第11話 『勉強には甘いものが必要らしい』
文化祭を終えた翌週、金曜日の放課後。いつもならバイトをしているか、出された課題をこなしているか。そんな普通の日常を過ごしているはずだった。
なのに気がつけば、目の前に非日常が広がっている。
右隣には暖大。向かいの右側に穂波遥香。そして正面には、日野咲。
三人がそれぞれ教科書やノートを広げながら、時折顔を上げて言葉を交わしている。
その光景を眺めながら、なんでこんなことになったんだろうと、三日前の昼休みを思い返す。
昼食を食べ終えて、机に頬杖をついて外を眺めていたとき、慌てた足音が近づいてくる。
「頼む、慧!助けてくれ!!」
迫真の表情の暖大が、こちらの両肩に手を置いてくる。なんのことかは容易に想像がつく。
「毎度毎度、なんでそんなことになるんだよ」と思わずため息がでる。
「いやぁ、その……やろうとは思ってたんだぜ?ただ、教科書開いてもなんのこっちゃって感じで……」
「前回と同じこと言ってるぞ、お前」
「えへへ」
ニコッと笑って誤魔化そうとするが、この流れももはや何度目かもわからない。
「ごまかすな。知らん、今回は一人で頑張ってみろ」
席を立ちかけると、バッと左手を掴まれる。
「ほんとに頼むよ!慧だけが頼りなんだ!今回だけでも……!」
このセリフも前回聞いた。その前も聞いた。聞くたびに断ろうと思って、聞くたびに折れている。我ながら甘いと思う。
「はぁ、今回でほんとに最後だからな」
「さすが慧!愛してるぜ!」
パッと暖大の表情が明るくなる。なんか犬みたいだな、と思ったが口には出さず、「じゃあ僕は自販機行ってくるから」と背中を向けた。
「おう!また連絡するなー!」
廊下に出ても声が届いてきたが、特に反応せず、自販機へ向かった。
ブラックコーヒーを取り出して顔を上げると、後ろに日野さんが立っていた。
「タイミングを合わせてるのかと思うくらい、一緒になるね」
「まっさか〜。たまたまだよ、たまたま!」
彼女はいちごオレのボタンを押しながら、「片山くんと勉強会するんだね」と話しかけてきた。
なんで知ってるんだろう、と不思議に思ったが、あれだけ大きな声で頼み込んでいれば、聞こえるか、と変に納得して、「まぁ、毎度のことだよ」と返す。
「瀬川くん、最初はめんどくさそうにしてたけど教えてあげるあたり、やっぱり優しいね」
紙パックにストローを通しながら、日野さんが言う。
「まぁ、断っても了承するまでずっとひっついてくるからね、あいつ」
やれやれといった感じで首をゆっくり振ると、日野さんは
「そうやってちゃんと付き合ってあげる瀬川くんは、やっぱりサボテンだね」と柔らかい表情で言葉にする。
そういえば、前にも言われたな。すっかり忘れていた。どういう意味なのか、今なら聞けるかもしれない。
「なぁ、そのサボテンみたいって前にも言われたけど、どういう意味なの?」
すると彼女はべーっと舌をちょっとだけ出しながら、「教えないよーっ」と続けた。
そのしぐさに、一瞬だけ動揺してしまう。まぁ後で調べればいいか、と思考を切り替え、その動揺を悟られないように、「そういえば日野さんはテスト、大丈夫なの?」と話を変えた。
それまで楽しそうにしていた彼女の表情が固まる。視点の定まらなくなった目で、「い、いやぁー、全然、大丈夫だよ!?」と先ほどまでより上擦った声で言ってくる。
(あぁ、これはダメなやつだ)、と直感的に感じた。
「……普段は学年で何位くらいなの?」
「………200位くらい」
呟くような、とてもか細い声だ。
この学年は300人ほどだから、下から数えた方が早い。でも、人には得て不得手というものがある。誰もが持っている自分だけの才能というのがある。人から自然と好かれる才能を持つ彼女が、勉強の才能には恵まれなかった。それだけの話だ。
「あー……じゃあまぁ、頑張って」
俯いていた日野さんがバッと顔を上げる。
「せ、瀬川くんさえ良ければ、勉強を教えてもらえませんか!?」
これまた迫真の表情だ。さっきの暖大とそっくりな目をしている。
今日は似たようなことが何度も起こるな、と妙な感慨を覚えながら、返答を考える。
頼みを聞いてあげたい気持ちはある。でも、すでに暖大と約束をしてしまっている。
「いいじゃん、日野さんも含めて一緒にやろうぜ」
どうしようか考えていると、後ろから声がした。どこからともなく現れた暖大が、何も考えていないような顔で立っている。
「おまえ、それだと日野さんが一人で気まずくなっちゃうだろ」
「そう?じゃあ日野さんも、誰か仲のいい女の子一人連れてきたら?」
日野さんは呆気に取られたような顔をしていたが、「えっと……二人がそれでいいなら」と答える。
「だってさ。どうするよ、慧」
「はぁ……日野さんがそれで大丈夫なら、僕はいいよ」
こうなった暖大は止まらない。変に止める方が無駄というものだ。
「よしっ!じゃあそういうことでいこうか」
暖大が日野さんに向かって言い切る。
「う、うん。せっかく二人でやる予定だったのに、ごめんね?ありがとう」と返すが、その表情はわずかに強張っている。
急に人数が増えて、戸惑っているのだろう。
そういえば、暖大と日野さんが仲良さそうに話しているところは見たことがない気がする。それも原因だろうか。
「大丈夫、気にしないで。こいつ、こうなったら止まらないから」
そう伝えると、彼女の表情は少しほぐれ、笑顔がこちらに向いた。
「じゃあ連絡を取り合えるようにしないとだな。日野さんは慧の連絡先知ってるの?」
「え。いや、そういえばまだ知らないね?」
そう言い、日野さんがこちらを見る。そういえば、まだ連絡先は交換していなかった。意識して避けていたわけではないが、機会がなかった。
というか、連絡先も知らないまま待ち合わせをして、商店街を二人で歩いていたのか、と今更ながら思う。
「……じゃあ、日野さんがいいなら交換しようか」
スマートフォンを取り出すと、彼女は「うん、よろしくね!」とパッと明るくなった笑顔。
連絡先を交換し、「じゃあまた連絡するね〜!」と言い残して教室に戻っていった。
そんな様子を尻目に、「どういうつもりだよ」と暖大に声をかける。
「いやぁ、まさか連絡先も交換してないとは思わなかったなぁ」
と本人は気にした様子もなく両腕を頭の後ろで組んでいる。
「ま、一人に教えるのも二人に教えるのも大して変わんないだろ?」
「変わるだろ」
「まっ、よろしくな、先生!」
屈託のない笑顔で言ってくるのを見て、今日何回目かわからないため息をついた。
そういう経緯があって、今に至る。
「瀬川くん、ごめんね。お家にお邪魔することになっちゃって」
日野さんが申し訳なさそうに口にする。
「うちもごめんね〜、咲に勉強会しようって誘われた時は、こんなことになるなんて思わなかったよ」
隣に座った穂波遥香が続けた。日野さんの親友だという彼女は、明るくよく笑う女の子で、また違う種類の快活さを持っていた。
「いいよいいよ全然!気にしないで!」
「それは僕のセリフだろ」
何故か先に答えた暖大に思わずツッコミを入れると、暖大は大袈裟に驚いてみせた。
そのやりとりに、緊張気味だった二人の表情がほぐれたのか、クスッと小さな笑い声が聞こえる。
「ほんとに仲いいんだね、二人は」
「ね、うちもびっくりしちゃった。咲から軽く聞いてはいたけど、ほんとに教室とは雰囲気が違うね、瀬川くん」
「ちょ、ちょっと遥香!」と慌てて止めようとする日野さんの表情は、わずかに朱を帯びているようだ。
「ふふっ、いいじゃん、ほんとのことなんだし」
そういって穂波さんはいたずらっぽく笑う。
何を言っているのか気になったが、聞いてはいけない気がする。
「まぁ、勉強始めようか」と声をかけると、「はーい」と暖大と穂波さんが返事をした。日野さんはまだ少し頬を赤らめたまま、ノートを開く。
勉強が始まって少しすると、質問が飛んできた。
「なぁ慧、ここどうやんの?」
「ねぇ瀬川くん。ここの英文ってどう訳したらいいのかな」
「片山くん、それはうちが教えてあげよう」
どうやら穂波さんはそれなりに勉強ができるらしく、暖大の質問を引き受けながら丁寧に説明していた。助かった、と思いながら、日野さんの英文の方に向き合う。
「この構文は……」
「うん、うん……」
彼女は真剣な顔でノートにメモを取りながら聞いていて、授業中や廊下で見る表情とは違う、ひたむきな目だった。こういう顔もするんだな、なんて思いながら説明を続ける。
そんな調子で二時間が過ぎた頃、「あー、疲れた。慧、みんなもちょっと休憩しようぜー……」と暖大がだらりと机に倒れ込んだ。
「そうだね。二人もそれでいいかな」
日野さんの方を見ると、「つ、つかれた……」と魂が抜けたような顔をしている。
「うん、そうしよっか!」
穂波さんは変わらず元気そうだ。
「なぁ慧、いつもみたいになんか作ってくれよー」
暖大が間延びした声で言う。まったくマイペースな男だと思いながら、立ち上がりかけると、「え、瀬川くんって料理もできるの?」と穂波さんが驚いたようにこちらを向く。
日野さんも面食らったような顔でこちらを見ている。そんな表情もするのか、と少しおかしくなった。
「まぁ、簡単なものなら……。でも暖大に勉強の時にいつも出してるのは、簡単なおやつとかだよ」
「え、それ料理よりレベル高くない……?」
穂波さんが目を丸くした。日野さんも「ぜ、全部が負けてる……」と落ち込んだような表情をしている。
「い、いや、ほんとに簡単なものだから……」
「いいからいいから、ほら慧、よろしく〜」
暖大が伸びをしながら言い切った。こちらのことなどお構いなしだ。
「はいはい。何が出てきても文句言うなよ」と返して、キッチンへ向かった。
パンケーキを四枚焼いて、生クリームを添えてブルーベリージャムを横に置いた。
テーブルに戻ると、穂波さんが「すごいすごい!お店みたいじゃん!うちこんな風にできないよ〜」と身を乗り出してきた。
日野さんは「す、すごすぎる……」と固まっている。
「そうだろうそうだろう!慧はなんでもできちゃうんだぜ」
「なんでお前が得意げなんだ……」
「俺はこんなにできる友人を持って誇らしいよ……」
上目遣いで言ってくる暖大を「はいはい」と軽くあしらって、「ほら、口に合うかわからないけど、二人も気にしないで食べて」と声をかける。
「いっただっきまーす!」
その言葉を皮切りに、穂波さんが元気よく食べ始めた。
日野さんもおそるおそるといった様子でフォークを持ち、切り取ったパンケーキを一切れ、口に運ぶ。
次の瞬間、目が見開かれた。
「お、おいしすぎる……!」
さっきまでの疲れ切った顔が、嘘みたいにとろけたような柔らかい表情に変わる。その変わりようがあまりにも幸せそうで、見ていると思わず嬉しくなる。
「よかった。ごめんね、今日はいちごがなくて」
「全然!ブルーベリーも美味しいね!」
その瞬間、視界の端でニヤニヤした顔が二つ、こちらを見ていることに気がつく。
「慧くん、日野さんがいちご好きだって知ってるんだね〜」
暖大がにやけた表情のまま言った。
その言葉にハッとし、「そ、そりゃいつもいちごオレ飲んでるし、パフェだって……」
言いかけると、暖大と穂波さんのにやけ顔がさらに深くなる。
「ふーん、瀬川くんは咲とパフェも食べたことがあるんだね〜」
彼女はおっとりした口調で畳み掛けてくる。
僕だけではどうしようもない。助けを求めて日野さんの方を見ると、フォークを口に咥えたまま、顔を真っ赤にして俯いている。
ダメだこれは、と悟った。
「それ以上言うなら下げるぞ」
なんとか平静を装って言うと、暖大と穂波さんがダメダメ、とでも言うように両手でパンケーキを抱え込む仕草をする。
そんな様子にため息をついて、「食べたらもうちょっと頑張ろうか」と声をかけた。
それからは四人で他愛のないことを話しながら、休憩時間を過ごした。日野さんの顔が元の色に戻るのには、少しだけ時間がかかっていた。
それからもう一時間ほど勉強をして、お開きになった。
「慧、またよろしくな〜」
「瀬川くんご馳走様でした〜」
暖大は軽く、穂波さんはおおよそ勉強をしに来たとは思えないお礼を言って帰っていった。
日野さんは玄関先でもう一度こちらに向き直り、「瀬川くん、お邪魔しちゃってごめんね。パンケーキも美味しかったよ、ありがとう」と丁寧に頭を下げてから帰っていった。
後片付けを済ませ、諸々のしないといけないことに取り組む。そうしていると遅い時間になり、寝ようかとベッドに入ったとき、スマートフォンが鳴った。
画面を見ると、日野さんからだった。
『瀬川くん、今日は本当にありがとう!』
帰り際にも言っていたのに律儀だな、と思いながら返事を考えていると、続けてメッセージが届いた。
『パンケーキも本当に美味しかったし、勉強も私にしては珍しく進んじゃって、本当に楽しかった!』
「私にしては」という一文に、思わずフッと息が漏れた。
こういう非日常も、悪くないかもしれない。
そんなことを考えながら、適当に返事を打ち、スマートフォンを置いて眠りについた。




