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サボテンの花  作者: みるきー


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第19話 『名前で呼んでほしいらしい』

「ん…」


 カーテンの隙間から差し込む朝の日差しからの刺激で、目を覚ます。


 繋いだままの左手の感触に、昨夜のことが思い出される。


 どうやら、そのまま眠ってしまっていたらしい。


 ベッドを確認すると、日野さんはまだ眠っている。起こさないよう、なるべく音を立てないように、体の向きを変えた。


 すぅ…すぅ…と小さな寝息を立て、とても穏やかな表情で眠っている彼女の様子に安堵する。


 公園での出来事について、忘れることなんてできないだろうが、この時間が少しでも彼女の心を癒してくれているといいのだけれど。


 そんなことを考えていると、彼女の左手に少し力が入った気がした。


 起きたのかな、と思って再度寝顔を確認するが、変わらず穏やかなままだ。


 当たり前と言えば当たり前なのだが、女の子の寝顔を見るのは初めてだ。


 そう考えると、いま僕が彼女の寝顔を見ているという状況は如何なものなのだろうか。


 申し訳ないような、恥ずかしいような、嬉しいような。


 ただどうにも、安心したように穏やかに眠る彼女の寝顔から、目が離せない。本当に…。


「…かわいいな」


「そうね。本当にかわいいわね〜」


 突然聞こえた声に、全身の毛が逆立つような感覚に襲われる。


 おそるおそる後ろを振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべる母がいた。


「い、いつからそこに……?」


「あんたが『…かわいいな』って呟くちょっと前から」


 部屋に入った母に気づかず、独り言を聞かれてしまうなんて、ここ最近で一番の失態だ。


 自分の家で、部屋で。母もいるのに。この状況では、どんな勘違いをされたとしても言い訳ができない。


「あんた、他になにもしてないでしょうね」


「するわけないだろ!」


「うぅん…」


 つい出てしまった大きな声に、日野さんが反応してしまった。


「……彗くん…? おはよぉ…」


 まだ寝ぼけているのか、母に気づいた様子もなくおっとりとしたトーンでそう言う彼女。


「…うん、おはよう」


「へへっ…。いい朝だね…」


 まだベッドに横たわったまま、柔らかい表情だ。


 そう思ってもらえていることは嬉しい。嬉しいのだけど、この状況では手放しに喜ぶこともできない。


「咲ちゃん、おはよう」


 聞こえた母の声に、日野さんは目を見開き、バッと勢いよく起き上がる。


「お、お母さん…! お、おはようございます…!」


「うん、おはよう。ゆっくり眠れたかしら?」


「は、はい…!」


「なら良かったわ。朝ごはんも作ってるから、手を離したら食べにおいでね」


 最後の言葉に、僕たちの視線が勢いよく左手に向かう。母はそんな様子を見て満足そうに部屋を出ていった。


 呟いた言葉を聞かれたことに驚きすぎて気にする余裕がなかったが、どうやらずっと手を握ったままだったらしい。


 日野さんも母に見られた恥ずかしさからか顔を真っ赤にしているが、お互い、手を離す素振りはみせない。


「……ごめんね、朝から忙しなくて」


「う、ううん…! 全然、大丈夫…!」


「ちょっと迂闊すぎたね。……ゆっくり眠れた?」


「うん、彗くんがいてくれたから。お願い聞いてくれてありがとね」


「なら良かった。朝ごはん、食べに行こうか。日野さん、立てる?」


「………」


 どうしたんだろう。普通に会話をしていたのに、返事が返ってこない。


「………名前」


「え?」


「名前。寝る前は呼んでくれたのに」


 わざとらしく顔をしかめながら続ける彼女の言葉に、ドキッとした。


 確かに昨夜、彼女の名前を、口にした。


 ただそれはその場の雰囲気に流されて…。いや、そんな不誠実なことを伝えて彼女の機嫌が直るわけもない。


「……咲。朝ごはん、食べに行こうか」


「うん!行こっ、彗くん!」


 満面の笑みでそう答える彼女にまた心を乱されながら、立ち上がってリビングに向かった。



 そしてニヤニヤしている母の前で二人で朝食を食べた。


 部屋を出る時の最後の言葉以降、こちらをからかうようなことがなかったのは救いだった。


 しばらく三人でゆっくり過ごし、咲を家まで送って行くことに。


「咲ちゃん、またいつでも遊びに来てね」


「本当にお世話になりました。またぜひ、お邪魔させてもらいますね」


 最初は遠慮していた彼女だったが、また来たいと思えてもらえてホッとした。


 今度うちに来る時は、今回のような原因はごめんだけれど。


「じゃあ、行こうか」


「うん。お母さん、本当にありがとうございました」


 律儀に再度お礼を伝える彼女に、母はひらひらと手を振って返す。


 そうして、二人で咲の家に向かって歩き出した。


「彗くんにもお母さんにも、たくさん助けてもらっちゃった。本当にありがとね」


「ううん。気にしないで。母さんも言ってたけど、またいつでも来てくれていいから」


「ふふっ、そう言ってもらえて本当に嬉しい。居心地良すぎて、入り浸っちゃうかも」


「それは……ちょっと遠慮してほしいかな」


「えー、お母さんはいいって言ってくれそうだったよ?」


「母さんは……。たしかに、言いそうだね」


「でしょ。」


「まぁ、さすがに冗談だけどね」と彼女はニコッとしながら付け加え、少し前を歩く。


 その足取りの軽さは、公園でのことなど気にも留めていないように見えるほどに快活だ。


 ただ、手放しに安心することもできないなと思う。


 寝る前に一緒に居てほしいと頼んできたように、心の中はまだ整理がついていないかもしれない。


 今後、彼女の小さな変化にも気づけるようにしないと。


 そうして、咲を送っていく際、いつもなら別れる角までやってきた。


「彗くん、いつも通り、ここまでで大丈夫だよ」


「…ううん。今日は、家の前まで送らせてほしい」


「本当に大丈夫だよ? 今はお母さんしかいないだろうし…」


「…それでも、心配だから」


 その言葉に、彼女は目を見開く。


 ただ驚いたのも一瞬で、すぐに柔らかい表情に戻った。


「…えへへ。じゃあ、お願いしよっかな」


 こっち、と言って彼女は歩き出した。


 彼女の隣に並び、普段は通ることのない道を歩いていく。


 そうして10分ほど歩いたところで、咲が足を止めた。


「ここ、私の家」


 彼女の視線の先に目を向けると、大きめの一軒家が建っていて、表札には『日野』と書かれたプレートがある。


「これで彗くんも、私の家にいつでも来れるね」


「さすがにそんな機会はないと思うけど…」


「もう、そこは嘘でも『そうだね』って言ってよ」


 何故か膨れっ面の咲。どうやら返事を間違えてしまったらしい。


「……そうだね」


「ふふっ、そのまんまだ」


 なかなか難しい。ただ、いま笑顔の咲を見ていると、これでいいのだろう。


「……ね、彗くん」


「なに?」


「…最後にもう一回だけ、手を握ってもいい?」


「……お望みなら」


 そう言って、左手を差し出す。


 彼女は右手を差し出し、僕の左手を握った。


 これじゃあ、まるで握手みたいだな、なんて思っていると、握られた手に、彼女の左手が添えられる。


 優しく、包み込むように。


「…彗くんの手、おっきいね。やっぱり安心する」


「咲の手が小さいんだよ」


「ふふっ、今の返しは100点あげる」


「…そりゃどうも」


「あ、照れてる」


「…気のせいだよ」


 楽しそうな彼女の様子に、目が離せない。


「ふぅ。ちょっと名残惜しいけど、誰かに見られちゃっても恥ずかしいし、ここまでにするね」


 そう言って彼女は握っていた手を離す。


「ほんとにありがとう。じゃあ私、行くね。彗くんも気をつけて帰ってね!」


 そうして離れた彼女は、家の扉を開けた。扉を閉めながら、僕に手を振ってくる。


 扉が閉まるまで、僕も手を振って返した。


「……ふぅ」


 ため息とは違う、気の抜けたような息が出た。


 高鳴り続けていた鼓動を落ち着かせるように、歩きだす。


 そうして少し歩いたところで、スマホが鳴った。


『瀬川くんごめん〜。寝ちゃってた〜』


 届いたメッセージを確認すると、穂波さんからだった。


 そういえばいろいろありすぎてすっかり忘れていたが、穂波さんに連絡を入れていたんだった。


『遅い時間に連絡しちゃってごめんね。日野さんの代わりに連絡したんだけど、もう大丈夫だよ』


 そう返事を入れると、すぐまたスマホが鳴る。今度はメッセージではなく、着信だった。


「もしも…」


「咲の代わりってどういうこと!? 咲になにかあったの!?」


 勢いよく言葉にする穂波さんに、自分の送ったメッセージの浅はかさに嫌気が差す。


「あ、その…」


「その反応、何かあったんだね。咲の家族のこと?」


 図星をつかれ、言葉が出なかった。


「…そういうことなんだね。大丈夫だよ瀬川くん。私も咲の家庭の状況は知ってるから」


「…そうだよね」


「瀬川くん、今日この後時間ある?ちょっと会って話そう」


「…わかった」


「ありがと。じゃあ場所はメッセ入れておくね。よろしく」


 そう言って、穂波さんは電話を切った。


 気をつけていたはずなのに、軽率だったと思う。相手が穂波さんだったのが、不幸中の幸いだろう。


 届いたメッセージを確認し、記載されている場所に向かって歩き出した。

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