第18話 『君が眠るまで』
「やだもう咲ちゃんかわいい〜!!」
「い、いえ…。そんなことは…」
家に着くやいなや、日野さんを母に紹介した。
ご両親も心配するだろう、と母はリビングに着くと日野さんから彼女の母親の連絡先を聞き、連絡を入れてくれた。
日野さんも電話を変わり、公園での出来事は伏せながら事情を伝え、了承を得ていた。
そして、落ち着いてリビングに座ってからというもの、母はずっとこんな調子だ。
母にどう説明したものかと頭を捻らせていたが、まだ少し猶予を貰えているのかもしれないと思うと、正直ホッとする。
日野さんは困ったような顔で僕の方を何度か見てくるが、僕にできることはない。
ごめん、こうなった母さんは僕には止められない。
少し申し訳なさを感じながら、再度母への状況の伝え方を考える。
「いやぁ〜、ほんと。うちの息子にこんなにかわいい彼女さんができるなんて嬉しいわぁ」
「だから、彼女じゃないって何度も言ってるだろ」
「え〜? 彼女でもない女の子をこんな時間に家に連れてくるの〜?」
思わず口を挟んでしまう。
何度か否定しているのに、母は気にする様子も全く見せず楽しそうにからかってくる。
「はぁ…。日野さんからも否定してやってよ」と彼女に伝えるが、
「え、あ、いえ…その…」
と、顔を真っ赤にしながら言葉に詰まってしまう。
やめてほしい。こっちまで恥ずかしくなってしまう。
こういった揶揄われ方をしている時の彼女は、どうにも普段の勢いがなくなってしまうようだ。
「ふふっ。ほんとにかわいいわね。 そうだ、咲ちゃん。お腹空いてない? お風呂もまだなんでしょ? 先に入っちゃう?」
「い、いえ! お邪魔させていただいているだけでも本当にありがたいのに、そこまでご迷惑をおかけするわけには…」
「あら。いいのよ、そんなこと気にしなくて。彗が連れてくる友達は暖大くんくらいだから、本当に嬉しいのよ。ほら、じゃあ先にお風呂入っちゃいなさいな。」
声自体は柔らかいが、有無を言わせない母の雰囲気に圧倒されているのか、日野さんは困ったように僕を見つめてくる。
「うん、ほんとに気にしなくて大丈夫だよ。ゆっくりしておいで」
そう伝えると、彼女は少し考える素振りを見せる。
「じゃあ…お言葉に甘えさせてもらいます」
「うん。じゃあ案内するわね!着替えも私のもので悪いけど、後で置いておくから」
「何から何まで、ありがとうございます」
「いえいえ、じゃあ行きましょうか」
そうして二人はリビングを出て、浴室へと向かった。
人の家のお風呂では難しいかもしれないが、あんなことがあったのだからせめてお風呂だけで でもゆっくりしてほしい。
しばらくすると、案内を終えた母がリビングに戻ってくる。
その表情は先程までの楽しそうな笑顔とは裏腹に、いつになく真剣に映る。
「で、どういうことなの?」
表情だけでなく、声にも重さを感じる。
これだけ猶予を貰ったのだから、答えないわけにはいかない。ただ、やっぱり家族が絡む問題をどう伝えていいのかわからない。
「咲ちゃんの目、赤くなってたわね。まさかとは思うけど、あんたが泣かせたわけじゃないでしょうね」
「誓って、そんなことはしないよ」
母の目を真っ直ぐに見つめて答える。
彼女の泣き顔なんて、もう二度と見たくはない。
少し無言の時間が流れたが、母は僕の言葉に満足してくれたのか、
「よし。まぁ何か事情があるんでしょうけど、今回は聞かないでおいてあげるわ」と答えた。
「……いいの?」
「あんたの顔みればなんとなくわかるわよ。言い辛いことなんでしょう?」
「……まぁ」
「もしあんたが咲ちゃんを泣かせてたなら話は違ったけどね。そうじゃないなら、今回はそれでいいわ」
「……ありがとう」
本当は理由を説明しなければならないはずなのに、こちらの意を汲んでそう言ってくれる母には本当に頭が下がる。
「で、あんた本当に咲ちゃんとはお付き合いしてないの?」
「だから…。何度もそう言ってるだろ」
「はぁ、情けない」
「なんだよ情けないって。日野さんは学校中から人気を集めてるからね。僕なんか眼中にないよ」
そう言うと、母は眉を吊り上げた後に、眉間に皺を寄せる。
「あんたそれ本気で言ってんの? あの反応はどう見たって…」
徐々に声が小さくなっていき、後半はよく聞き取れなかった。
「なに?」
「はぁ…。いや、もういいわ」
何故か呆れた顔をする母が気になったが、気にしないようにした。
「あんた、今日は毛布だしてあげるから、ソファーで寝なさいよ」
「大丈夫、そのつもりだよ」
「分かってるならよし」
満足そうに頷きながら答える母を横目に、部屋の片付けへと向かった。
そして部屋に入り、中を見渡す。
普段は特に何も気にすることもなく過ごしている自分の部屋でも、いざ女の子が入ってこの部屋を使うのかと思うと、埃など、これまであまり意識していなかったものが目につく。
日野さんはこの部屋にどういう印象を持つんだろうか。余計なものはなるべく置かないようにしているが、質素に見えるのだろうか。
彼女といる時に感じる気恥ずかしさとは、また違った種類の気恥ずかしさのようなものが襲ってくる。
一応、念入りに掃除を行い、部屋を出た。
リビングの扉を開けて中に入ると、日野さんが立っていた。
「あ、瀬川くん。お風呂ありがとね」
そう言う彼女の雰囲気に、体が動かなかった。
母のものである少し大きめのサイズのスウェットを着ていて、その髪はまだ乾かしきっていないのかまだ少し湿っていて艶やかに映る。
湯船に浸かったことで、体温が上昇したからだろうか。その頬は桜色に染まっている。
「瀬川くん? どうしたの?」
首を傾げながらそう言う彼女に、また感情が大きく動かされる。
「……ううん。なんでもないよ。僕もお風呂入ってくるね」
「…? うん、いってらっしゃい」
なるべく平静を装って声をかけ、リビングを出て脱衣所へと入る。
「………はぁ」
脱衣所の扉を閉めると同時に座り込んでしまう。
僕だって高校生だ。女の子のあんな姿を見てしまっては、どうしたって思うところはある。
彼女は何も気にしていなさそうだったが、それすらも悪気のない悪意のように感じてしまう。
「……やめよう」
溢れてくる感情を必死に押し殺し、湯船に浸かった。
そしてお風呂を終え、リビングに向かっていると楽しそうな話し声が聞こえてくる。
中に入ると、日野さんと母さんが話していたようで、二人の視線がこちらに向いた。
「あ、瀬川くん。おかえりなさい」
「あんたもうお風呂上がったの? もうちょっと長風呂してくれれば咲ちゃんと二人でもっとお話できたのに」
なぜ不機嫌そうな顔でそんなことを言われなければならないのかわからない。
「もうとっくに日付変わってるよ。日野さんだって眠たいだろうに」
「全然!大丈夫だよ! お母さんとお話してるのすごく楽しかったし!」
「あらやだ咲ちゃん〜!嬉しいこと言ってくれるわね〜!」
「社交辞令だろ」
そう返すと、母は大きくため息をついた。
「はぁ。こんな生意気言う子になっちゃって」
「いえ、彗くんは本当に優しい人ですよ」
その言葉に、また心臓が跳ね上がる。
「もう!ほんとに咲ちゃんは素敵な子ね」
母は嬉しそうに、日野さんに笑顔を向ける。
「ふふっ、じゃあ私もお風呂入ってくるわね。咲ちゃん、おばさんの長話に付き合ってくれてありがとう。彗に案内させるから、今日はゆっくり休んでね」
「何から何まで、ありがとうございます」
「全然、いいのよ」と母は軽く手を振りながら、リビングを出て行った。
「じゃあ、行こうか。僕の部屋で申し訳ないけど、案内するよ」
「うん、ごめんね、ありがとう」
そして部屋に案内し、二人で中に入る。
日野さんはキョロキョロと部屋の中を見渡している。
「…あんまり見られると恥ずかしいんだけど」
「いやぁー、なんかやっぱり、瀬川くんって感じの部屋だね。無駄が一切ないというか」
「面白味がなくてごめんね」
「もう、そういう意味じゃないのに。やっぱりお母さんが言ってたみたいに、生意気かもしれない」
彼女はそう言って笑う。
軽口を言えるくらいには彼女の気持ちも落ち着いているようで、なんだか安心できた。
「じゃあ、僕はリビングで寝るから。何かあったら、遠慮なくリビングまで声をかけにきてね」
そういうと、彼女は俯きだした。
そして、絞り出すような小さな声で
「……じゃあ、私が眠るまで、一緒にいてくれない…?」
もう何度目かもわからないほど、彼女の言葉に心を乱される。
「そしたらね…、落ち着いて寝られる気がするの」
自分の抱いた感情を、恥ずかしく思う。
落ち着いているように見えるとはいえ、あんなことがあったばかりだ。表に出さないようにしているだけで、本当はまだ整理なんてついていないのだろう。
恥ずかしい気持ちはもちろんある。できれば断りたい。
ただ、それで彼女が安心してくれるなら、自分の感情など些細なことのように思えた。
「……寝るまでだからね」
「うん!」
そう言って、彼女はベッドに入った。僕も近くの床に腰掛ける。
彼女は顔を僕の方に向け、何かを考えているように見える。
「……ね、瀬川くん」
「……なに?」
「あの、ね。 手…握っててくれない?」
「……どうして」
「…なんかね。安心できる気がするの」
そう言って布団の間から彼女の左手が差し出される。
僕は、何も言わず彼女の左手に、自分の左手をそっと重ねる。
「ふふっ…。彗くんの手、あったかいね」
「……そりゃあ、さっきまでお風呂入ってたからね。……そんなことより」
「…うん?」
「……名前。リビングでも呼んでたけど」
「…ほら、今はこの家にいるお母さんも、彗くんも、どっちも瀬川でしょ。だから、分かりやすい方がいいかなって」
「……そういうものかな」
「そういうものだよ」
穏やかな表情で、声で。そう伝えてくる彼女。
僕だけがこんな気持ちになっているのだろうか。そう思うと、なんだか少し納得がいかない。
「………咲」
彼女の左手が、少し強張った。でもすぐに、また柔らかくなる。
「ふふっ。…なぁーに、彗くん」
「……なんでもない」
「そっか」
自然と、重なった二人の左手に力が入ったような気がした。
会話は続かない。
でも、それすらも心地よく感じる。
繋いだ手の温もりを感じたまま、気づけば二人とも、そのまま眠りについていた。




