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サボテンの花  作者: みるきー


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第8話 『庇った理由は』

 月曜日から、教室は文化祭の熱気に包まれていた。


 商店街から運び込んだダンボールが教室の前の廊下に積み上げられ、絵の具や画材が班ごとに配られた。


 準備時間になるたびに机が隅に寄せられて、床に広げた大判のダンボールを囲んでそれぞれのグループが作業を進めていく。


「でっかい龍を作ろうぜ!」

「ミッキーとミニーとかよくない?」

「それ著作権的にどうなの?」

「文化祭ならいけるっしょ!」


 あちこちから声が飛び交って、教室全体が緩やかに沸き立っている。


 僕のグループは「森」をテーマに決めた。大木を中心に据えて、その周囲に動物や草花を配置するデザインだ。


 ただ、実行委員の仕事が並行してあるぶん、作業の大半はグループのメンバーに任せて、僕は他グループとの段取り調整や素材の管理が主な役割になっていた。


 特に不測の事態も起こらず三日が経って、各グループの進捗は概ね順調だった。


 そう思っていた矢先のことだった。


 甲高い声が教室の端から響く。


「ちょっと、何やってんの!」


 振り向くと、女子グループの一人、松本さんが立ち上がっていた。


 その足元に、ほぼ完成していたはずのダンボールアートが無残に崩れている。隣で男子の田中が真っ青な顔をしている。


「ごめん、ほんとに悪気はなかったんだ。ちょっとつまずいて」


「悪気はなかったって、もうすぐ完成だったのに!どうすんの、これ!」


「だから謝ってるじゃん」


「謝って元に戻るわけじゃないでしょ!」


 松本の隣でグループの女子たちも立ち上がり、田中の周囲に男子が集まってきた。双方の言い争う声が大きくなっていき、教室全体の雰囲気が悪くなっていく。


 そこに、日野さんが駆け寄っていく。


「ちょっ、ちょっと、落ち着こう。松本さん、田中くんも」


「咲ちゃん、でもさ——」


「田中くんも謝ってるんだし、まずは話し合おうよ、ね?」


「こんな状態で話し合えって言うの?咲ちゃんはどっちの味方なの!」


「そういうことじゃなくって——」


 日野さんがなだめようとするほど、松本さんはヒートアップしていき、言葉がうまく届かない。怒りが高まるにつれて、矛先が少しずつずれ始めた。


「っていうか実行委員なんでしょ!こういうのちゃんとどうにかしてよ!」


 松本さんの強い声が、日野さんに向いた。他の女子や、田中の周囲にいる男子たちも同調するような視線を彼女に送っている。


 日野さんは口を開こうとするが、言葉が出てこなかった。


 唇を一度結んで、また開こうとして。また閉じる。


 教室の中の視線が一点に集まっていた。その中心にいる彼女は微動だにしない。


 ただ、目の縁がわずかに滲んでいる。泣くまいとこらえているような、そういう顔だった。


 胸の奥で、何かがざわめく。


 なぜ彼女がここまで言われなければならないのか。仲裁に入っただけで、怒りの的にされる理由など、どこにもない。


 それなのに彼女は黙って受け止めようとしている。いつも教室の中心で笑っている日野さんが、声を失って立ち尽くしている。


 そんな顔をさせたくないな、と強く思う。


 気がついたら、日野さんの前に出て立っていた。


「ちょっといいかな」


 自分の声が思ったより落ち着いていることに、少し驚く。


 田中たちが振り向く。松本たちも動きを止めた。教室が静かになっていく。


 実行委員とはいえ、必要以上にあまり周囲と関わってこなかった僕が出てきたことに驚いているのか、教室中の視線は僕に集まっていく。


「壊されてしまって、怒る気持ちはわかるよ。時間をかけて作ってきたものだから」


 みんなが黙って聞いてくれる。心臓はバクバクしている。それでも、やるしかない。


「でも、だからって日野さんに責任を押しつけるのは違うんじゃないかな。日野さんは仲裁に入ってくれただけで、今回のことには何も関係ない」


 その言葉を聞くと、ハッとしたように誰も口を挟まなかった。


「田中くんも、壊してしまったことは謝っている。頑張って作ったものを壊されて、すぐには許せないかもしれない。その気持ちもわかるよ。でも、少しだけ冷静になれないかな」


 しばらく、沈黙が続いた。


 松本さんが、ゆっくりと息を吐いた。


「……ごめん。言い過ぎた」


 その言葉が呼び水になった。松本さんの隣の女子たちも、少しずつ表情をほぐしていく。田中も「本当にごめん」と改めて頭を下げた。


 少し落ち着いたタイミングを見計らって、僕は続けた。


「どうしたらいいかを考えよう。幸い、僕たちのグループはもう少しで完成する。終わったら、松本さんたちのグループの作業を手伝うよ。だから、モヤモヤした気持ちは残ってるかもしれないけど、作業を続けてもらえないかな」


 松本さんがこちらを見て、それから頷いた。


「……わかった。ありがとう、瀬川くん」


 一呼吸置いてから、松本さんは日野さんの方を向く。


「咲ちゃん、ごめんね。咲ちゃんは何も悪くないのに、キツく言っちゃって…」


 日野さんは首を横に振る。


「全然、気にしないで」と口にはするものの、まだ声が少しだけかすれていた。


 田中も歩み寄ってきて、


「俺も、日野に変な空気向けちゃって悪かった。俺たちももうすぐ終わるから、松本たちの作るの手伝うよ」


「全然!大丈夫だよ!よかったぁ」


 日野さんが笑顔でそう言う。いつもの彼女の声のように聞こえはするが、無理をしているように感じる。


 そんなことを誰も気に留めることもなく、教室はゆっくりと元の雰囲気に戻っていった。




 廊下の自販機の前に立って、ブラックコーヒーのボタンを押す。


 がとん、と缶が落ちてくる。


 なんとかなって良かったと心底思う。人の諍いに割り込むのは得意じゃない。ただ、あのまま見ていることが、どうしてもできなかった。


「好きだね、ブラック」


 横から声がして、顔を上げる。


 声で分かってはいたが、日野さんが立っている。財布を片手に、こちらを見ている。


「こういうときは飲みたくなる」


「こういうとき、ね」と日野さんは繰り返す。彼女は自販機のボタンを見渡してから、いちごオレのボタンを押した。パックを取り出しながら、少しの間だけ黙っていた。


「……さっきは、ありがとう」


「別に」


「別に、じゃないよ」


 彼女の声に、珍しく少しだけ鋭さがあった。


「本当に助かったから。ちゃんと受け取ってよ」


「……どういたしまして」


「うん。……私さ、あのとき何も言えなくなっちゃって」


 日野さんはパックにストローを通しながら言う。視線は手元に落としていた。


「松本さんが怒る気持ちもわかるし、田中くんが悪気なかったのもわかる。でもどっちに何を言えばいいかわからなくて。実行委員なのに、みっともなかったね」


「…みっともなくなんかないよ」


「でも何もできなかった」


「仲裁に入るだけで十分すごいことだよ。僕はすぐには動けなかった」


 彼女がこちらを見る。何か言いたそうな顔で、少しの間こちらを眺めている。


「……瀬川くんってさ」


「なに」


「こういうとき、ちゃんと来てくれるよね」


「たまたまだよ」


「たまたまにしては、多くない?」


 返す言葉を探しているうちに、日野さんが少し笑った。からかう色は薄くて、どこか響きに芯があった。


「公園のときも、バイト先に来ていいよって言ってくれたのも、商店街で一緒に動いてくれたのも。なんか、いつもそこにいてくれる感じがして」


「……深く考えてないよ。たまたま、そうなっただけ」


「それがまた、ずるいんだよなぁ」


 そう呟く彼女の声は、公園のブランコで聞いた言葉と同じ響きのように聞こえた。


 どう返事をしていいかもわからず、誤魔化すように缶コーヒーを一口飲む。


 少し間が空いて、日野さんが口を開く。声のトーンが、少しだけ変わっていた。


「あのさ、瀬川くん」


「なに」


「前に割って入ってくれた瀬川くん、カッコよかったよ」


 顔を向けると、彼女がこちらを見つめている。


 少し上目遣いで、頬に薄く紅みが差していた。冗談を言っているようには聞こえない。からかうような口振りでもない。ただ、思ったことをそのまま口にしたような、そういう雰囲気を感じた。


 突然のことに、また言葉が、出ない。


 彼女と目が合ったまま、何秒かが過ぎた。


 日野さんの方が先に視線を逸らす。


「ほんとにありがとね!」


 声のトーンが一段上がって、彼女は踵を返した。廊下を歩いていく後ろ姿が、どことなく早足に見える。


 僕はその場に立ったまま、缶を握っていた。


 胸の内側で、さっきから何かが騒いでいる。心拍が、いつもと違う刻み方をしている。


 おかしい。


 こういう感覚は、これまでにもあっただろうか。商店街の入り口で私服姿を見たとき。スプーンを差し出してきたとき。夕暮れの路地を並んで歩いたとき。


 点と点が、一本の線になろうとしている。


 これじゃあまるで——


 グッと、歯を食いしばった。


 そんな思いをかき消すように、缶コーヒーを口に運ぶ。


 なんだかいつもより、苦い気がした。

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