第27話 『わからなくても。それでも。』
「……昨日、父さんを見たんだ」
声になっているかもわからないほどに細い声で、話し出す。
「…公園で、咲に好きだって伝えようとしたんだ。…咲の向こう側に、父さんがいて。こっちを見てて。頭が真っ白になった」
「……」
「知らない女の人と、歩いてた。…咲も同じ気持ちだった。…幸せ、だった。なのに、消えてった」
まとまらないままに出た言葉は、めちゃくちゃだと思った。何一つ、順番通りに伝えられていない。
でも、口から出た言葉は止まらない。
「泣きそうだった。…そんな顔を、させたくないと思ってたはずなのに。僕が、そうさせてしまった」
「……」
「…わからないんだ。僕はいま、なにに苛立っているのか。なんで、こんなに怖いのか」
「……」
「……なにも、わからないんだ」
頬を何かが伝っていく感覚がした。なんで、僕は泣いているんだ。
暖大は、黙って僕の言葉を聞いていた。
伝えたいことの、半分も伝わっていない気がする。それほどまでに、僕の言葉はまとまっていない。
「……お前、バカじゃねぇの」
少しの沈黙の後、聞こえた言葉は想像もしていないものだった。
「…っ! なんだよ、バカって…!!」
返す言葉に、自然と力が入ってしまった。
「バカだろ。簡単な話じゃねぇか」
「お前に、なにが…っ!!」
「わかんねぇな。お前のその悩みは。父親のことはもう吹っ切れたんだろ? 前に聞いた時は、そう言ってたよな」
そうだ。離婚したのはもう3年も前だ。
顔だってほとんど合わせていなかった。父親のことを考えることも最近はなかった。
吹っ切れている。その…はずだ。なのに、言葉にならない。
「……」
「吹っ切れてなかった。それだけの話だろ」
その言葉は、なぜかスッと入ってきた。
「…すまん。正直、なんて言えばいいのかわかんねぇ。…でもさ。一つだけ、確かなことはあるだろ?」
「……なんだよ、それ…」
「お前が、日野さんを好きだってこと」
視界に入ってきた暖大は、ニカっと笑っている。
「……俺も、日野さんのことは穂波から少しだけ聞いてる。なんかあったら協力してくれって」
「……」
「最初はなんのイタズラかと思ったよ。…同じような奴らが、惹かれ合ってるなんて」
「……」
「でもさ、それも当然のことなのかもしれないとも思った。だからこそ、お互いをより理解し合えるだろうなって」
…お互いを、より理解し合える。なぜか、その言葉が耳に残った。
「難しいことはわかんねぇ。わかんねぇけどさ。…お前は、日野さんと一緒にいたいんじゃねぇのか?」
一緒に、いたいか。
…そんなこと、決まってる。
…一緒に、いたい。
「知らない女の人と歩いてる父親を見て、もしかしたら自分もそうなっちまうんじゃねぇかと思ったのかもしれねぇ」
「違うだろ。そんな先のこと考えてる場合じゃねぇ。いまこの瞬間、お前の前にいてくれる日野さんのことを、先に考えるべきなんじゃねぇのか?」
その言葉は、いままで聞いたどの言葉より響いた。
ハッとして、顔を上げる。
こちらを見ている暖大は、静かに笑っている。
「いますぐどうこうってのが難しいのはわかる。でも、それでも。声だけはかけなきゃいけないんじゃないか?」
あぁ、悔しいな。なんでこんなに響くんだ。
その通りだ。どうしたらいいかなんて、まだわからない。
…それでも、咲を泣かせたままでいいわけ、ない。
「……暖大」
「ん?」
「……ありがとう」
「……バカ言え。礼を言われるようなことじゃねえよ」
照れ隠しかのように、顔を逸らしながらそういう暖大に、自然と笑みが溢れた。
気分が晴れたわけじゃない。どうしたらいいのかなんて、まだわからない。
…それでも、やらないといけないことはわかった。
それからは、言葉を交わすこともなくただ座っていた。
そして5限目の終了を告げるチャイムが鳴った後、二人で教室に戻った。
1日の最後のSHRが終わった。
僕は立ち上がり、歩き出す。
暖大と穂波さんがこちらを見ていることに気づいた。本当に、心配をかけてしまって申し訳ないと思う。
「……咲」
席に座ったまま動かなかった彼女の肩が、大きく震える。
「…っ。け、彗くん…? ど、どうしたの…?」
今日初めてしっかりと視界に捉えた彼女の表情は、普段の温かさなんて微塵も感じない。
…ずっとこんな顔をさせてしまっていたのかと、後悔に押し潰されそうになる。
「……ごめん。どうしても、話したいことがあって。今日、時間を貰えないかな」
彼女の表情は、変わらない。
変わらなかったが、少しの間の後、口にした。
「……わかった。いいよ。先生に部活休むって言ってくるね」
「いや、そこまでしなくても大丈夫。待つよ」
「……ううん。大丈夫だから」
そう言って、咲は足早に教室を出て行った。
そこまでさせるつもりはなかったのに、また迷惑をかけてしまった。
また申し訳ない気持ちが襲ってくるが、かえって心が決まるような感覚もする。
しばらくすると、咲が戻ってきた。
「……お待たせ。行こっか」
「……うん。ありがとう」
そうして、二人で学校を出た。
どこに行くかなんて、決めていなかった。ただ気がつけば、自然と咲の家の方に足が向いていた。
…会話は、ない。咲と二人で歩いている時に、こんな雰囲気だったことはない。
いつもより歩くスピードも遅い。お互い、何を話せばいいのか、どうすればいいのか、わかっていないみたいだ。
「……咲」
「……なに?」
「もうちょっと、歩いてもいいかな」
「……うん。大丈夫」
そうして、またしばらく歩いた。
着いたのは、レジャー施設が複合されている運動公園。
平日だからか、人はほとんどいない。
良さげなベンチを見つけ、二人で座る。心なしか、いつもより距離がある気がした。
「……ここね。最後に家族三人で遊びに来た場所なんだ」
「……えっ?」
それまで俯いていた咲の顔が上がった。
「小学生の頃だけどね。…楽しかった。父さんと二人でキャッチボールをしたり、母さんも交えて三人でバドミントンしたり」
「……思い出の、場所なんだね」
「うん。でも、離婚してからはなんか近寄り難くて。…久しぶりに、来た」
「……なんで?」
「……なんでなんだろうね。正直、わかってない」
わからない。なんでここに足が向いたのか。
でも、咲とちゃんと向き合うなら、ここじゃないといけない気がした。
「……昨日は、ごめんね。ひどいこと言っちゃったよね」
「…っ!」
「…本当に、ごめん。そんな顔をさせたいわけじゃなかった。…なのに、父さんを見た瞬間、頭が真っ白になった」
「それはっ…!」
「…吹っ切れたと、思ってたんだ。3年前に離婚が成立して、顔もほとんど合わせてなかったから。……でも、全然、そうじゃなかったみたい」
情けないよね、と付け足すと、咲は頭を大きく横に振った。
「そんな、そんなの…! 当たり前だよ…! 大好きだった家族が離れ離れになって、受け入れるなんて、できるわけない…っ!」
泣いている。あぁ、また泣かせてしまった。本当に僕は、どうしようもない。
「……ごめんね。また泣かせちゃったね」
「…彗くんが泣かないから…! 私が代わりに泣くの…っ!」
なんでだろう。暖大と話すまで、あんなにぐちゃぐちゃとした思考が頭を巡っていたのに。
僕のために泣いてくれている彼女が、たまらなく愛おしく感じる。
「…咲。好きだよ」
「っ!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、僕を見つめてくる。
「本当に、好きだ。いつもの明るい笑顔も、僕のために泣いてくれる優しさも、同じように家族のことで悩んでいる部分も含めて、全部、好きだよ」
「わたっ…、私も…!」
「うん。伝わってるよ。ありがとう。本当に嬉しい。幸せだって、そう思う」
「…私は…っ! これで、いいのかなぁっ…! 昨日、彗くんを、一人にしちゃった…っ!」
ずっと泣きそうな顔をしていたのは、これが理由なんだろうか。
気づけば、体が勝手に動いていた。
咲をそっと抱き寄せる。
「ずっと…! ずっと彗くんは私の側にいてくれたのに…! 私は、彗くんが辛いときに、一緒にいてあげられなかったっ…!」
「……ごめんね。そんな風に思わせてしまって」
「わた、私はっ…! 彗くんの助けになってあげられないんだって…!」
「…そんなこと、ない。いつだって助けられてる。いまだって、こんなに幸せなんだよ」
抱き寄せた両腕に、自然と力が入る。
「…好きっ…!私も、好きなのにっ…!! 私で、いいのかなぁ…っ!」
「…咲じゃなきゃ、ダメなんだ。…一緒に、いてほしい」
「…うんっ…! うんっ…!!」
気づけば、また僕の頬を涙が伝っていた。
屋上とは違う。
…これは、嬉し涙だ。
しばらく、そのまま二人で抱き合っていた。
言葉はなかったけれど、それで良かった。こんなにも、心が満たされているのだから。
「……咲」
「……なぁに、彗くん」
「…ありがとう。…好きだよ」
「…ふふっ。私も!」
また両腕に、力が入った。




