第32話 『作戦もなにもないらしい』
鳴り響いたアラームを止め、まだ少し重たいような気のする体を起き上がらせると、ぼんやりと視界に入ってくる景色に違和感を感じる。
修学旅行に来ていたな、なんて当たり前のことを思い出し、隣で眠る田中くんの方を見ると、寝息を立てながら気持ちよさそうに眠っている。
朝食まではまだ少し余裕がある。起こすのも忍びないなとゆっくりベッドから出て、洗面所に向かった。
諸々の準備を終えて、昨夜と同じ窓際のソファに腰掛けて景色を眺める。昨夜は建物の灯りが目立っていたが、朝に見る景色は昨夜の印象とは打って変わって思ったよりも自然がたくさんで、これはこれで落ち着くような気がする。
しばらくそのまま過ごしていると、田中くんのスマホからアラームの音が鳴った。なかなかの音量だが、彼が起きる気配はない。
本当に肝が座っているなと感心しながら、声をかける。
「田中くん、そろそろ起きないと朝ごはん間に合わないよ」
「んぁ…。 ……いまなんじ?」
「6時15分。あと30分くらいで朝食だよ」
「……じゃあまだ15分は寝れるな…おやすみ…」
「何言ってんの。松本さん達を待たせるわけにもいかないでしょ」
「……それもそうだな」
そう言って田中くんは体を起き上がらせ、大きな伸びをしながらあくびをする。そのまま動き出すかと思ったが、座りながら目を瞑っている。肝が座っているのかと思ったが、どうやら単純に朝が弱いだけらしい。
そのまま5分くらい経ってから、のそのそと動き出して準備を始める。少しふらついている彼を横目に、準備を終えた田中くんと食堂に向かった。
「あ、きたきた。おはよう。二人とも、思ったより早かったね」
「おはよう〜」
「うん、おはよう。ごめんね、ちょっと待たせちゃったね」
「全然いいよ。どうせ隣にいるそのバカのせいでしょ」
「おいおい、バカってなんだよ。遅れた理由に否定はしないけど」
「詩織ちゃん、昨日の夜から田中くんのせいで遅れてくると思うって言ってたよー」
「予想通りだったわ」
「裏返せばこれも一種の信頼だな」
「ポジティブバカ…」
先ほどまであんなに眠そうだったのに、ここまで軽快なやり取りができるのかと驚く。
「お、彗じゃん」
不意に後ろから聞こえた声に振り向くと、暖大が立っていた。
田中くんや松本さんにも声をかけていて、こいつも朝から元気だなと思わされる。
「暖大、久しぶりだね」
「いや昨日も顔合わせてんだろ」
「そうだっけ。咲たちと一緒じゃないんだね」
「あー、多分もう先に入ってんじゃねぇかな。ちょっと寝坊したし」
チラッと食堂の中を伺うと、すでに座っている咲と穂波さんの姿が見えた。二人で話しながら、揃うのを待っているみたいだ。
「もう待ってるみたいだね。早く行きなよ」
「うーい。じゃあまた嵐山でな〜」
そう言って軽く手を振りながら、暖大は二人の元へ歩いていった。
「瀬川くんって、片山くん達と話してる時はなんか雰囲気が違うねー」
軽く見送っていると、西野さんが声をかけてきた。
「そうかな?」
「うん。なんて言うのかなー。柔らかい?感じがする」
わかる、と田中くんと松本さんも同意している。自分としては分けているつもりもないのだけど、そんなに違うんだろうか。
「自分ではよくわからないや。同じつもりなんだけどね…」
「私達といる時が固いわけじゃないけどね。まぁ、慣れみたいなもんでしょ」
「そんなことより、早く食べに行こうぜ」
田中くんの言葉に、それもそうね、と松本さんが歩き出す。田中くんも横に並び、後を追うように西野さんと顔を見合わせて歩き出した。
バイキング形式の朝食に、田中くんは目を輝かせていた。朝とは思えない量をとる彼に驚愕しながらも、みんなで嵐山で何をするかについて話し合いながら朝食を食べる。
そうして、少し時間を空けてから班行動の時間になり、決めていたルートを周り、昼過ぎに嵐山に着いた。
「おぉ〜。自然!って感じだな!」
「語彙力ないわね」
「紅葉綺麗〜」
「ほんとだね」
バスを降りて目に入ってきたのは、一面紅葉の山々。川に古風な橋も架かっていて、なんというか、とても雰囲気を感じる。語彙力という意味では、僕も似たようなものかもしれない。
さて。嵐山に着いたということは、昨夜話していたことを実行する時が近づいているわけだけど、どうするつもりなのだろうか。
無邪気にはしゃいでいるように見える彼はなにか考えがあるんだろうか。とりあえず、田中くんが動き出した時にフォローできるよう気を張っておこう。
「向こうに竹林とかお店もあるみたいだし、行こうぜ」
田中くんが指差し、人の流れに身を任せて歩き出す。少し歩き、竹林の近くまでやってくると、一軒のお店の前で田中くんが立ち止まった。
「なんか浴衣とか着物のレンタルできるらしいな」
「ほんとだ〜。ちょっと着てみたいかもー」
「えぇ…私はいいや」
目を輝かせている西野さんとは裏腹に、松本さんはめんどくさそうにしている。助け舟を出すならここだろうかと、声をかけてみる。
「西野さん、着てみる?」
「うーん。詩織ちゃんも一緒に着ようよー」
「いいじゃん、着てみたら。似合うと思うぜ」
「えぇ…仕方ないなぁ」
「やった〜!」
そう言って、二人はお店に入っていった。結局二人とも行ってしまった。そりゃそうか。西野さんも一人だけ着る気にはならないに決まっている。
「瀬川、この後頼むぜ」
失敗したな、と思っていると、田中くんが先ほどまでとは違う真面目な表情で声をかけてきた。
「うん。でも、どうするの?」
「竹林に入ってから、いい感じで別れる!」
「力技だね……」
どうやら作戦もなにもないらしい。正直、僕に全てを委ねるのはやめて欲しいのだが、口には出さなかった。
しばらく待っていると、着物に着替えた二人が出てきた。
「動きづらい……」
「どう〜?似合う〜?」
対照的な二人に、思わず笑みが溢れる。西野さんはくるっと回っていて、本当に嬉しそうだ。
「うん、似合ってるよ。京都の雰囲気にも合ってていいね」
「おう、詩織も似合ってるぜ!」
「ありがと〜」
「…まぁ、それならいいか」
少し照れ気味に見える松本さんに、もしかして、と思わされる。西野さんはどう思っているのだろう。
「じゃあ、行くか」
田中くんの声に頷き、竹林の中へと歩き出す。松本さんが少し歩きにくそうにしているからだろうか。普段なら田中くんと松本さんが前を歩いているが、自然と逆になっていた。
「ほんとに竹ばっかりですごいね〜」
「ね。初めて見るよこんなの」
「瀬川くん、トロッコもあるらしいよ〜」
「ちょっと興味あるかも。そんなのゲームでしか見たことないもんね」
「行ってみよう〜!」
西野さんとそんな会話をしながら歩き、ふと後ろを振り返ると、田中くんと松本さんの姿がなかった。
僕が立ち止まったことに気づいた西野さんも、二人がいないことに気づく。
「あれ、二人ともどこ行っちゃったんだろ。」
「さっきの分かれ道ではぐれちゃったのかな」
トロッコを見るために道を曲がったのだが、そのタイミングで別れてしまったのだろうか。
意図していたわけではないが、結果として上手くいったみたいだ。
「どうしようー。戻る?」
少し不安そうな顔の西野さんに、この状況を逃してはいけないと気持ちを強く持つ。
「……いや、このまま二人で進もうか」
「え。いいのかな〜」
「うん。歩きながら話すよ」
「…?」
キョトンとしている西野さんに対し、修学旅行で僕と二人になることに少しの申し訳なさを覚えるが、こればっかりは譲れない。行こうか、と声をかけ、ゆっくり歩き出す。
「……実はね。田中くん、今日松本さんに告白するって昨日の夜に言ってたんだ」
「えっ!」
驚いている。当たり前すぎる反応だと思う。
「だから、今日ちょっと二人にしてほしいって頼まれてて…。気づいたらいなかったあたり、多分そういうことなんだと思う」
「なるほど〜。じゃあ、上手くいくといいね〜」
「うん。カッコいいと思うよ」
「そうだねー。じゃあ、こっちはこっちで楽しもう〜」
西野さんは納得してくれたのか、竹林に入った頃のほんわかとした雰囲気に戻った。そのことに少し安堵し、二人でトロッコなどを見て回った。
しばらく歩き、出口に着いたがまだ二人の姿は見えない。西野さんと相談し、少し歩いた先にある休憩スペースに向かった。カフェのようなものが併設されていて、西野さんはみたらし団子を頼んだ。
「あ、瀬川くんだー!」
西野さんと外で食べながら待っていると、声が聞こえた。
「穂波さん。みんなも」
「おう彗、朝ぶりだな」
「そうだね。ほんとに会うとは思わなかったよ」
「うちらも会えたらいいね、とは話してたけど、タイミング良かったね」
同じ嵐山に向かうとはいえ、ルートは違うはずなので、ほんとに会えるとは思っていなかった。
言葉を発さない咲を不思議に思い、目を向けると少し表情が固い気がした。どうしたんだろうか。
「…咲?どうしたの?」
「……彗くん、なんで彩芽ちゃんと二人でいるの…?」
「ちょっといろいろあって…」
「…ふーん」
そう言って、咲はプイッと顔を逸らした。なにか怒らせるようなことをしてしまっただろうか。罪悪感のような何かが、込み上げてくる。
「もう、咲。嫉妬なんてみっともないよ」
「そんなんじゃ…!……いや、そうかも…」
穂波さんの言葉に、咲は顔を俯かせた。
なんだろう。そんな顔をさせたことを申し訳なくは思うのだが、それ以上に喜びのようなものを感じてしまった。
「うぅ…。…ごめんね、彗くん。彩芽ちゃんも」
「ううん〜。あたしこそ、なんかごめんねー」
「僕の方こそ、ごめんね」
「なんだこの空気。穂波、どうにかしてくれ」
「それは片山くんの仕事でしょ」
「無茶言うなよ」
「先に無茶言ったのは片山くんだよ?」
「……ぐうの音もでねぇな」
その言葉に穂波さんは、でしょ、と言って笑った。その反応に、少し場の空気が和らいだ気がした。
「……で、なんで二人でいるんだよ。田中と松本は?」
暖大が続ける。
「…まぁ、暖大も言ってたし、そのうちわかるんじゃないかな」
そう言うと、暖大は考える素振りを見せた。少しするとハッとしたかのように、ニヤっとする。
「なるほどな。やるねぇ」
「なんの話?」
咲も穂波さんもなんのことかわからないといった様子で、首を傾げている。
「彗が言うみたいに、そのうちわかるだろ。ほら、俺たちはそろそろ行こうぜ」
そう言って、暖大は歩き出した。穂波さんと同じ班の男子も着いていく。咲も僕の方を見て歩き出そうとした時に、声をかける。
「咲」
「彗くん、どうしたの?」
「……今日の夜、どこかで会えるかな」
その言葉に、咲の表情がパッと明るくなる。
「うん!また連絡するね!」
そう口にし、咲は軽やかに穂波さん達の後を追っていった。いつもの咲の雰囲気に、罪悪感のようなものは薄れていく。
「……ねー、瀬川くん」
「うん?」
「……ほんとに咲ちゃんと付き合ってないのー?」
忘れていたわけではないが、西野さんの言葉にドキッとしてしまった。
「……昨日言った通りだよ」
「ふーん。…恋愛って難しいんだねー」
…本当に、その通りだと思う。嫉妬してくれたことを嬉しく思うなんて、歪んでいるだろうか。人を好きになるっていうのは、なんとも複雑だ。
そんなことを考えながら竹林の出口の方に目を向けると、田中くんと松本さんが歩いてくるのが目に入った。
「あ、来たよ」
「ほんとだー。…手、繋いでるね」
少し照れ臭そうにしながら、手を繋いだ二人はこちらに向かって歩いてくる。
どうやら、上手くいったみたいだ。




