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サボテンの花  作者: みるきー


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第4話 『文化祭の準備と、重たい足取り』

 帰りのHRが終わるとクラスメイトたちはあっという間に散らばって、今頃は部活か帰宅か、それぞれの場所へ向かっている。


 黒板の前に立っていた片桐先生も姿を消して、窓から差し込む夕方の光だけが、静かに長く伸びていた。


 向かい合わせに机を引き寄せて、日野さんとプリントを広げる。


 くじ引きの結果、僕たちが実行委員に決まってから一週間が経過し、文化祭まで三週間を切っていた。




 今日の昼休み、第一回の実行委員会議が行われた。


 他クラス、他学年から集まった委員は総勢三十名弱。最初に全員で自己紹介をすることになり、順番に名前とクラスを告げていった。


 日野さんの番が来たとき、会議室中の視線が彼女に集中する。


「二年三組の日野咲です。バスケ部所属です。よろしくお願いします!」


 短く、よどみない自己紹介だった。ただそれだけなのに、室内のあちこちで小声が弾けた。


 三年生らしき男子が隣の男子に何かを耳打ちしているのが見えたり、斜め前の席では、別のクラスの男子が日野の方をキラキラした目で見つめていた。


 日野さん自身は、それらに特段気を留めた素振りもなく、着席してプリントに目を向けている。


 人気のある彼女は、こういった視線や雰囲気に慣れているのかもしれない。あるいは、気にする方が面倒なのか。


 どちらにせよ、そんな雰囲気のことなど本人はどこ吹く風だった。




「ねえ、瀬川くん」


「聞いてる」


「嘘。絶対どこか行ってた」


 顔を上げると、日野さんが頬杖をついてこちらを見ていた。


 不満げにしているわけでもなく、ただ観察するみたいな目でじっとこちらを眺めている。


「考え事してただけ」


「何の?」


「大したことじゃない」


「気になるんだけど」


「気にしなくていいよ」


「そういう返しが一番気になるんだよねぇ」


「うーん」と日野さんは唸ってから、急にいたずらっぽい顔になった。


「もしかして、私のこと考えてた?」


「……」


「あ、間があった。間が」


「……そんなことを言ってくるとは思わなかったから、すぐに否定できなかっただけだよ」


「それって実質イエスじゃない?」


「いや、違うでしょ」


「違くなさそう」


 日野さんはくすくすと笑う。


 声を抑えているのに、そのくせ全然隠す気のない笑い方。


 話を逸らすようにプリントに視線を落とす。


「はぁ。明日のHRの伝達事項をまとめよう」


「はーい」


 笑いの余韻を引きずりながら、彼女はプリントを手に取った。切り替えの速さに感心する。


 そして、二人で大まかな伝達事項を確認していく。


 その最中、日野さんはメモ帳にさらさらと書き込んでいた。


 字が丸くて、読みやすい。なんで女の子の字はこんなに読みやすいんだろうか。


「発表は瀬川くんがする?それとも私がする?」


「どっちでもいいよ」


「じゃあ私がする。瀬川くんはフォロー担当で」


「…ありがたいけど、いいの?」


「こういうの、得意だから。任せて!」


 右手で握り拳をつくり、胸の前に持っていきながら臆面もなく言い切る。


嫌みを感じさせない自信の持ち方は、彼女の地のものなのだろう。


 まぁクラスで浮き気味の僕がやるより断然いいだろう、とありがたく任せることにした。


 諸々、ある程度かたちになったところで彼女はペンを置いた。クリアファイルにプリントを差し込んで、ふうと息をつく。


「今日バイトある?」


 鞄に手を伸ばしながら聞いてきた。


「ある。六時半には出ないといけないかな」


「何時まで?」


「十時」


「頑張るねー」と彼女は立ち上がりながら言う。


「このままバイト先に行くの?」


「そうだね。準備もしてきてるし」


 日野さんは右手を顎に当て、何かを考えるように顔を少し上げる。数秒ほど間を置いてから、あっさりと続けた。


「じゃあさ、途中まで一緒に帰ろうよ」


 澱みのない提案だった。


 クラスの中心にいるような子で、今日の会議では学校中からの人気もあることを再認識した。


 そんな子と一緒に帰る機会がくるとは夢にも思わなかった。


 ただ断る理由も見当たらなくて、僕は曖昧に頷いた。





 下駄箱で靴を履き替え、校門まで歩いている中でも視線を感じた。


 そうだろう。人気者の日野咲が、男と一緒に帰っているのだから。僕自身、いつもと異なる左側の景色に、なんだか落ち着かない。


 そんな周囲の視線のことや、僕のことなど彼女は気にもしていないのだろう。明るく話しかけてくる。


「瀬川くんって、好きなこととかある?」


「急だね」


「なんか知りたくなった。ダメ?」


「……本を読むのは好き」


「どんな本?」


「ミステリーが多いかな」


「へぇ」と日野さんは少し意外そうな顔をする。


「もっとこう、参考書とかそういうの読んでそうなのに」


「…参考書が趣味の人間がいると思う?」


「成績いい人ってそういうもんじゃないの?」


「ものすごい偏見だ」


「じゃあ何で成績いいの」


「授業を聞いてるだけ」


「……それが一番むかつく答えだ」


 そう言って、唇を尖らせた。すぐに表情が戻るのに、一瞬だけ子どもみたいな顔になる。そういう間が、どうにも目を引く。


「バイトはどう?楽しい?」


「楽しいというか、慣れた」


「最初はどうだったの」


「最初の一ヶ月で皿を三枚割った」


「三枚も!」と大袈裟な素振りとともに、彼女は笑いながら声を上げる。


「それで怒られなかったの?」


「店長が笑って許してくれたよ」


「優しい店長さんで良かったね」


「まあ、そういう人」


「今は割らないの?」


「さすがにね。割らないよ」


「成長じゃん」と彼女は笑った。


 成長…なんだろうか。もう働き始めてそろそろ1年ほどになる。まだ皿を割っているようでは、さすがにクビにでもなっていそうだ。


「…瀬川くんってさ、思ったより話しやすいね」


「…思ったよりって何?」


「なんかこう、とっつきにくそうに見えてたから」


「……自分ではそんなつもりないんだけど」


「そういう風に見えるよ」と彼女は笑う。


「でもなんか、ちゃんと返してくれるじゃん。会話が死なないっていうか」


「会話が死ぬって」


「なんか、そういう人いない?話しかけても一言で終わっちゃう人」


「確かにいるね、そういう人」


「瀬川くんは違うから、話しやすい」


 さらりと言ってのけて、日野さんは前を向く。


 会話が死なないっていうのは、おもしろい表現だと思った。


 ただ、彼女がそういう風に思ってくれているのは、彼女自身がそういう気遣いをしてくれてるからだろうとも思う。


 こちらの返答に対してしっかりと対応しながら、次の話題を適切な間で放り込んでくれる。あまり会話が得意ではない僕でも、話しやすいと感じる。


 持って生まれた人柄の良さなのか、そうなるような出来事があったのか。少なくとも、これまでの僕の交友関係と彼女の交友関係では大きな経験の差みたいなものがあるのだろう。


 そんなことを考えながら会話を続けてけると、気づけばファミレスの入った通りまで、あと二、三分といったところまで来ていた。


 そのあたりから、日野さんの歩調がわずかに落ちた気がした。


 話す内容が途切れたわけではなく、声のトーンが変わったわけでもない。


 ただ、それまでの会話のテンポと比べるとゆっくりになっている。目線が下がる頻度も、一歩ずつ多くなっている気がする。


 家に帰りたくないのかもしれない、と思った。思ったけれど、それを確かめるのも野暮ではないか。聞いてどうするわけでもないし、聞かれたくないかもしれない。


 ファミレスの看板が見えてきたとき、口から言葉が出た。


「…日野さん、うちの店来る?」


 その言葉に、日野さんは足を止める。


「……え?」


「暇なら、だけど…」


「でも、バイト中でしょ。邪魔になるじゃん」


「席に座って飲み物頼んでるだけなら問題ないよ」


「いや、でも……」


 彼女はためらうように視線を揺らした。


「迷惑じゃない、本当に?」


「店長も気さくな人だから気にしなくていいよ。お皿を三枚割っても許してくれるような人だからね。帰りたくなったらいつでも帰ればいいし」


 彼女は断るとも、頷くともせず、ただ少しの間だけ視線を足元に落としていた。風が一度吹いて、彼女の髪が揺れる。


「……よく、わかるね」


 小さな声だった。


「なにが」


「私が、帰りたくないこと」


 答えなかった。答える必要はない気がした。というより、今の彼女にかける言葉を残念ながら僕は持ち合わせていない。


 日野さんはもう一度だけ間を置いてから、ゆっくりと顔を上げる。その表情は、泣いているわけでも笑っているわけでもなかった。どちらでもない、穏やかな顔だ。


「……ありがとう。お邪魔してもいい?」


「どうぞ」


 彼女は小さく息をついてから、「じゃあ」と言った。


「ちゃんと注文するから、店員として接客してよね」


「そりゃあ、そういうタイミングがあればね」


「敬語で『いらっしゃいませ』って言ってくれる?」


「……それは見てのお楽しみってことにしておこうか」


「えっ、気になる」


 彼女はようやく、いつもに近い笑顔を取り戻した。おせっかいだったかもしれない。でもどうにも、あんな表情をしていた子を一人で帰す気にはなれなかった。


 そして、僕達はファミレスへの角を曲がっていった。

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