科白空白 その一
最終章
科白空白 その一 です。
僕は倒れている男を睨み続けた。
「加藤が、お兄ちゃんってどういう意味だ?」
座り込んでいる桜子ちゃんが困惑した感じで僕に問いかける。
「僕の物語はもう終わりだ。そうだろ、春生」
僕はもう一度、彼の名前を呼ぶと聞き慣れた笑い声が上がった。それはもう加藤のものではなく、体格すら変わっていた。赤く染まった上半身を起こして僕と目を合わせる。
石田春生だ。
「そんな科白にするとは思わなかったよ。やっぱ、お前は面白い男だ」
僕は変わらず春生を睨み続けていると、春生は鼻で笑った。
「そう怒るな。それで、いつわかったんだ? もろもろ全部、教えてくれよ」
春生はポケットから煙草を取り出したので奪い取ってやった。春生はおいおいと調子のいい声を上げたが、無言で威嚇すると何も言わず両手を上げた。
「まず煙草を吸う前にフィルターを噛む癖」
ヴィレッジ・ヴァンガードで煙草を吸った時、春生と同じような煙草の吸い方をする人間を初めてみた。だから、気になった。
「こんな癖一つで、俺だとわかるわけないだろ。勿体ぶらずに教えろよ」
煙草を春生に投げ渡し、頭の中で整理した内容を順序良く口にしていく。
まずは会話に関して。
「最後の小冊子を読んで弁財天のお堂でのことを思い出した。あの時、加藤のお前が三ヶ月ぶりにあった中村さんとの会話だ。今にして思えばあの会話のやりとりは不自然だ。とても三ヶ月ぶりの会話とは思えなかった。むしろ、ずっと会話をしてきた仲にも思えた。小冊子四冊目の終盤に書かれた優太と桜子の会話そのままだ」
「俺らの日常会話をそのまま科白にしたからな」
「会話繋がりだともう一つある。お前は加藤でありながら、桜子ちゃんの方言を理解し過ぎたんだ」
煙草を咥えてフィルターを噛んだが火はまだ灯していない。
「気をつけていたはずなんだけどな」
「最初のほうは気をつけていたと思う。だが、同郷の人間が一緒にいればボロもでる。僕も一緒にいれば出雲弁のニュアンスくらいはわかるけど、お前の場合はニュアンスではなく、意味を理解してアナウンスしたことだ」
「おお。例えばなんだ?」
「出雲弁で言う『ダラ』は共通語で言うところの『馬鹿』だ。もう一つ『ダラズ』と言えば『馬鹿野郎』という意味らしいが、そこはいい。僕はこのダラという言葉は口汚いなにかだと思っていたんだ。ところが、ホテルで渡辺姉妹に向けて桜子ちゃんがダラズ女と言った時、お前は馬鹿二人とそのまま訳した」
「それだけか?」
春生はついに煙草の火を付けて、煙を吸込だ。
「もう一つは『だんだん』という出雲弁だ。意味は共通語で『ありがとう』になる。この方言の使う状況でニュアンスはわかっても本当の意味まではわからない。ホテルで桜子ちゃんの感謝の言葉と言っていた。つまり、本当の意味を知っているからこそ言えた言葉じゃないのか」
「あの状況だったら感謝って意味になるのは当然だ」
「普通、ニュアンスで理解していたとしてもわざわざ口に出して意訳することなんてありえない。ましてや聞き覚えのない方言であればなおのこと受け流すはずだ。敢えて口に出すということは『だんだん』という出雲弁の意味をきちんと理解しているからこそ言えた」
「いや、さすがにそれは深読みしすぎだろ」
「その深読みのお陰で僕はお前に気がついた」
春生が初めて僕から目を逸らした。
「くそ、なにも言い返せねぇじゃねーか」
「ついでにもう一つダメ出しをしてやるよ。お前、さっき桜子ちゃんがいったたいぎぃという言葉もアナウンスしていた」
この方言については桜子ちゃんに聞いていないが加藤の状態で面倒臭いと言っていた。
「俺、そんなこと言ったけ?」
無自覚で意訳したということは完全にボロが出ている証拠だ。
しかし、春生の言うとおり出雲弁の意味を知っていただけでは、加藤=春生には導けない。
「この出雲弁だけでお前が加藤に変わっていると疑ったわけじゃない。そもそも見た目も声も完全な別人になれるなんて、僕の常識ではありえない。その固定観念が壊れなければ、お前だと断定することはできなかった」
「いいね。お前の中でどうやって常識が覆したんだ?」
そのきっかけは依里子だ。
「依里子が見せてくれた本物の加藤景義の写真」
「お前、加藤の写真を見たのか。それは反則だろ」
なんでもかんでもお前の都合で世界は動いてない。
「確かに見た目は一緒だ。でも、微妙に何かが違う。その違いに気づいたのはワゴン車でフロントガラス越しに映ったお前を見た時だ。お前は反転した加藤になっていた」
反転した姿のほうが写真と一致している。
「わかるように説明してごさんか? うちには話が見えてこんで」
「だってよ。井上さん」
加藤でもなくなったのに、未だに僕をさん付けで呼ぶのはやめてくれ。
苛立ちを抑えながら、僕は桜子ちゃん顔を向ける。
「今は、春生と話すことを優先させてほしい」
自分でも自覚できるくらい冷たい口調になってしまったが、そのおかげなのか桜子ちゃんは小さく頷いた。
次に由里子の言葉だ。
「三○一号室の前に呼び出された由里子は『全部知っていたんだろう、私達を嵌めるために』と僕らに向かって叫んだ。由里子が言いたかったのは石田春生が来ることを僕らが知っていた、ということじゃない。加藤が石田春生だということを知っていたと言いたかったんだ」
これは春生の正体に気づけたからわかったことだ。ホテルから消えた春生の行方に関しての補足だ。
「井上。それだけか?」
僕は首を振った。会話に出雲弁、依里子と由里子の情報はバラバラで軸となる紐は一本もない。これらを一本にまとめようとするきっかけとなった主軸の紐は、目の前にいる男が出したゲームだ。
「最大のヒントはお前がくれたよ」
「解けたんなら言ってみな」
春生は短くなった煙草を地面に押し付けてもみ消し、新たな煙草を咥えてフィルターを噛んだ。
僕は目を閉じて、今一度、ホテルで閃いた回答を再構築する。
感謝すべきは吉田という上司だな。答えのヒントはエレファントマンだ。
軽く息を吐いて閉じていた瞼を開く。
これが水平思考の答えだ。
「男が読んでいた本は、特殊メイクの本だった。彼はその本を熟読し特殊メイクの技術をみにつけて老人の姿になった」
「正解だ」
「特殊メイクの本は言い換えれば姿を変える本とも言える。加藤が石田春生ではないかという疑念を抱いた出発点だ。いま、こうしてお前と話していても、納得はいかないが。それはもう技術書の力を使ったと思うほかない。きっと容姿を変えられる本だ。ただ変えるだけじゃない。これは想像だけど、鏡越しに対象となる人物に変わるか、もしくは姿を変える人間と対面状態でなければいけないはずだ」
これで桜子ちゃんの疑問も解けるはずだ。もしわからなければ、それでいいと思う。こんな事実、知った所で役には立たない。
僕の説明に春生は大きく拍手を贈った。
「やっぱ、お前はすげぇよ。その通りだ。反転の加藤になったのは俺と加藤が向き合った状態だったからさ」
自分のことのように喜ぶ春生の姿を見るだけで苛立ってくる。
「まいったな。追加説明する必要もない。どうだ、本の物語じゃ味わえないような体験できただろ」
春生は高らかに笑う。その姿を見て僕は右の拳を硬く握りしめて殴った。人を殴る経験はほとんどない。加えて僕の非力な打撃など春生からすれば大した痛みでもないだろう。痛みを与えなかったのではない、僕の怒りをぶつけたかっただけだ。
「自分の妹を危険な目に合わせる理由にはならん」
僕はいまだに地べたに座り込んだままの桜子ちゃんに手を差し伸べる。
「立てる? 言うなら、今だよ」
僕の声が届いてようやく桜子ちゃんは自分のやるべきことを見つけたようだった。差し出した手を掴み、桜子ちゃんはゆっくりと立ち上がって春生の前に立った。
「お兄ちゃん」
「巻き込んで悪かった。でもな」
「でもじゃないわ! ダラか!」
桜子ちゃんは「ふざけんなや」と叫びながら春生の胸を何度も叩いた。彼女が叩く両手は力弱く、遅かった。手についた血糊を気にせず何度も何度も叩き続けた。
「うちが、どんだけ心配したと思っとーで」
春生の胸を叩き続けた腕は止まり、最後には泣き崩れた。
「こうなったのは、本当に予定外だったんだ」
「予定外?」と僕が春生に聞くと、中村さんが代わりに答えてくれた。
「渡辺姉妹のこと」
俺が話すよと春生が僕の方へ体を向けた。
「小冊子を書き上げた時、俺が姿を消して小冊子を探す冒険は面白いなって思いついたんだ。一週間というのは建前で、一冊目の小冊子も早めに渡す手順だった。ところが、あの渡辺姉妹は俺が手に入れた本の事、姿を消すこと、そして小冊子にそれらの情報を残したということを知っていたんだ」
「そして、二冊の小冊子をあたしに預けて、春生くんは本当に姿をくらました。まさか、加藤の姿になっていたとは思いもしなかったけどね」
続けて春生は話しだした。
本物の加藤とどこでどう出会い、どのような話しをつけて入れ替わったのか詳細は省かれたが、加藤が渡辺姉妹に恨みを持っていて邪魔をしようとしていたのは事実だった。春生は加藤の意気込みを買って、悪く言えば利用させてもらい、一週間後の今日まで加藤として過ごしてきたという。
春生からこれまでの経緯を聞いた上で腹の底から叫んでやった。
「ふざけるな!」
春生に詰め寄って胸元を両手で掴んだ。
「違うだろ。そんなことで納得できると思うか。一週間、身動きが取れなかったのは百歩と言わずに一歩で譲ってやる。そこじゃなくて、加藤に扮して僕らの前に出た時にでも正体を明かせば良かったんだ。事情をちゃんと説明すれば、それで済む話だ! 双子にバレないためと黙っていたとか、そんなくだらない理由を言うなよ」
「井上よ。本当はわかってんだろ」
わかっているけれど、自分で言いたくはない。春生は僕と桜子ちゃんを危険に晒してまで、自分の考えた楽しみを実行したかったのだ。右手を離して、再び拳を固めた。殴って解決する問題ではないと分かっているけど、怒りの沈め方を僕は知らないんだ。
「俺は楽しいと思えば、それを実行する。最低の生き方だって自覚だってしている」
続く言葉を聞くために、固めた拳を降ろした。
「だけどさ、俺は最悪の結果にはさせないために、加藤となって一緒に行動したんだ。いかにも俺らしいやり方だろ?」
僕らの間に、二人の女性が割って入る。春生には中村さんが。僕には桜子ちゃんが。
「許してとはいわない。一つだけ知ってほしいことがあるんだ。この小冊子探しを考えついた時の春生くんは、二人が楽しめるようにすっごい考えてたんだ。それだけは、わかってあげて」
「井上さん、お兄ちゃん、こんな迷惑なことしかせん人だけど、大切な人はちゃんと守る人だに。だけん、だけんな? 嫌いにならんと、友達でおってくれんだーか」
「一人にされて、怖い思いまでして、それでも許せるの?」
「許したくないけど、みんな無事だが? だけん、いいに。これで。うちは石田春生の妹だけんね」
これ以上とない説得力のある理由で怒ることもできない。春生を掴んでいた左手も離して半歩さがった。
「春生」
「なんだ」
「これで、終わりでいいよな」
「ああ、終わりだ」
作者から終了の宣言を受け、その場に胡座をかいだ。長い一日だったと思い返すことすら鬱陶しかった。この場に枕があればすぐにでも眠れそうだ。
吹けば砂のように散るような僕の肩に春生が手を置く。その手を振り払う気力すら沸かない。
「千弦、桜子、悪いが俺ら二人にしてくれないか」
「お兄ちゃん」
「心配するな、お前の井上はあとでちゃんと返す」
「うちのじゃないわ!」
「千弦、悪いが桜子を連れて先に駐車場まで戻っててくれないか」
桜子ちゃんが心配そうに僕らを見ていたけど、中村さんに大丈夫と説得されペンライトの明かりを頼りにして僕らから離れていった。
深夜の公園に男二人。嫌なシュチュエーションだ。
「二人きりで話すなんて、気持ち悪いな」
そう言うなよと、春生が立ち上がったので僕もつられて重い腰を上げた。
「千弦は知っているからいいけど、桜子にはまだ教えてやらん。正しい解答を出したのはお前だけだからな」
春生が何を言いたいのか、すぐに理解できなかった。数秒間、春生の言葉を反芻してから「ああ」と間の抜けた声を上げた。
僕の中で解かれていない疑問はまだあった。
「巨大動物も技術書のことも全部、教えてやる」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
科白空白 その一 は如何でしたでしょうか。
明日が連載最後となります。
よろしくお願い致します。




