第29話 『眩しさ』
昨日感じていた生温い風の不快さが嘘かのように、頬を撫でる風は心地よい。
いや、単純に朝だからという理由かもしれないが。
昨日はどうやって学校まで向かったのかも覚えていないが、そんなことは些細なことだと思えるほどに、気分は晴れやかだ。
心配をかけてしまった暖大と穂波さんにはちゃんと謝っておかないとな、なんて考えていると、後ろから声をかけられた。
「彗くん、おはよっ!」
「うん、おはよう」
昨日までなら、驚いていたかもしれない。でももう、ある程度自信を持っていいのだと思える。
「えへへ、久しぶりだね。朝一緒になるの」
「そうだね。いつもはもうちょっと遅いから」
「なんで今日はちょっと早いの?」
「…なんとなく、気分が良くて」
「そっかぁ。…私と、おんなじだね」
そう言って照れくさそうに笑う咲を見ていると、昨日母さんと話していたことが思い出される。
咲は、いまの僕たちの関係をどう認識しているのだろう。付き合っていると、そう思っているのだろうか。
わからない。聞けばいいだけの話だとはわかっているのだが、あんなことまで言っておいて、「僕たちっていま付き合ってるの?」なんて聞くことはできない…というか、恥ずかしいというか。
なんともよくわからない感情だけど、不思議と気分は悪くない。
結局、踏み込むこともできずに、考えていたことを口にする。
「咲、ちょっといいかな」
「なに?」
「…暖大と穂波さんに、昨日までのこと。全部、話そうと思うんだ」
「…ぜ、全部って…?」
なぜだろう。咲の顔が紅くなっていく。
「暖大には昨日軽く話したんだけどね。…僕の父親のことも含めて、穂波さんにも話そうと思う。心配もかけちゃったしね」
「あ、あー!そういう!」
大きく手を振りながら、大袈裟にリアクションを取る咲。一体なにと勘違いしていたのだろう。
ただ、そんな仕草もすぐに落ち着き、真面目な顔つきに変わった。
「…でも、彗くん…大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう、心配してくれて。ただ、ずっと仲良くしていくなら、隠していけることでもないしね」
そう言うと、咲は少し考えるような素振りを見せる。
「…わかった。それが彗くんの考えなら、応援する。でも、私も一緒に行くから」
「え? いや、気持ちは嬉しいけど、そこまで心配しなくても…」
「やだ。…私も、片山くんにはちゃんと話せてないから。ちょうどいい機会だと思うの」
真っ直ぐに僕を見つめて、咲はそう言った。
強いな、彼女は。心から、そう思う。
渦中にいるという意味では、僕よりよっぽど辛い立場だろうに。…いや、こういうものは、優劣をつけるものでもないのかもしれない。
「…そっか。じゃあ、一緒に話そうか」
「うん!」
それからは、昨日の重苦しさなんて無かったかのように、他愛もない話をしながら学校へと並んで歩いた。
たまに他の生徒から向けられる視線も、気にならなかった。
「…で、なんだよ。改まって」
言葉とは裏腹に、軽い口調で口にする暖大。
あれから学校に着き、穂波さんと暖大に時間が欲しいと伝え、三人の部活が終わるのを待ってファミレスにやってきた。
「いや…。昨日は迷惑かけちゃったから」
「なんだよ、そんなことか」
部活終わりでお腹が空いているのか、どうでも良さげな顔でメニューに目を通していく。
「穂波さんも、ごめんね。迷惑かけちゃって」
「うちは何もできてないからねー。全然、大丈夫」
「ううん、遥香も私のこと気にかけてくれてたから。本当に、ありがとね」
「まぁ、それは当然というか?」
暖大も穂波さんも、気を遣ってくれているのか、明るく返してくれる。それがなんというか、心に沁みてくる感じがする。
本当に、僕たちは友人に恵まれたと思う。
「だからってわけじゃないんだけど…。全部、話そうと思うんだ。僕のことも含めて」
その言葉に、メニューを眺めていた暖大がバッとこちらを向いた。
本当に、こういう時は心配してくるのだから、ズルいと思う。
「…私もね。片山くんに、話せてないことがあるの。彗くんと同じ。知っててほしい」
暖大は目を見開き、しばらく考える素振りを見せた。
「…わぁーったよ。全部、聞いてやる」
観念したかのように大きなため息をつき、そう口にした。
「…うちも。聞くことしか、できないから」
「…二人とも、ありがとう」
そして、話した。
僕の家族はすでに離婚していること。父親とはもう2年以上会っていなかったこと。公園で目が合ったこと。…なにも、わからなくなってしまったこと。
咲も、僕のあとゆっくりと、自分の家族の状況について話した。
聞きながら、初めて公園で咲の話を聞いた時のことを思い出していた。
今の顔は、あの時とはまるで違う。
しっかりと言葉を紡ぎ、俯かず、伝えている。それがとても、僕には眩しく見える。
「…そっか。瀬川くんも、咲と同じだったんだね…」
「うん。ごめんね、隠してて」
「ううん、いいの。私も同じ立場だったら、多分話してないから」
「そう言ってもらえると助かるよ」
自分のことのように受け止め、気持ちを汲んでくれる穂波さんの言葉に救われる。
面倒見がいいというか、包容力があるというか。咲も似たように感じているのだろうか。
「……で、彗は結局どうすんだよ」
「……正直、まだどうしたらいいのかわからない。でも、この気持ちに決着はつけないといけないと思ってる」
「彗くん…」
「大丈夫。心配してくれてありがとう。もうちょっとゆっくり考えて、動いてみるよ」
「…うん」
「うちも、話を聞くくらいはできるから。二人とも、もうあんなになるまで溜め込まないでね」
「…うん。遥香もありがとう」
穂波さんの言葉に、僕も頷いて返す。
もう心配をかけなくてもいいよう、しっかりと受け止めて、前を向いていこうと心に決めた。
「…うっし!じゃあもう、辛気臭いのはここまでにしようぜ!俺、腹減ったんだよ。なんか食っていいか?」
少しの沈黙が流れたが、暖大がその空気を壊すように少し大きめの声を出した。
その気遣いに、それまで少し重かったような空気が軽くなっていく。
「…そうだねっ。うちもお腹空いちゃった!ね、咲。何食べる?」
「ふふっ。何にしよっかなぁー」
本当に二人には、頭が上がらないなと思う。温かい気持ちを胸に、僕もメニューに目を向けた。
「そういえば、来月はもう修学旅行だね」
パフェを食べながら、穂波さんが口にした。
「そういやそうだな。俺、京都行ったことねぇんだよなぁ」
「私もないから楽しみだなぁ。彗くんは?」
「僕もないなぁ」
「みんな行ったことないんだねー」
うちの学校は、毎年京都が修学旅行先になっている。
お寺巡りの良さはまだわからないが、行ってみれば少しは分かるんだろうか。なんにせよ、行ったことのない土地に行くということだけで、気分は乗ってくる。
「そうだ!グループ分けが何人になるかわからんねぇけど、四人で一緒に行こうぜ!」
「いいね!私もそうしたい!」
「えー、そんな自由に決められるのかなぁ」
「どうだろうね…。うちの担任、なにかとくじ引きにしたがるから…」
「修学旅行だぜ? さすがに大丈夫だろ」
「そうなったら、片山くんだけ別のグループになっちゃうかもね」
「……ファミレスに来たら、日野さんは俺をハブらせようとしてくるのな…」
そのやりとりに、みんなで声を出して笑った。暖大は少し不服そうだったけど。
僕もさすがに、修学旅行の班決めをくじ引きでするとは思わないけれど…。なんとなく、嫌な予感はする。
そして翌週、修学旅行の班決めの日がやってきた。
「…………嘘だろ」
くじ引きの結果、僕だけ別のグループになってしまった。
本当に、くじ運はとことんついていないらしい。




