第25話 『初デートと…』
体育祭を終えた翌週。咲とデート…に行く日がやってきた。
「あんたまだ用意終わってないの? 咲ちゃん来ちゃうわよ?」
「え、もうそんな時間?」
母さんに声をかけられ、時間を確認するがまだ約束の時間までは30分以上ある。
ピンポーン
「ほら、咲ちゃん来ちゃったじゃない」
「え!? 早くないか…?」
母さんはため息をつきながら首を横に振り、玄関に向かった。
本当にこんなに早く来るとは思わなかった。急いで部屋に戻り準備を進める。
「咲ちゃんいらっしゃい。ごめんね。彗、まだ準備終わってないの。後で怒っちゃっていいからね」
「い、いえ…。私が少し早く来ちゃったので…」
「こんな子が迎えに来てくれるなんて、彗は幸せ者ね」
「駅に向かうなら私が来る方が近いので。お邪魔しちゃってすみません」
「いつでも来てくれていいのよ。それより咲ちゃん、私服姿もかわいいわね〜!」
「あ、ありがとうございます…!」
咲と母さんの会話が部屋まで聞こえてくる。急がせるようわざとなのか、いつもより母さんの声が大きい。
急いで準備を終わらせて、リビングに向かうと咲と母さんがテーブルに座って話していた。
「あ、彗くん。ごめんね、早すぎちゃったね」
視界に入ってきた咲の姿に、釘付けになった。
私服姿を初めて見るわけではない。商店街でも、四人で遊びに行った時にも見た。
でも、今目の前にいる彼女は、そのどれよりもかわいく、愛らしく映る。
「あんた、見惚れてる場合じゃないわよ」
「……そんなんじゃないよ」
母さんからの言葉に、すぐに反応することができなかった。本人を目の前に、やめてほしい。
「……違うの?」
何かを期待するような目で、咲は僕を見つめてくる。母さんはニヤニヤしている。本当に、どうしたらいいんだ。
「……違わない。久しぶりに私服姿を見たから、驚いた。似合ってるね」
「ふふっ、ありがと。彗くんもカッコいいよ」
「キャー!」
母さんが我慢できずに声をあげる。咲は少し顔を赤くしているが、目は逸らさない。
居た堪れなくなり、僕から目を逸らしてしまう。
「……ちょっと早いけど、行こうか」
「うん、そうだね!」
咲は母さんに軽く挨拶をして、二人で家を出た。
「着いた〜!」
「水族館なんていつ以来だろ」
電車を乗り継ぎ、目的地である水族館にやってきた。
今日は甘いものを食べに行くという名目だったが、それだけというのも…というところで、水族館にやって来た。
「私も久しぶりだなぁ。すっごい楽しみ!」
「そうだね。とりあえず中入ろうか」
「うんっ!行こっ!」
入場券を購入し、中に入る。
貰ったパンフレットを二人で見ながら、どうするかを考える。
「あー!イルカショーある!見たい!」
「13時からだから…まだちょっと時間あるね」
「そうだね。それまではゆっくり回っていけばいいかな?」
「そうしようか」
「よーし!じゃあしゅっぱーつ!」
そう言って咲は歩き出す。今日の彼女は本当に楽しそうで、見ていて僕も気分が上がってくる。
彼女の隣に並び、最初の水槽に向かう。途中、アクアゲートと呼ばれる水中トンネルがあり、咲は泳いでいる熱帯魚に目を輝かせていた。
「彗くん!ラッコだ!向こうにはペンギンもいる!」
「どっちから行く?」
「ラッコ! かわいい〜!」
「貝割ってるところは見れないのかな」
「あ、私も見てみたい!」
「……デカいな」
「ね。ジンベエザメ初めて見たけどすごいね」
「あ、咲。あそこ、ウミガメいるよ」
「え!どこどこ?」
「ほら、あの岩の近く」
「ほんとだ!なにも考えてなさそうなくらい、のんびり泳いでるように見えるね」
「カメだって色々考えてると思うよ?」
「例えば?」
「……今日は何食べようかな、とか」
「あはは!人間もカメも変わんないんだね!」
そうして水槽を回っていると、イルカショーの時間が近づいてきた。
ステージに移動し、咲の希望で前目の席に座る。彼女は今か今かと目を輝かせて、ショーが始まるのを待っている。
チラッと周りの様子を見てみると、家族できている人の姿が目に入って来た。
両親に挟まれて、まだ5歳くらいに見える男の子が座っている。
何かを楽しそうに口にしていて、それに応えるようにご両親も笑顔だ。
僕にも、ああいう時期があったんだろうか。水族館に家族で来た記憶はないけれど。
「彗くん? どうしたの?」
「あぁ、ごめん。家族で来ている人がやっぱり多いんだなって」
「そうだねー。今日は日曜日だし、みんな思い出を作りに来てるんだよきっと」
「…思い出か。そうだね。さっきのエイを触った時の咲の反応は忘れないと思う」
「もう!それは忘れてもいいんだよ!……いや、やっぱ忘れなくてもいいかも」
「どっちなの…」
「どっちだろうねぇ。 …あ、彗くん!始まるよ!」
咲が指差す方へ視線を向けると、係の人がステージ上に立っていた。挨拶をして、ショーが始まった。
係の人の指示で、イルカが多彩な動きを見せる。
咲はその一つ一つを声を出しながら、キラキラとした目で見つめていた。
そしてショーも終盤。最後の大ジャンプが行われた。
高く飛び上がったイルカがプールに戻る際、大きく飛び散った水飛沫が、僕たちを軽く襲った。
濡れたな、と感じる程度には水がかかり、無言で二人で顔を見合わせる。
どちらからともなく、声をあげて笑い合った。
ショーの後はクラゲなど穏やかな生物を見てから、水族館を出た。
薄暗い雰囲気がその穏やかさとマッチしていて、僕は一番好みだった。咲も食い入るように見ていて、なんだか微笑ましかった。
そして今は、咲ご所望のケーキバイキングにやって来た。
「何から食べるか迷うな〜」
たくさん並んでいるデザートを前に、心なしか水族館にいた頃より目を輝かせている気がする。
「バイキングなんだし、好きなものから行ったらいいんじゃない?」
「そうなんだけどねー。あんまり食べ過ぎてもなぁって…」
「気にするんだ」
「…そりゃあね。バイキングだと際限なく食べちゃう」
「じゃあ、僕も咲が食べたいやつ取るよ。半分ずつしたらいいんじゃない?」
「いいの!?」
「うん。気に入ったやつはおかわりすればいいと思うよ」
「やったー!じゃあいっぱい取る!」
結局いっぱい取るんだ…とは思ったが、咲の趣味に合わせて皿に盛り付けていく。
一通り取り終わって、席へと戻った。
「おいしい〜」
席に着くなり食べ始めた咲は、これでもかというほど表情を緩めてケーキを頬張っている。
本当に幸せそうに食べる姿を見ていると、それだけで僕の心も満たされていくような気がする。
「はい、彗くん」
すると、ケーキを乗せたフォークが僕に向かって差し出される。
この光景は、見たことがある。
「……え?」
「半分こしてもらうから。ほら、あーん」
確かにそうは言ったが、食べ方がこうなるとは聞いていない。
以前は特に何も考えていないような表情で差し出されていたが、今回の咲の顔には、ほんのり紅がさしている。
「い、いや…。自分で食べるよ」
「…ダメ。あーん」
どうやら、今回は逃してくれないらしい。
湧き上がる感情を抑えつけ、差し出されたケーキを口にする。
…甘い。それしかわからなかった。
さっきまでほんのりと紅かった咲の顔は、真っ赤に変わっていた。
恥ずかしいなら、やらなければいいのに。
そんなことを思ったが、それ以上の幸福感を感じている自分がいることにも気づいていた。
それからは普通に食べた。
咲も何度かおかわりをしていて、終始美味しそうに食べていた。
僕は途中で苦しくなってしまい、半分こするとは言ったものの、あまり役には立っていなかった気がする。
ただそれでも、誘って良かったなと、そう思えた。
「ケーキも美味しかったし、魚もたくさん見れたし、今日は楽しかったなー」
「結局いっぱい食べてたね」
「…明日から控えるから今日はいいの!」
「そんなに気にしなくても十分細いと思うけどね」
「ダメだよ彗くん。そんなこと言われたら油断しちゃう」
駅を出て咲を家に送って帰る途中、そんな言葉を交わす。
油断とはなんだと気になったが、聞かない方がいい気がした。
日が暮れ始めている時間帯の道は、通り慣れたはずなのになぜか新鮮さを感じさせる。
送る時はいつも夜だったからだろうか。いや、私服姿だからだろうか。それとも…。
「……ね、彗くん。ちょっと公園寄って行かない?」
気づけば、公園の近くまで来ていたらしい。
なんだろう。咲の雰囲気がさっきまでとは違って見える。楽しそうだった表情は、力が入っているように見える。
「…大丈夫だけど、どうしたの?」
「…ちょっとね」
その言葉に、少し嫌な予感がした。
だとすれば、彼女のそばにいたい。僕にできることはそれくらいだから。
そこから会話もなく、公園に着いた。あの夜、二人で座ったベンチに腰掛ける。
座ってからも、言葉はなかった。
それでも構わないと、そう思う。話したくなれば、話せばいい。僕はいつまでも待つ。
すると、咲がゆっくりと口を開く。
「……ね、彗くん。彗くんにとって、この公園って…どういう場所?」
…どういう場所か。どういう意味だろう。
「…私はね。嫌なことから始まったはずの場所なの」
「……」
「家にいたくなくて一人でいたら、何も聞かずにそばにいてくれる人が現れて…」
「え…?」
「お父さんに捕まって、どうしたらいいのかわかんなくなっちゃった時に、助けてくれて…」
「……」
「その後も、静かに何も聞かずに、黙って寄り添ってくれた。本当に嬉しかった」
「二人でペアダンスを練習した時間も、本当に素敵だった。嫌なことから始まったはずの場所なのに、今はそれ以上に幸せな思い出でいっぱいなの」
「……彗くん。意味、わかるかな…? わ、私ね…!」
「咲。待ってほしい」
「え…?」
「…僕から、言わせてほしい」
情けない。自分が。本当に。
自分の思いを伝えてくれた咲の表情は、不安でいっぱいになっているように映る。
ここまで言われて、気づかないわけない。咲も同じ気持ちだったことは本当に嬉しい。言い表せないほどに、満たされていく感覚。
ただ、先に踏み込ませてしまった。途中で奪うように自分で伝えるなんて本当に情けないと思うが、どうしても、僕の口から伝えたい。
「……咲。ありがとう。きっと、すごく勇気をだしてくれたよね」
「……うん」
「カッコ悪くてごめんね。咲が頑張ってくれたのに。それでも、どうしても、僕から伝えたい」
「うんっ…!」
「咲、僕は…」
口にしようとした瞬間、
咲の向こう側に、こちらを見ながら歩く男女が目に入った。
見覚えのある顔。見間違えるはずなんて、ない。
「…………父さん」
「…えっ…!?」
咲が振り返ったが、それすら気にならない。
それまで昂っていたはずの幸福感が、スッと引いていくのを感じた。




