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サボテンの花  作者: みるきー


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第10話 『お化け屋敷と、溢れた笑顔』

「じゃあ……この後、一緒に文化祭回らない?」


 廊下の喧騒が、遠くなった。


 さっきまで確かに聞こえていた笑い声も、足音も、どこか遠い場所のように感じる。目の前の日野さんの顔だけがはっきりと映っていた。


 少し紅みがかった頬。不安そうな、恥ずかしそうでもある、そんな表情。それでもこちらをまっすぐに見つめてくる目が、僕の返事を待っている。


 胸の内側が、とてもうるさくなっているのを感じる。


 どういう気持ちで誘っているんだろう。


 でも、その考えを途中で手放す。そんなことより、こんな表情をさせたまま黙っている方が、よほど失礼だと思った。


「………いいよ。特に予定もないし、行こうか」


 彼女の表情が、ぱっと明るくなる。


「やった!私、行きたいところあるんだ!」


 その笑顔に、また胸が跳ねる。


 いいよ、なんて言ってしまった。文化祭を二人で回りなんてすれば、すぐに噂になる。この学校の規模で、日野咲と一緒に歩いていれば、学校中に広まるのに時間はかからないだろう。


 そんな考えが頭を掠めたけれど、楽しそうに行き先を考えている彼女を見ていると、そんなことを心配しているのは僕だけなんだろうかと思わされる。


 まぁ、もし何か言われるなら、僕から否定すればいい。それだけの話だ。


「どこ行くの」


「まずはあっち!」


 日野さんは指差し、「行こっ!」と歩き出す。


 どこに向かうのか気にはなるが、考えてくれたのだから黙ってついていくことにした。


 階段を上がりたどり着いたのは、お化け屋敷。


 三年生が作ったお化け屋敷は、使われていない特別教室を丸ごと使っていた。入り口や窓に暗幕が張られていて、中からくぐもった音が漏れてくる。


「……日野さん、こういうの好きなんだね」


「私は別に好きでも嫌いでもないかな」


「じゃあなんで」


 彼女はにやりと笑う。


「瀬川くんがどういう反応するのか、気になって」


 僕は目を細めて、彼女の方を見る。もし苦手だったらどうするつもりだったんだ、と言いたかったが、キラキラしたような目で見てくる彼女を見ていると、自然と引っ込んでいった。


「まぁ僕も別に好きでも嫌いでもないからね。期待するような反応は見せられないかもしれないよ」


「じゃあそれも含めて楽しみにしよう!」


 本当に楽しそうだ。こういうときの彼女の無邪気さはとても彼女らしく感じる。


 受付を済ませて中に入ると、予想以上に暗かった。足元がほとんど見えない。


 外にいたときは気にならなかったが、どこかから小さく甲高い、妙に不規則な音が聞こえてくる。


 思ったより本格的だな、と考えていると、隣からいつもの声色とは異なる言葉が聞こえた。


「お、思ったよりも本格的だね…」


 さっきまであれほど楽しそうにしていた日野さんの声が、半音ほど低くなっていた。その様子がどうにもおかしくて、少しからかってみたくなった。


「日野さん、もしかして怖いの?やめとく?」


「べ、別に全然大丈夫だし!ほら、行こっ!」


 そう言って日野さんは先に歩き出す。その背中は、心なしかこわばっているように見えた。


 少し悪いことをしたかな、とは思いつつ、まあそこまでひどくはないだろうと彼女の隣に並んで歩き始めた。


「キャッ!」


 突然、声を上げた。


「な、なんかほっぺに当たった!」


 振り向くと、日野さんが頬に手を当てて取り乱している。何かが触れたのかもしれないが、僕には特に何も当たっていない。いったいなにが当たったんだろうと思った瞬間。


 左足首に、何かが触れた。


 固い、人の手のような感触だった。


「うおっ!?」


 声が出た。自分でも驚くくらい、それは素直に。


「な、なに!? 瀬川くんどうしたの!?」


「だ、誰かが足を……」


 言いかけたとき、後ろから音がした。


 ピタッ……ピタッ。


 ゆっくりと、確実に、近づいてくる。濡れた何かが床を叩くような、不規則なリズム。二人同時に気づいて、顔を見合わせる。


 そしてゆっくりと、後ろを振り向く。


 頭に斧が刺さっていた。血を大量に流しているように見える、大きな人影が、そこに立っていた。


「キャーーーー!!!」


 日野さんが走った。


「ひ、日野さん!待って!」


 思わず僕も走って追いかける。


 そこからの記憶は断片的だった。何かが飛び出してきて、二人で声を上げて、どこかにぶつかりそうになって、それでも走り続けた。出口の光が見えたとき、正直ほっとした。


 外に出た瞬間、二人とも立ち止まった。


「お、思ったより怖かったね………」


 日野さんが、疲れ切った顔で言った。息が少し乱れている。


「そ、そうだね…。まさかあんなに本格的だとは…」


 自然と顔を見合わせた。互いの顔が、さっきの自分たちの姿を映している。


 そんな表情がおかしくて、どちらからともなく、笑い出した。


「瀬川くん、めちゃくちゃ声出してたね」


「日野さんほどじゃないよ」


「私は女の子だから許されるの!」


「僕だってそれなりに理由はある」


「足掴まれたくらいで!」


「日野さんだって頬に当たっただけで叫んでたじゃないか」


「それはっ、急だったから!」


 言い合いながら、また笑った。肩の力が抜けていくような、ちゃんと全身で笑えているような感覚。


 少し落ち着いてから、日野さんがこちらを見る。


「瀬川くんのちゃんと笑った顔、初めて見たかも」


「……そうだったっけ」


 自分では意識したことがなかった。笑っていなかったのか、それとも彼女が気づいていなかっただけなのだろうかと少し考える。


「珍しいものも見れたし」と彼女は続ける。


 それから何かを思いついたような顔になって、「叫んじゃってお腹すいちゃった。甘いもの食べに行こっ!」と歩き出した。


 なんとなく話を逸らされた気もしたが、追いかけながらまあいいかと思った。


 甘味処は別のクラスが出していた。席についてメニューを広げると、少し離れたテーブルから声が聞こえてきた。


「あれ、日野さんじゃん。男の人と一緒にいるけど……彼氏なのかな?」


「えぇ、そんなこと聞いたことないけど……」


 やっぱりそういう声は出るよな、なんて思いながら日野さんの方を見る。本人の耳にも届いているはずなのに、そんなことはまるで眼中にないように、メニューを真剣に眺めていた。


 少しの間があって、「……よし。やっぱりいちごオレとパフェだね」と力のこもったような声で言う。


「だと思った」


「甘いものがなかったら生きていけないからね」


「甘いものよく食べたり飲んだりするのに、細いね」


 すると、日野さんが両手をバッと胸の前に持っていく。


「ど、どこ見てるの!」


「ち、違うよ!そういう意味じゃなくて!」


 思わず声が上ずった。彼女はふふっと笑って、「冗談冗談。分かってるよ」とあっさり手を下ろした。


 心臓に悪い。本当に。


 動揺を誤魔化すようにメニューに視線を落として、少し眺める。頃合いを見て顔を上げると、日野がこちらを見ていた。


「決まった?」


「うん」


「「ブラックコーヒー」」


 声が重なった。


 日野さんはこちらを見つめたまま、楽しそうに笑う。


「だと思った。瀬川くんもいつも通りだね」


「お互いわかりやすいね」


「ほんとね」


 彼女は運ばれてきたいちごオレを一口飲んで、嬉しそうに目を細めた。パフェが運ばれてくると、てっぺんから丁寧に崩し始める。


 さっきの噂話も、周囲の視線も、彼女にとってはどうでもいいことらしかった。


 そんな彼女を見ていると、さっきまで少し感じていた居心地の悪さが、いつの間にかどこかに消えていた。



 一日目が終わる時間になって、二人で教室に戻る。


 扉を開けた瞬間、視線が集まった。日野さんは気にする素振りもなく、自分の友人たちの輪へと歩いていった。僕は自分の席の方へ向かうと、さりげなく聞こえてくる声に気づく。


「咲、瀬川くんと回ってたんでしょ?うわさになってたよ」


「うん、受付当番が終わった後、二人とも暇だったから」


 男子からの羨ましそうな視線を、背中で感じた。どこか居心地が悪くて、鞄の整理をするふりで視線を落としていると、隣の椅子が引かれた。


「役得だったな」


 暖大だった。屈託のない笑顔で、楽しそうにしている。


「そんなんじゃないよ」


「そうは見えないけどなぁ」


 何が言いたいんだ、という顔で見返したが、暖大は気にする様子もなく「楽しかったか?」と続ける。


 お化け屋敷を出た後の日野さんの笑顔が、甘味処で声を重ねたときの表情が、無意識に浮かんできた。


「…まぁ、そうだね。去年よりは楽しかったかな」


 その言葉に暖大は何も言わず、満足そうに頷いた。そのわかったような顔が少し腹立たしかったけれど、何かを言い返す気にもなれなかった。


 教室の中を見渡すと、さっきまでの視線はもう消えていた。日野さんが友人たちと声を上げて笑っているのが目に入る。


 まぁ、こういう文化祭も悪くないかな。


 そんなことを、静かに思った。

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