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サボテンの花  作者: みるきー


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第17話 『嫌じゃないよ』

「彗!もう起きなさい!遅刻しちゃうわよ!」


 普段はほとんど聞くことのない言葉とともに、掛け布団がバッと取り払われる。


「……母さん」


 まだぼんやりする頭。ゆっくり目を開けると母の姿が飛び込んでくる。


「あんたが寝坊するなんて珍しいわね。夜更かしでもしてたの?」


「いや……。そういうわけじゃないんだけど…」


「ふーん。まぁこういう日もあるわよね。ほら、さっさと起きてご飯食べなさい」


 そう言って母は部屋を出ていく。


 寝坊なんていつぶりだろう。二人で生活をするようになってからはほとんどこんなことなかったのに。


 少し重たく感じる体を動かし、カーテンを開ける。外の景色を確認すると、雲がどんよりとしていた。


 昨日の天気予報では晴れとなっていたはずだが、今にも雨が降って来そうな暗さだ。


「…なんか、こういう感覚は久しぶりだなぁ」


 少し下がってしまった気分を振り払うように、顔を両手でパンっと叩く。


 気持ちを切り替え、部屋を出る。用意してもらった朝ごはんを食べ、学校へと向かった。




 キーンコーンカーンコーン



 6時間目の終了を告げるチャイムが鳴った。


 なんだかんだ雨も降らず、朝に感じた気分が下がるような感覚は杞憂だったのかと思うほどに、いつも通りの日常だった。


 少し安堵したような気持ちを抱えながら、日常となった別れの挨拶を日野さん達と交わし、バイト先へと向かう。



 そしてバイトが終わり、今は帰路に着いている。


 今日はお客さんが多くて、いつもより少し疲れた気がする。結局雨が降らなかったことも、お客さんが多かった要因の一つだったんだろうか。


 そんなことを考えながら歩き、近道にしている公園の通りに差し掛かった時。


 悲鳴にも近い、つんざくような声が聞こえた。


「やだっ! 離して!!!」


(この声は…!)


 声を聞いた瞬間に、走り出していた。


 目に入ってきた公園の中に視線を向けると、少し大柄な男に左腕を掴まれ、必死に抵抗している日野さんの姿が目に入る。


 その姿に、視界の端の景色が急速に色を失った。


「なにしてるんですかっ!?」


 考えるより先に、体が動いていた。


 日野さんを掴んでいた男の腕を掴み、なんとか二人の間に割って入ろうとする。


「せ、瀬川くん………?」


 涙の混じった弱々しい声で、僕の名前を呼ぶ日野さん。


 男は手を離し、少し後ずさる。

 

 僕は彼女を庇うように、左手で彼女を自分の背中に隠すように抑える。


「なんだね、君は」


「この子のクラスメイトです」


 苛立ちのようなものを隠さずに低い声で威圧するように声を発した男に、臆さず目を見て伝える。


 すると男は、目を細め怪訝そうな顔つきで僕の顔を眺める。


「その顔は…。以前もこの辺りで咲といるところを見たな」


 言葉の意味がわからない。


 僕はこの男を見たのは初めてだ。いや、そんなことより気になるのは、なぜ日野さんの名前を知っているのか。


「ふんっ。咲のクラスメイトか何か知らないが、家族の問題に口を挟んでくるんじゃない」


 浮かんでいた疑問の答えは、言葉として返って来た。


 その言葉に驚き、ゆっくりと顔だけを日野さんの方へと向ける。


「……この人…お父さんなの…」


 そう伝えてくれた日野さんはまだ俯き、声にも涙が隠せていない。


(この人が、浮気をしたっていう日野さんの…)


 突然の告白に、思考がまとまらない。日野さんの様子を伺っていると、彼女の父だという男性は怒りを隠す素振りさえ見せず、言葉を続ける。


「咲、いいから家に戻って話を聞きなさい」


「だから、今日は遥香の家に泊まるって言ってんじゃん!!!」


「そうやっていつまでも逃げるから話が進まないんだろう!!」


 必死に虚勢を張り、涙ながらに叫ぶ日野さん。


 彼女の父もそれに呼応するかのように、語気の強い言葉で返す。


「そうやっていつもお母さんのいない時にばっかり話って…! 何を聞けばいいのかわかんないよ!!!」


 悲痛とも取れるその言葉に、彼女の父もバツが悪くなったのか、大きく舌打ちをして黙った。


 こんなに感情を露わにする彼女を見るのは初めてだ。


 いつも明るく笑顔で、周りにいる人を笑顔にしていく彼女が。今は怒りを隠さず、必死に抗っている。


 心が痛む感覚を覚えながら、彼女の父の様子を伺う。


 先程までは僕も必死で気づかなかったが、彼の顔はかなり赤くなっており、薄々感じていた臭いも相まって、怒りだけではなくお酒を飲んでいるのだろうということが伝わってくる。


 家族のことに口を挟むべきではないことは分かる。ただ、こんな状態で冷静な話し合いなんてできるのだろうか。


 思考なんてまとまらない。でも、それ以上に、日野さんを苦しめる状況からなんとか脱したい。


「……あなたの仰ることはごもっともです。ただのクラスメイトの僕が、家族の問題に口を挟むべきじゃない。その通りだと思います」


 彼は睨みつけるような視線を僕に向けてくる。


 ゆっくり、深呼吸をする。


「ただ…。娘さんに対し、そんなに声を張り上げてしまうような状態で、冷静な話し合いができるとも思えません」


「子どもが生意気なことを言うんじゃない!!!」


「咲さんはっ!!」


 自分でも驚くくらい、大きな声が出た。


「いま、こんなにも怯えてしまっています。彼女の姿を、ちゃんと見てあげてもらえませんか…?」


 その言葉に、彼女の父はハッとしたように日野さんに視線を向ける。


 僕の後ろで、体を縮こまらせて怯えるように父を見つめる姿を初めて冷静に捉えることが出来たのか、その表情から少し赤みが引いていった気がした。


「咲…」


 自分のしたことを受け止めることができたのか、その声には先程までの怒りは感じない。


「咲さんのことが心配なら、僕が彼女を穂波さんの家まで送り届けます。ですので、お願いします。今は彼女の気持ちを尊重してあげてもらえませんか…?」


 その言葉に、彼女の父は何かを言いそうになったが、グッと押し殺すように黙る。


 そして彼は公園の外へと視線を向けた。


 僕も釣られて同じ方向を見ると、数人、こちら見ている人影が映る。


 その状況に気づいた彼は少しの沈黙の後、


「………たしかに、君の言うことにも一理あるかもしれない」と言い聞かせるように呟いた。


「……咲。すまなかった。……明日には、ちゃんと家に帰って来なさい」


 そう言って彼は僕の顔をもう一度見て、ゆっくりと公園を後にした。


 彼女の父が去って行ったこともあり、僕たちの様子を見ていた人達もゆっくりと立ち去って行った。


 僕は日野さんへと向かい合い、声をかける。


「日野さん、大丈夫?」


 俯き、涙を流している彼女は答えない。


 張り詰めていた空気から解放され、強張っているように見えていた彼女の体はいま、少し緩んでいるようにも見えるが、まだ気持ちを落ち着かせるための時間が必要だろう。


「とりあえず、座ろうか」


 その言葉にゆっくりと頷いてくれた彼女をなるべく刺激しないよう、優しく手を引いてベンチへ向かい、二人で腰掛ける。


 そうして、時折彼女の様子を伺いながら、しばらく無言の時間が流れた。


 すると彼女は、まだしゃがれた声で小さく呟く。


「瀬川くん…、ごめんね…。」


「日野さんが謝ることじゃないよ。悪いのは…って言い方も良くないね。ただまぁ、気づけて良かったよ」


「……うん。本当にありがとう…」


 ゆっくり、絞り出すように声を出して言葉にする日野さん。


 また少しずつ、話し出す。


「この前に言ってた離婚の話ね…。もう、だいぶそういう方向で進んでて…」


「うん」


「最近は…どっちが私を引き取るのか、ってことでずっと言い争ってて…」


「……」


「私は、離婚の原因を作ったお父さんについていくなんて、絶対できなくて。お母さんの方についていく、って言ってたの」


「うん」


「でもね…。お父さんはそれを認められないみたいで…。今日みたいにお母さんのいない日に、ずっとこっちに来いって言ってきてて…」


「……」


「だからお母さんが遅くなったりする時はね…時間を潰したり、遥香の家に泊まらせてもらったりしてたの」


「うん」


「でも今日は、お母さん、急に帰るのが遅くなっちゃったみたいで…。それに気づいたお父さんが、また詰め寄ってきてたの」


「うん」


「それが嫌で、家を飛び出しちゃったの」


「……」


「まさか、こんなところまで追いかけてくるとは思わなかったけどね」


 そう言って彼女は、顔を上げた。


 必死に笑顔を作ろうとしているが、その顔はまだぐちゃぐちゃで、普段の見慣れた表情からはあまりにもかけ離れていて、胸が痛くなる。


「ここまで来てくれて、本当に良かった。…じゃないと、気づけなかったから」


 気づけば自然と、右手が彼女の頭の上にいった。


 頭に手を乗せられた彼女の表情は、また崩れていく。


「優しすぎるよぉ……」


 また泣き出してしまった彼女は、ゆっくりと僕の方へと体を傾け、隠すように顔を僕の胸に預けた。


 彼女のその行動に、心臓が跳ね上がる。


 ただ、これで落ち着いてくれるなら、と右手は頭に乗せたまま、彼女を受け入れる。


 そうしてそのまましばらく過ごしていると、彼女がゆっくりと離れる。


 その顔は、まだ涙でぐしゃぐしゃだったが、先程までよりはだいぶ明るく映る。


「へへっ…。男の人に胸を借りて泣くなんて初めてだ」


 笑いながらそう言う彼女に、なるべく普段通りにしようとしているんだろうということが伝わってくる。


「それは、光栄なことだね」


 僕も普段通りを意識し、なるべく軽く返す。


 その言葉を聞いた彼女の表情は、また柔らかくなっていく。言葉はないが、随分落ち着いたみたいだ。


「落ち着いたなら、穂波さんの家に向かおうか。歩ける?」


 そう声をかけると、「あっ…」と彼女が固まった。


「じ、実はそれ、咄嗟に出ちゃった嘘なんだよね……」


「……え?」


「ど、どうしよう瀬川くん…!何も考えずに家を出ちゃったから、スマホも持ってないや…!」


 そういう彼女の顔は、先程までとは打って変わり焦りに満ちている。


「じゃあ、僕のスマホで穂波さんに連絡してみようか。ちょっと待ってね」


「う、うん…。ごめんね、ありがとう」


 そう言い、穂波さんに電話をかけるが、繋がらない。


 時刻を確認してみると、すでに23時を回っている。もう寝てしまっているのかもしれない。


「……繋がらないね。もう寝ちゃってるのかも」


「ど、どうしよう…!?」


 こうなってしまっては、取れる手段は一つしかない。


「………日野さん、うちに来る?」


 日野さんが固まった。


「い…いやいやいや!そこまで迷惑はかけられないよ!」


「でも、穂波さんにも連絡がつかないし…。いつまでもここにいる訳にもいかないでしょ?」


「そ、それはそうかもだけど…!」


「こんな時間に男の家に来るなんて嫌かもしれないけど、日野さんを一人で放っておくこともできないから。母さんには僕から上手く伝えるから、気にしないで」


 彼女は俯き、少し考える。そしてゆっくりと顔を上げ、申し訳なさそうな表情で


「…じゃあ、お言葉に甘えさせてもらってもいい…?」


「もちろん」


 そう告げ、母さんには人を連れていく旨の連絡を入れる。


「じゃあ、行こうか」


「…うん、ありがとう」


 そして二人で公園を出て、家に向かって歩き出す。


 さて、家に着いた後、母さんにはどう詳しく説明したものかなと考えていると、日野さんが声をかけてくる。


「…瀬川くん、さっきのね」


「うん?どうしたの?」


「…嫌かもしれないけど、って瀬川くんは言ったけど。全然、嫌じゃないよ」


 そういう彼女の表情は公園で会って以来、一番眩しかった。


「……そっか」


 照れ臭い気持ちを隠すかのように、素っ気ない返事しか出なかった。

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