第28話 『言ってない気がする』
「ただいま」
あの後、運動公園で少しゆっくりしてから咲を家に送って帰ってきた。
どちらからともなく握られた手の温もりを感じながら歩き、言葉は少なかったかもしれないが、これまで以上に咲に近づけた。そんな気がした。
「おかえりなさい」
「え。珍しいね、この時間に帰ってきてるの」
普段ならまだ帰っていないはずの母が出迎えてくれた。予想もしていなかったことに、一瞬言葉に詰まってしまった。
「…あんたが昨日からおかしかったから。ま、でもだいぶマシな顔になったわね」
その言葉に、昨日は返事もせずに部屋に篭ってしまったことを思い出す。
心配をかけてしまったこと自体は申し訳なく思うが、いつも気にかけてくれる母には頭が上がらない思いだ。
「…ごめん」
「大丈夫ならいいのよ」
軽く笑顔を作りながらそう言った母は、リビングへと戻っていく。
それ以上はなにも聞いてこない母の優しさにまた胸が熱くなり、涙が出そうになった。
ダメだ。どうも、一度流してしまったものはなかなか止まってくれないらしい。
グッと堪え、部屋に荷物を置いてからリビングへと向かった。
テーブルに座り、夕食を作っている母を見ていると、色々なことが浮かんでくる。
咲とは仲直り…という言葉が正しいのかはわからないが、蟠りはなくなった。
ただ、父さんのことが解決したわけではない。いまだに、なにをどうすればいいのかはわからない。
…母さんに、話すべきなんだろうか。
二人で暮らし始めてからは、父さんのことについて話す機会はほとんどなかった。1年目だけは「お父さんが会いたがってる」なんて、言葉をかけられることもあったが、2年目にはそれも途絶えた。
今思うと、もう僕たちのことを気にかけてはいないのだろうと、割り切るようにしていたのかもしれない。
僕でさえ、父さんと軽く目が合っただけでこんなに複雑な感情を抱いてしまったのだから、母さんに話してしまうと僕以上にまいってしまうのではないかと心配になる。
「また遠い目をして。なに?咲ちゃんのことでも考えてるの?」
こちらの考えていることなどお構いなしに、母はニヤニヤしながら口にする。
「……そういうことは、づけづけと聞いてくるよね」
「当たり前じゃない。将来、自分の娘になるかもしれない子なんだから。そりゃあ気にするわよ」
「なっ…!?」
あまりにも強烈なワードに、言葉にならない声が出てしまった。
いきなり何を言い出すんだこの人は。
娘にしてもいいと思えるほど咲を気に入ってくれているのかと思うと少し嬉しい気もするが、あまり深く考えないようにした。これ以上は心臓に悪い。
「あんた、咲ちゃんにもう好きだって伝えたの?」
「……なんで僕が好きって前提なのさ」
「あー、そういうのいいから。大丈夫、お母さんはわかってるから」
ニヤニヤを隠す素振りも見せず、早く言え、とでも言いたげな顔でこちらを見つめてくる。
…まぁ、遅かれ早かれ避けられない道かと諦めた。
「……好き、とは伝えたよ」
「キャー!やるわね! ってことは、これで正式にお付き合いが始まるのね!」
……お付き合い?
確かに、僕は咲が好きだと伝えた。咲も、好きだと伝えてくれた。
手も繋いで帰った。抱き合いも…した。
…ただ僕は、付き合ってください、と言葉にしたか?
…いや、していない。
「……お付き合いって、どうやったら始まるんだ…?」
意図せず口から出てしまった言葉に、それまで笑顔だった母が固まった。
「…え? そりゃ、付き合ってくださいって言ったらじゃないの…?」
「………だったら、まだ付き合ってはない、のかも」
「………は?」
顔を見合わせながら、無言の時間が流れる。
…僕たちはいま、どういう関係なんだろう。
*
「えへへ…」
机に置いてある、彗くんに取ってもらったぬいぐるみを手に取って眺める。
不思議だ。夕方まで、あんなに苦しかった気持ちも、今はこんなに晴れやかになっている。
好きだって、言ってもらえた。嬉しい。同じ気持ちだったことが、本当に嬉しい。
昨日は本当に楽しかった。水族館も、ケーキバイキングも。また、いろんな彗くんを知れた。
…でも同時に、彗くんの弱さも知った。
私とは違って、全部を乗り越えて私を支えてくれていたんだと、そう思ってた。
でも、違った。そういう風に、振る舞っていただけだった。
そりゃそうだ。彗くんだって、私と同じでまだまだ子供だ。こんなに大きな傷を抱えて、もう大丈夫なんて、そんなわけなかった。
私は、ただ彼に甘えていただけなんだと、そう気付かされた。
…罪悪感が、全部消えたわけじゃない。
でも、もうなにがあっても絶対に。彗くんを一人になんてさせない。一緒に、乗り越えていくんだ。
そう誓って、手に取ったぬいぐるみを抱きしめる。
「…あ、遥香に連絡入れとかないと…」
今日は遥香にも片山くんにも、心配をかけてしまった。
普通にしようと思っても、どうしてもできなかった。
5限目が始まって、彗くんが教室にいないことに気づいたときには、思わず涙が流れてしまった。
必死で隠したけど、片山くんにはバレてしまっていたと思う。「トイレに行ってきます!」なんて、先生の返事も聞かずに教室を出て行った片山くんを、羨ましく思った。
6限目が始まる前に一緒に戻ってきた二人を見た時は、本当に安心した。片山くんにも、お礼を言わないといけないな。
「…もしもし、遥香?」
「…咲。大丈夫…?」
「…うん。もう、大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて」
「そんな…。うちは、なにもできなくて…」
「ううん。心配してくれてるのは伝わってたから。本当に、ありがとね」
「…うん。…良かった、声が元気そうで」
「うん。あの後、ちゃんと話せたから」
「…そっか。良かった、本当に」
自分のことのように心配してくれる遥香には、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
「…なに話したのか、聞いてもいい? もちろん、言える範囲で大丈夫だから」
その言葉に、運動公園でのことが思い出される。顔が、熱い。
…全部を話すことはできないけど、遥香には、話しておかないといけないと思う。
「……彗くんに、好きって言ってもらえた」
「……え?」
返ってきたのは、まるで予想もしていなかったかのような短い反応だった。
「……え? そういう、話だったの…?」
「………言わなければ良かった」
「あー!ごめんごめん!驚いちゃっただけなの! よ、良かったね!ほんとに!」
確かに、あんなに重苦しい雰囲気から、そうなるとは思わないかと変に納得した。
「…うん。ありがとう」
「いやほんと!うちも嬉しいよ!見ててもどかしかったから!」
「…そんなに?」
「うん。だって、どう見ても両想いじゃん、って思ってたから」
そんなにわかりやすかったかな?
私はともかく、彗くんまでそう思われていたのはちょっと意外だった。
「あー、でもこれで、ようやく付き合うんだね。おめでとう、咲」
……付き合う?
彗くんに、好きだって言ってもらえた。
私も、好きだって伝えた。…伝え方は、変な感じになっちゃったけど…。
ハ、ハグもしたよね…?手も繋いで帰った…よね?
…でも、付き合ってください、とは言われてない…よね?
「……付き合ってくださいとは、言われてないかも」
「……は?」
私たちはいま、どういう関係なんだろう。




