第7話 『サボテンみたいな人』
約束の時間より十分早く、商店街の入り口に着いた。
土曜日の昼間は人通りが多く、買い物袋を持った家族連れや、友人同士で歩く学生が行き交っている。
そういう景色の中に一人で突っ立って、文化祭に協力してもらえそうな店はどこだろうと頭の中で整理していた。
スーパー、家電量販店、ホームセンター。ダンボールを定期的に扱っていそうなところを当たるのが効率いいのかな。
「瀬川くん」
左から声がした。振り向くと、日野さんが立っていた。
制服ではない。淡い色のブラウスに、膝丈ほどのスカート。髪は普段よりも少し整えられていて、口元に薄く色が差してある。学校で毎日見ている顔のはずなのに、どこか別の人間のように映る。
何も言葉を発さない僕を見ながら、「あら」と日野が口元に笑みを浮かべた。
「見惚れちゃった?」
ハッとした。
見惚れていた。それ以外の言葉が、感情が出てこない。ただ、僕だけが恥ずかしい気持ちになるのもなんだか癪に思えて、精一杯の虚勢を張る。
「……そうだね」
「……え?」
「制服姿しか見たことがなかったから、少し驚いた」
日野さんは目を丸くする。きょとんとした、という顔がこれほど似合う人間がいるのかと思うくらい、無防備な表情に映る。
「……っ、そ、そう」
彼女にしては珍しく、言葉が続かなかった。視線が宙を泳いでいる。
それから日野さんは「ま、まあ!女の子だからね、休日くらいはちゃんとするもんだし!」と少し紅みがかった頬で、早口に言い切る。
「…そっか」
「……行こっか、商店街」
お互い居た堪れなくなり、少しの沈黙の後に日野さんは踵を返して、さっさと歩き始める。チラッと目に入った彼女の耳が心なしか紅いように見えた気がしたが、気にしないようにしよう。
歩き出した彼女の背中から、かろうじて聞き取れないくらいの声が混じった気がした。何を言ったのかまでは聞こえなかったけれど。
追いかけながら、自分の中で言い聞かせる。
驚いただけだ。これまで制服しか見たことがなかったから、単純に意表を突かれた。今日は文化祭の準備で一緒に出かけた。それだけの話だ。
それだけの話のはずなのに、さっき振り向いた時に目に飛び込んできた日野さんの姿がいつまでも頭の端に張り付いている。
切り替えよう。深呼吸をしてから日野さんの隣に追いついて、歩調を合わせる。
「ダンボールを出してもらえそうなのはスーパーか家電量販店あたりだと思う。商店街ならドラッグストアも候補になるかな」
「確かに。どこから声かける?」
「入り口に近い順で当たっていけばいいんじゃないかな。断られても次があるし」
「合理的だね」
「そうでもない、単純な話だと思うよ」
「瀬川くんが言うとなんか説得力あるね。じゃあまず——」
日野さんが不意に足を止める。
会話の途中で、唐突に。
つられて僕も立ち止まる。
彼女の視線が、道沿いの雑貨屋のショーウィンドウに向かっていた。棚に小さな鉢植えが並んでいる。いくつかある中の一つ、丸みを帯びたサボテンを日野がじっと見つめていた。
「ねぇ、瀬川くん。これ」
「……サボテン?」
「そう」と日野さんは頷く。
「なんか、いいなって。水やりとか忘れちゃっても枯れないじゃん」
「枯らすことを前提にしちゃうんだね」
「いいでしょ、現実的なの!」
彼女は笑顔でそう言い切る。反論する気も失うくらい迷いのない言い方だった。
しばらく、日野さんはショーウィンドウのサボテンを眺め続けていた。ガラス越しに、視線を凝らすように。それからぽつりと、独り言みたいな声で呟く。
「瀬川くんって、サボテンみたいだよね」
「……どういう意味?」
褒めているのか、貶しているのか。何の脈絡もなく言われて、どう受け取ればいいかわからない。
彼女はこちらを向いて、少し間を置いた。それから、ニコッと笑う。
「わからないなら、それでいいよ」
「……」
「さ、お店に声かけに行こっか!」
軽やかに話を切り替えて、彼女はまた歩き始める。
どういう意味なんだろうと気になるが、教えてくれない以上、答えを知る術はない。
突拍子もないことを言う人ではないことは分かっているが、どうにも腑に落ちないな、なんて考えていると、日野さんがお店の前で僕に向かって、こっちこっち!と笑顔で手を振っている。
気にしても仕方ないか、と言い聞かせ、彼女の方に向っていった。
それから、三軒のお店を回った。
最初に入ったドラッグストアでは、店長が出てきてくれて快く話を聞いてくれた。次の食品スーパーでは副店長が対応してくれて、週に二回ほど大量のダンボールが出るから遠慮なく持っていっていいとのこと。最後の家電量販店でも同じような返事をもらえた。
日野さんの動き方が、想像以上にスムーズだった。
声をかける前の一瞬に相手の様子を読んで、丁寧に切り出す、笑顔を使うタイミングが絶妙だった。ただ明るいだけじゃなく、距離の詰め方を知っている。
こういう場面での彼女は、教室で見るよりもさらに一回り人間的に大きく見えた。
「三軒とも快諾してもらえて、よかったね」
カフェの扉を押しながら、日野さんが振り返る。
「日野さんが上手く話してくれたおかげだね」
「瀬川くんのフォローもよかったよ。ちゃんと要点まとめてくれるから、喋りやすかった」
「役割分担になってたってことだね」
「うん、息合ってたね、私たち」
さらりと言ってのけて、彼女はカウンターでメニューを眺め始める。その言葉の置き方が自然すぎて、返しそびれる。
そして、日野さんはいちごオレとパフェを頼み、僕はブラックコーヒーを注文した。
「いちごオレ、好きなんだね」
「大好き。この世で一番好きな飲み物かもしれない」
「……一番?」
「一番!」
そんな会話をしていると、運ばれてきたパフェに彼女の目が輝く。スプーンを手に取って、てっぺんのホイップクリームから崩し始める。
一口食べて、目を細める。美味しい、と声に出すより先に表情に全部でている。
美味しそうに食べるなぁ、と眺めていると、日野さんがこちらの視線に気づいた。
「瀬川くんも食べる?」
「入る前にも言ったけど、甘いものはちょっと」
「ちょっとくらい大丈夫でしょ。ほら、あーん」
スプーンにパフェをすくって、こちらに差し出してくる。それはそれはとても自然に。
何をしているんだ、彼女は。何を考えているんだ本当に。わからない。本当にわからない。
そんな僕の気持ちなどお構いなしに、本人はニコニコしながらスプーンを差し出したまま待っている。まったく悪気のない笑顔で。
「…食べないよ」
「え、なんで」
「付き合ってもない男にそういうことしちゃダメだよ」
日野さんが動きを止める。スプーンを持ったまま、少しの間だけ宙を見あげた。それから、心なしか残念そうに眉を下げる。
「美味しいのに」
「そういう問題じゃない」
「そっかぁ……」
日野さんはゆっくりと差し出していたスプーンを自分の口に運ぶ。美味しそうに食べながら、何事もなかったようにいちごオレのストローを口に運ぶ。切り替えが速いのか、何も考えていないのか、判断できない。
コーヒーカップを持ち上げる。窓の外を眺めながら一口飲んで、落ち着かせようとした。
心臓が、さっきより少しうるさい。
日野さんの方を横目に見る。パフェのイチゴを丁寧に端に避けてから、最後に食べようとしているらしい。学校でいちごオレを飲んでいたのも、ファミレスで最初にそれを選んでいたのも、甘いものが根っから好きなのだろう。それなのに、どこにそれが行くんだと思うくらい、細い。
そんなことを考えている自分に気づいて、コーヒーをもう一口飲んだ。
カフェを出ると、陽が傾いていた。
橙色の光が商店街のアーケードを染めていて、昼間よりも人通りが少なくなっている。夕方の空気は少し肌寒く、日野さんが袖を軽く引っ張る。
「帰ろっか」
「そうだね」
並んで歩き始めた。特に決めたわけでもなく、自然に日野さんの右側を歩く。彼女も特に何も言わない。二人とも、それを当たり前のように受け取っていた。
「今日、ありがとうね」
日野さんが前を向いたまま言った。
「こっちも助かった。日野さんが声かけるの上手いから、断られなかった」
「私だけじゃないって。二人でやったんだから、二人の手柄でしょ」
「……そうだね」
「月曜日からダンボール回収して、そこから設計も始めないといけないね」
「週末のうちに骨格くらいは考えておくよ」
「私も考えてくる。文化祭、なんか楽しくなってきた」
「そう?」
「うん。最初はくじ引きで当たって、ちょっと面倒かなって思ったけど」
「正直だね」
「本音だもん」と彼女は笑う。
「でも今は、よかったって思ってるよ」
その言葉の意味を、どう受け取ればいいかわからないまま、歩き続けた。
住宅街に入って、しばらく行ったところで日野さんが足を止める。
「ここで大丈夫だよ。ありがとね、送ってくれて」
「べつに、帰り道だったから」
「ちゃんと受け取ってって、前も言ったよね?」
「……どういたしまして」
「よし」と彼女は満足そうに笑う。
「月曜日からまたよろしくね、瀬川くん」
そう言って彼女は一歩だけ下がって、いつもの仕草で手をひらりと振る。それから踵を返して、夕暮れの路地へ歩き出した。
その後ろ姿が、角を曲がって見えなくなった。
僕はしばらく、その場に立っていた。
彼女の後ろ姿を見送りながら、今日の情景が思い出されていた。
商店街の入り口で初めて見た私服姿。サボテンを眺めていた横顔。スプーンを差し出してきた、何の悪気もない笑顔。カフェを出てから並んで歩いた、夕暮れの路地。
全部を頭の中に並べてから、大きく息を吐いた。
文化祭の準備で、一緒に出かけた。それだけの話だ。
そう結論づけようとした。
でも、どうにもうまくいかない。心に少しのモヤモヤを感じながら帰路についた。
二人が去っていった路地を、じっと眺めていた人影があった。そのことに、どちらも気づいていなかった。




