第37話 『もう一つの対話』
「…ただいま」
咲と一緒に家に着き、扉をあけて中にいるであろう母さんに声をかける。
扉の開く音に気づいた母さんは血相を変えて、玄関までやってきた。
「…おかえりなさい。咲ちゃん、本当にありがとうね」
「いえ、見つけられて良かったです。連絡いただいてありがとうございました」
「…本当に、あんたって子は」
「……ごめん」
「…もういいわ。咲ちゃん、送り届けてくれてありがとう。もう遅いし、彗が送り返すこともできなさそうだから、泊まっていきなさい」
「い、いえいえ!大丈夫です!一人で帰れますから…!」
「ダメよ、こんな時間に女の子が一人で歩いちゃ。私から咲ちゃんのお母さんには連絡入れるから、ね?」
咲は困ったように、僕の方を見てくる。以前とは状況が違うが、こうなった母さんは止まらない。
「…僕も心配だから、嫌じゃなければ泊まっていってよ」
「……彗くんがそう言うなら…」
「うん。咲ちゃん、リビングに着いたら、また連絡先教えてくれる?こんなことになるならちゃんとメモしておけば良かったわ」
「…わかりました。まさか私も、2回目があるとは思ってなくて」
「この前も言ったけど、いつでも大歓迎だからね」
そう言って、母さんはリビングへと向かった。残された僕たちに、少し気まずいような雰囲気が残る。
「…ごめんね、僕も母さんも無理言って」
「ううん、大丈夫。嫌とかじゃないから」
そう笑顔で言ってくれると、こちらとしても罪悪感は幾分か薄れていく。靴を脱いで、二人でリビングに向かった。
中に入ると、母さんは咲に連絡先を確認し、電話を入れる。話すのは二度目だと思うのだが、なんだかやけに明るく感じる。
そういえば、何度も咲を家まで送っているが、母親とはまだ会ったことがない。僕のことはもう認知しているだろうに、なぜ何も言ってこないのだろう。
いつか、ちゃんと会って話さないといけないと思う。
「えぇ。それでは、責任を持ってお預かりします。明日にはしっかり送り届けさせますので」
そう言って、母さんは電話を終えた。咲に対して、にこやかにVサインを作る。咲はすこし苦笑いをしていた。
「ま、とりあえずご飯にしましょうか。二人ともまだでしょ?」
僕が頷いて返すと、咲も遠慮気味に同じ仕草をする。それを見た母さんはキッチンへ向かい、作っていたものを温め直してテーブルに並べた。なんでちゃんと3人分あるのかは突っ込んではいけない気がした。
テーブルについて、咲が美味しいと言いながら食べているのを、母さんは「嬉しいわ〜」と言いながら、和やかな雰囲気で食卓を囲った。
人は違えど、3人で夕食を食べるなんていつぶりだろう。
食べ終え、少しの雑談の後、母さんが真面目な顔つきに変わる。
「…彗。ここまで咲ちゃんに迷惑をかけておいて、話さないなんてことはないわよね?」
「お、お母さん!私は…!」
「咲ちゃん、ありがとう。でもね、彗。いつまでも咲ちゃんの優しさに甘えてばかりでもいられないことは、わかるでしょう?」
いつになく真剣にそう伝える母さんに、その通りだと突きつけられる。以前は、黙って僕を尊重してくれた。
母さんに伝えていいものなのかとずっと考えていたが、もう僕一人でなんとかできるようなものでもないことは分かりきっている。
「…分かってる。話すよ、全部」
「彗くん…」
「大丈夫。心配してくれてありがとう」
咲に対して、上手く作れているかもわからない笑顔を向けてから、母さんと向かい合う。
覚悟を決めて、今日あったことを話した。父さん、という単語が出た瞬間、母さんの顔が歪んだが、黙って最後まで聞いてくれた。
「…あのバカ野郎」
話を聞き終わった母さんの第一声は、それだった。
「…あんたまさか、この前様子がおかしかったのも、あの人と?」
「……うん」
「なんでもっと早く言わないの!」
「お、お母さん…」
「…言っていいのか、わからなかった。僕でもあんなに頭がぐちゃぐちゃになってしまったのに、母さんが聞いたらどうなってしまうのかって…」
「…ごめんなさい。そんな風に気を遣わせてしまって。でもね、彗。お母さんは、黙って彗が一人で悩んでいる方がずっと辛いの」
少し感情の昂っていた母さんも、咲がいてくれるおかげか、すぐに落ち着いてくれた。
「…ごめん」
「謝らないで。彗が悪いわけじゃない。悪いのは、そんな風に抱え込ませてしまっている私たちなの」
「お母さん、それは…」
「いいの、咲ちゃん。本当のことだから」
母さんは悲しげな表情で、そう言う。
「…あのね、彗。…咲ちゃんもごめんね、こんな重たい話を聞かせちゃって。でもね、ちゃんと聞いてほしい」
そして母さんは、ゆっくりと口にする。
「私はね、別にあの人のことを恨んでなんていないの。そりゃ最初は悲しかったし、理解もできなくて怒ったりもしたけど…」
「…」
「…」
「でもね、あの人の言う価値観の違いってものは、わかるの。私が許容できるものが、あの人にはできなかった。逆のことだって、あったと思う」
「……」
「……」
「特に彗の育て方については、何度も言い争いになったわ。最初はそれも楽しかったのに、いつからかストレスにしか感じなくなっていった」
…そんなこと、知らなかった。僕が、原因の一つなのか。
「そんな…」
咲がスカートの裾をキュッと握るのが見えた。
「だからね、離婚しようって言われた時は、あぁ、やっぱりか、って気持ちもあった。それでも色んなことを考えると、一緒にいた方がいいんじゃないかって思ってた。あの人は、耐えられなかったみたいだけど」
そこまで話し、母さんは苦笑いを浮かべる。そして大きく息をして、続ける。
「それでも、私達はお互いに納得して、離れた。私にとっては、彗と二人で過ごすいまの時間が、何より大事なの。彗に辛い思いをさせてしまったことは、本当に申し訳なく思っているわ。…でもね」
母さんの顔が、咲の方へ向く。
「だからこそ、彗が咲ちゃんを連れてきた時はもちろん驚いたけれど、本当に涙が出るくらい嬉しかった。あぁ、この子にも心を許せる女の子ができたんだって。本当に、本当に嬉しかったの」
「お母さん…」
「ごめんなさい。まだ高校生の二人にこんなことを話してしまって。…あの人の言葉を借りるのは癪だけれど、私も二人に、見つけてほしいと心から願っているわ」
「……はい。さっき彗くんにも、一緒に見つけようって、そう伝えました」
咲の言葉に、母さんの目が大きく見開かれる。少しの後、普段に近い優しい表情に戻った。
「……本当に、素敵な子ね。咲ちゃん、いいお嫁さんになるわよ」
「およっ…!?」
それまで真面目に聞いていた咲の表情が、真っ赤に染まっていく。落ち着かせるように深呼吸をして、咲は口にする。
「……私がそう思えるようになったのは、彗くんのおかげなんです。私の家族も離婚しそうで…辛かった時に、黙って側にいてくれた彗くんの優しさに、救われたんです」
「そうだったの…」
「はい。だから、彗くんが辛い時は私も支えます。…多分、私もまだ支えてもらうことになると思います。それでも、二人で乗り越えていきたいって、そう思ってます」
「……咲ちゃん、ちょっとこっちにおいで」
「…? はい…」
そう言って、咲はよく分からないといった様子で立ち上がり、母さんの隣に移動する。
母さんは、隣にきた咲を勢いよくギュッと抱きしめる。
「キャッ!?」
「本当に、素敵な女の子ねー!大好きよ!彗、絶対離すんじゃないわよ!」
「お、お母さんっ…!」
どうしたらいいかわからないといった様子であたふたする咲を、母さんはより強く抱きしめる。
最後の言葉は軽い口調に聞こえたけれど、その目にはうっすらと光るものがあった。
「…分かってる。僕だって、咲と同じ気持ちだから」
「…うん。良かった。…ごめんね、咲ちゃん。急に抱きしめちゃって」
「い、いえ…」
そう言って離れた母は、指でそっと目元を拭った。
「ごめんね、本当にありがとう。ちょっと先にお風呂入ってくるわね」
こちらの返事も待たず、母さんは出て行った。リビングに、僕と咲だけが残される。
咲は僕の隣に戻り、体を僕の方に向けて、また手を握ってくれる。
「へへっ。びっくりしちゃったけど、なんだかちょっと嬉しかったや」
「…ごめんね、母さんが急に」
「ううん、本当に嬉しかったから。…彗くんは、大丈夫?」
僕の顔を覗き込むように、見つめてくる。
「…うん。思ったよりは、大丈夫。…僕が原因の一つだったことには、ちょっとくるものがあったけど…」
「…そうだよね。…でも、お母さんも、大丈夫だと思ったから伝えたんだと思うの」
「…そうだね。咲がいてくれて、本当に良かった」
「うん。一緒に、ちょっとずつ乗り越えていこうね」
柔らかい笑顔でそう言ってくれる咲に、また気持ちが落ち着いていく。大丈夫だ。わからなくても、二人なら、きっと。
今度は僕から、咲をそっと抱き寄せる。
「ふふっ、大胆だね」
「…嫌だった?」
「そんなわけないでしょ」
そう言って、咲の両腕が僕の背中を包む。
自分の家で何をしているんだろうと思うけれど、そんなことはどうでもいいくらいの幸福感が心を満たしていく。
「……咲、お願いがあるんだ」
「…なに?」
ゆっくりと、口にする。
「…今度、父さんともう一回話そうと思う」
その言葉に、咲の体が一瞬震えた。返事はなかったけれど、背中に回る両腕にギュッと力が入った。
「…一緒に、来てくれないかな。…僕から、僕の口から。父さんに伝えるよ。咲と一緒に見つけていくって」
「……やっぱり、彗くんはカッコいいよ。情けなくなんて、全然ない」
「……一緒に、来てくれる?」
「当たり前でしょ」
「…ありがとう」
感じる確かな温もりと共に、決意を固めた。




