1-3.境界線
王都に構える辺境伯の屋敷へ、ゆっくりとなめらかに馬車が止まった。
カチッと馬車のノブ音が聞こえると共に、アルフレッドの様子が瞬時に変わる。
辺境の領地より共に付き添ってきた執事のブルイが馬車の扉を開けた。
爽やかな風がすっと入ってくる。
「おかえりなさいませ。アルフレッド様。」
銀色の髪をすっきりと後ろに束ね、銀縁の眼鏡が切れ長の濃い灰色の目と相まって全体的にエレガントで美しい。
できる執事を体現したようなブルイが、軽く腰を曲げ出迎える。
「領地より手紙が届いております。ご要望されていた資料等は執務室にご用意しております。」
低めだが聞き取りやすい声で、ブルイは半歩先行くアルフレッドのマントを受け取りながら話す。
アルフレッドからの指示を受けながらも、侍女達にも目で次々と指示をとばし場を整えていく。
卒なく手早く手配するブルイに任せておけば、何事も上手くいく。
辺境伯家の皆が信頼を置く、安心感満載の執事ブルイなのである。
アルフレッドはグリード達と屋敷のエントランスで別れ、自室に戻ると湯を浴び自身で着替えをする。
辺境伯家では全ての生活を一人で行い、生き抜けるように幼いころから教育されている。
そのため、アルフレッドは身の回りの世話を侍女には手伝わせない。
身支度を整えると、アルフレッドは速やかに執務室へと向かった。
ブルイが仕分けしてくれた報告書や領地からの手紙にざっと目を通し、急ぎの重要案件がないと分かると軽く息を吐いた。
ドアのノックがして、ティーワゴンを引いたブルイが執務室へ入室する。
ブルイは王都寄りにある辺境領地のギオール子爵家の三男である。
その昔、辺境地の子供達の集まりで、一人達観した佇まいをしていたのをお父様とその友人が気に入り近づいたらしい。
周りの者が嫌味に感じるくらい、先回りして考えて行動してしまうブルイに、我が家の執事にならないかと満面の笑顔でお父様が声をかけて我が家に来てもらったそうだ。お父様お手柄である。
ブルイは簡潔にいくつかの確認事項を話し、まとめてあった書類の補足説明した後、手際よく紅茶と軽食をテーブルに用意し退出した。
アルフレッドは礼を述べ、ひと時の休息だとソファーに深くかける。
長い足を軽く組み菫色の髪のリボンをシュッとほどくと、波がかった髪がふわりと肩に落ちた。
すっきりとした首には、幅のある白い繊細なレース編みのチョーカーを付けている。
ヘキサゴンカットの青みがかった宝石が首元で揺れ、キラリと光った。
それを左手で丁寧に包み込み1.2.3...心を落ち着かせ、長めの息を吐く。
最早、日課となってしまっているなとククッと喉がなる。
リュシオール様達も変わりなさそうだったなぁと、より深く身も思考も沈んでいった。
◆◆◆
その時は突然やってきた。
ダンダン、ダンダンダンダン。
侍女とソファーでお喋りしながら、チマチマと最近流行りの編み込み紐を編んでいた。
そこに、突然強めのノックが聞こえてビクッとする。
ノックするというよりも、激しく叩いているようだった。
何事かと、急いで侍女が扉に近より声をかける。
「アル様は、いらしておりませんか」
グリードの焦った声が扉の向こうから聞こえた。
私は侍女に入室許可の合図を送ると、いつも冷静沈着なグリードが勢いよく入ってきた。
ハァハァと肩で息をしながら室内をぐるりと見渡す。
「アルフレッド様は、いらしておりませんよ。
グリード、いつからアルフレッド様が見当たらないのですか?」
侍女のメイテアは、落ち着いて答えた。
メイテアは私付きの侍女でありグリードの姉だ。
くりくりした目と低めの鼻が相まって、とても可愛らしい。
大人びた顔立ちの私の方が歳上に見られるが、メイテアの方が五歳年上だ。
人懐っこく情が深いので屋敷の従業員達に人気者である。
そのメイテアとグイードは、ダムル子爵家の次女と四男であり年子である。
二人の母は我が家と縁戚であり、隣地であるダムル子爵家に嫁いだ。
ある年、ダムル子爵家領地で害虫被害が起こり作物が全滅した。
元より小さい領地であり、名ばかりの貧乏子爵家であった。
少ない備蓄を全て放出しても領民達の食料が無くなり、もう、守る術がなく立ち行かなくなってしまった。
兼ねてよりダムル子爵家の領地を手に入れようとしている、隣地のローイエ子爵家の動きも不穏であり、領地を担保に金を借りる決断ができなかった。
王に幾度も救助要請を出しても返答なく見放なされているようだった。
本来の筋ではないが、子爵家夫人が辺境伯家に助けを懇願したところ、素早く人手も資金も投入し子爵家の家族や領民を助けてくれた。
領地がやっと最悪な状態から抜け出せたが、貴族籍に在籍している事は何かとお金がかかる。
貴族には教育機関で学ばなければならない義務があり、学用品を用意するのもお金がかかる。
故に、子沢山であった子爵家の、長男、次男、長女以外の子供達は相談し、いわゆる口減しのために貴族籍から抜け平民になろうとしていた。
それを知った辺境伯は、話し合っていた子供達を引き取り、貴族籍のまま我が家で働いてもらう事とした。
因みにもう一人、三男のモーリアも辺境卿騎士団に所属している。
モーリアはすでに卒業したが、現在メイテアとグリードは我が家からブレナ学園の分校で学んでいる最中だ。
害虫駆除に成功した後、ダムル子爵家は家族一丸となり働き、辺境伯家から借りた資金新たな産業を起こし成功を成し得た。
辺境伯家に受けた恩を返す為、国境のレッチフィル騎士団に継続的に無償で物資を送り続けてくれている。
子爵一家は深い恩義を持ってくれ、領地が立て直った今も、これから先も辺境伯家につくそうと、この領地に留まってくれている。
「アル様は、1時間前まで執務室にいらしたんだ。私が少し席を外し執務室へ戻ったら、いらっしゃらなくなっていて。
門兵にも聞いたが屋外には出たも者はいない。アル様はこの後外出の予定も分かっている。
勝手に長い間いなくなるはずないんだ。」
息せき切ってグリードは勢いよく話し、踵を返して部屋を出ていった。
屋敷内にいるはずと走って出て行ったグリードに続き、私とメイテアも追いかるように急いで部屋を出た。
先を行くグリードは、すでに見失ってしまった。
お兄様を見かけたら教えてと、家で働いてくれている者達に声をかけながら屋敷の中を探しテラスから庭へと出た。
庭に出ると、私のさらさらとした菫色の髪が放射のように風に流れた。
今日は風が強い。きょろきょろとあちこち見ながら、どんどん庭園の奥へいくと、薔薇園のガゼボが見えてきた。
その一角がゆらりと揺れたような気がしたので、そうっと近寄るとお兄様の背中が見えた。
私は安堵して満面の笑みになる。
「お兄様、み~つけた。」
わっと正面に躍り出たが反応がない。
「おにいさま?」
お兄様が力なく膝に手を置いて座っていた。くりくりとウェーブのある柔らかそうな髪が、半分顔を隠している。
そおっと覗き込むと、表情が抜け落ちていることが分かった。
一瞬おののいた後、はっと我に返り、お兄様の膝元に座った。
手をそっと重ねてさすると、ぼんやりしていたお兄様は、いつものように私の頭に手を置き、シャルどうしたの…とささやきながら撫でた。
どうしたは、お兄様でしょと心の中で呟き、せりあがる涙をぐっと止めてほほ笑む。
何か言わなくては。早く何か言わなくては。声が詰まる。
そこへ、息せき切ったグリードが泣きそうな、そしてひどく安心した顔で駆け付け、お兄様の背中にそっと手を置いた。
私は誰にも気取られないように、溜まった息を吐いた。
「お兄様?具合悪いの?なにかあったの?」
お兄様とグリードを交互に見ながら、ことさら明るい声を出す。
少しの沈黙。
口を開きかけたグリードと目があった瞬間、目の前から小さい小さい声がした。
「頑張れないんだ」
つぶやいたお兄様と、視線は合わなかった。




