧力がかかっている。
その重さが、彼らの背中にのしかかっていた。
ソフィアは彼らに一切目を向けなかった。見えない境界線が引かれている。
その線の向こう側で、彼らはようやく自分のしたことの重さを理解し始めていた。
…そしてあの日を境に、ソフィアはやっと普通に息ができるようになった。
帰りの馬車に乗り込むと、ふっと長い息がもれる。
通学の馬車での送り迎えを、ソフィアは護衛だからと頑なに固執して拒否していた。
しかしシャルロット様に『頼れ』としっかりと叱られた。
あの日から、誰かに守られることを拒まなくてもいいのだと、少しずつ思えるようになってきている。
もし最初から頼って相談していたら、リュシオール様達が出てくるような騒ぎになっていなかったかもしれない。
そして、シャルロット様は静かに語った。
「ソフィア。この世界の狭い集団のなかでは、どうしようもならないことがあるんだよ。
耐えきれず逃げることは恥でも何でもない。その世界はここだけではないのだよ。」
ゆっくりと目を向けられる。
「生き延びようと、自分を守るために逃げたなら誇っていい。
自分自身を生かそうとした人間には、それだけで価値があると私は思うんだ。」
ソフィアが壊れてしまわなくてよかったと、シャルロットはそっとソフィアを抱きしめた。
いろいろと後悔は残るが、解決したおかげで今は前だけを見られる。
しっかり知識を身につけて、シャルロット様を追いかけたい。
学院では前期テストの準備が本格的に始まり、ソフィアはようやく集中して勉強に取り組めるようになった。
ロザリーさんと周囲の生徒たちも、あの日以来ずっとソフィアの近くにいてくれる。
その温かさは、ありがたくもあり…。
そして、気になることがひとつあった。
あの日以来、サランさんと話す機会がほとんどなくなってしまった。
成績優秀なサランさんは、いつも誰かに話しかけられていたり、ノートを見せたり、教えを請われている。
あの輪に入っていき、いきなり話しかけることなど私にはできない。
胸の奥で、そっと小さな棘のように残っている。
前期試験日の朝の学院は、いつもと様相が違っていた。
それぞれが己と向き合い、ひとつでも知識をとどめようと、ぎりぎりまで参考書を開く者、唱える者、気持ちを落ち着けようと深呼吸する者。
その姿は、どれも切実で、真摯で美しかった。
3日間の試験日程である。
ソフィアの受ける教科は1日目に集中していた。
試験官が静かに告げる。
「始めてください。」
ソフィアは問題を見た瞬間確信した。ペン先が迷いなく走る。
飛び級者の結果が張り出される日、いつも以上にざわめきと緊張が混じりあっていた。
掲示板の前には人だかりができ、紙を見上げる生徒達の息遣いが、さらに空気を張り詰めさせていた。
ここに名前が記載されていれば、一週間後に行われる飛び級試験の受験資格を得たことになる。
名がなければ先生から成績表を受け取り、不可が付いていなければ夏休みだ。
クラスごとに掲示されており、最初の欄には、すでに実技試験のみで飛び級を果たしている、アルフレッド様、ピエールさんの名が
並んでいた。
続いてロザリーさん、そして私、シャルロットの名があり安堵する。
すぐその下には、ウィルナさんと、あと二人の名が記載されていた。
しかし、サランさんの名はなかった。




