第3話 『くじ引きの結果は当たりか、外れか』
カーテンの隙間から差し込む日差しとともに、アラームが鳴り目が覚める。
まだぼんやりとしている頭で、今日は英単語の小テストがあるなぁ、なんて考えていると、昨日の夜のことがうっすらと浮かんできた。
夜の十時を過ぎてから、一人でブランコに座っていた日野さんの横顔。帰り際に振られた手と、「ありがとね」という声。
あれから真っ直ぐ家に帰っただろうか。帰った先の家で、また両親の言い争うような声が聞こえていたりしなかっただろうか。
考えてもしかたないことだとはわかっている。でも、布団の中で天井を眺めていると、自然と思考がそっちへ流れていった。
順風満帆そうに見える人間でも、表からじゃ見えないものを抱えていることの方が多い。
それは自分自身が一番よく知っている。日野さんに限った話じゃなく、人間なんてそういうものなのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら身体を起こして、カーテンを開けた。
朝の日差しが、静かな部屋に大きく差し込んでくる。気持ちを切り替え、学校へ向かう準備を始める。
母親はいつも通り、もう仕事へ出かけていた。歯磨きを終え、テーブルの上に残されたトーストを食べ、お茶を飲み、制服に着替える。この辺りはどこにも引っかかりのない、いつも通りの朝だ。
鞄を持って、誰もいないリビングに向かって「行ってきます」と声をかけ玄関を出た。
教室のドアを開けた瞬間、笑い声が飛び込んでくる。
声の方向にチラッと目を向けると、日野さんが数人のクラスメイトに囲まれていた。
身振り手振りを交えて何かを話していて、周囲がそれに合わせて弾けるように笑っている。
昨夜の公園の面影など、どこにも感じさせない、いつもの日野咲だった。
あれは演技でもなんでもなく、本当の日野咲の姿なんだろうか。
昨日の出来事がどうしても頭をよぎり、そんなことを考えてしまう。
そんなとき、横目でちらりと彼女と視線が合った。
こちらに気づいた彼女の口元に、柔らかな笑みがスッと浮かぶ。そして、何事もなかったかのように友人との会話に戻っていく。
それは勘違いなのかと思うほど一瞬のことだった。
でも確かに、僕に向けられた微笑みだった気がした。
ただ、会釈をする理由も、笑みを返す理由もよくわからなくて、そのまま自分の席に着く。
一時間目の前に小テストがある。英単語、三十問。最後の確認だけしておくか、と目を通していく。
日野さんの成績はよく知らないが、あんなに話していて大丈夫なんだろうか。
なんでこんなことが頭の中をよぎったのか、自分でもよくわからない。
昨日から立て続けに普段とは違うことが起こったからだろう、と言い聞かせるように、単語帳へと没頭していった。
昼休みの廊下は、昼食を終えた生徒たちで賑わっている。
僕も昼食を済ませてから、いつも通り自販機へ向かった。
財布から小銭を取り出し、ブラックコーヒーのボタンを押す。ガトン、と缶が落ちてきたところで、横から声がかかった。
「ブラック飲めるんだ」
振り返ると、日野さんが財布を片手に立っている。
たまに彼女を自販機の近くで見かけた気はするが、声をかけられたことはもちろんない。そんな彼女が僕に声をかけてくる理由とはなんだろうか。
(昨日のことの口止めか?)
当たっているかはわからないが、なんとなく当たりをつけたところで、話しかけられた以上無視を決め込むこともできず、「まぁ、そうだね」と口にする。
予想外のことだったからだろうか、声が少し上擦ってしまった。
そんな僕の様子など気に留めることもなく日野さんは、会話を続けてくる。
「高校生でブラックって、なんか渋くない?」
「ファミレスのバイトで慣れた。まかないで飲めるコーヒーがブラックしかなくて」
「あー、なるほど」と彼女は納得した顔でうなずき、自販機のラインナップに目を移す。
右手を顎の位置まで持っていき、少し考える素振りを見せてから、いちごオレのボタンを押した。
彼女がパックのいちごオレを取り出す様子を見ながら、声をかける。
「まさか声をかけられるとは思わなかったよ」
日野さんはパックにストローを通しながら、こちらへ振り向く。
「まぁ、昨日のこともあるしね」
「大丈夫、誰にも言わないよ。言うような相手もいないしね」
言ってから、少し正直すぎたかと思った。でもこれくらい正直な方が、彼女も安心できるだろう。
けれど、日野さんは笑うでも驚くでもなく、どこか困ったような表情を浮かべている。
「いや、そういう心配はしてなかったんだけど」
「……そうなの」
「悲しいね。なんかごめんね?」
冗談っぽい言い方だったけれど、目はちゃんと笑っていた。それがなんというか、非常に助かる。
「単純にさ」と彼女は続ける。
「もう顔見知りじゃん、私たち。声かけても変じゃないでしょ?」
「顔見知り、ね」
「そう、顔見知り」
ニコッとしながらの口ぶりが妙に堂々としていて、反論する気が起きない。
確かに、二度も妙な場面に居合わせておいて、他人面を続けるのも不自然ではある。
納得できるような、でも何かが腑に落ちないような、不思議な感覚だった。
「……まあ、そうなのかもしれないね」
「でしょ」
彼女はいちごオレを一口飲んで、「じゃ、戻るね」と軽やかに踵を返した。
廊下の人混みへ向かいながら、こちらを振り返りもしない。その足取りが妙に弾んでいるような気がして、見ていると不思議と気が抜けた。
普段なら教室でコーヒーを飲むのだが、僕はその場で缶コーヒーを開け、グッと飲み干す。
ゴミ箱に缶を捨て、少し時間をおいてから教室へと戻った。
六時間目のHRが始まった。担任の片桐先生が教壇に立ち、ホワイトボードに「文化祭実行委員」と書いていく。
六月に控えた文化祭のクラス代表を、男女一名ずつ選ぶらしい。
「やってみたい立候補者はいますか〜?」と高らかな声で有志を募るが、手を挙げる者は誰もいない。
その様子を見た先生は、まぁそうだよね、と苦笑いをしている。
「こんなこともあろうかと、先生くじ引きを用意してきました!」
先程までの表情とは裏腹に、楽しそうな声で言った。「えー!」といった言葉が飛び交い、流れていた沈黙はなんだったのかと思わせるほどに教室の雰囲気は明るくなっていく。
誰も、まさか自分が当たりを引くとは思ってもいないのだろう。いや、この場合は外れになるのだろうか。
そんなことを考えていると、女子から先にくじを引いていくことになり、一人一人教壇に向かっていく。
数人引き終わり、まだ当たりは出ていない。実行委員を避けることができた子たちは安堵の表情を浮かべながら自分の席へと戻っていく。
男子の番まではもう少しかかるな、と視線を教室の外に向けた時、片桐先生の声が響いた。
「日野さん」
「おぉ〜!」という声とともに教室の空気が変わった。当たりを引いてしまったらしい日野さん本人は「えぇ〜」と声を上げながらも、どこか楽しそうな顔をしている。
そういう性格なのだろうか。僕なら絶対にやりたいとは思わない。
そして教室の興奮も冷めないままに、男子がくじを引いていく番に。順番的に僕は三人目に引くことになるので、席を立ち教壇へと向かう。
「日野さんと一緒にやれるなら当たってもいいぜ〜!」とクラスのお調子者の声が聞こえてくる。
だったら立候補すればいいのに、と思いながら僕に箱からくじを引く。
引いたくじを開くと、「当たり♡」の文字。
目を見開き、固まってしまう。
嘘だろ、なんだよ♡マークって。当たりじゃないだろ、やっぱり外れじゃないか。とか、頭の中がぐちゃっとする。
「瀬川くん、もしかして当たった?」
片桐先生が僕の様子に気づいたのか、声をかけてくる。クラスのどこかで「おお?」という声がした。
当たってしまったものは仕方がない。
「まぁ、はい」と答えながら、日野さんの方をつい見てしまった。彼女も同じタイミングでこちらを見ていて、自然と目が合う。
彼女も驚いていたのか、目を丸くしている。でもそれからにやり、と口角を上げた。
一体なにを考えているのだろうか。全くもって想像もつかない。
思わず出たため息とともにくじを教壇に置き、自分の席へと戻る。
席に着くと、片桐先生が文化祭について、これからの大まかな動きについて説明をしていく。
その声を聞きながら、不思議なことが続くものだなぁ、と考える。
実行委員になってしまったこと自体はくじ引きの結果によるものなので仕方がない。
ただ、その相手がまさか日野さんになるなんて。他の男子なら喜ぶ様な状況なのだろうか。わからない。
バイトも休むわけにもいかないし、少し忙しくなってきそうだな、と思いながら先生の声に耳を傾け、窓の外を眺めた。




