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第伍話 狐と鷹と好青年

せみが遠くで鳴いている。

石畳に落ちる影は、夏の日差しを受けて濃く沈んでいた。


おりゃぁっ!


御神木ごしんぼくの杉に飛びつく羹太郎(かんたろう)(みたらし)


「ぼくの勝ちぃ」

「くそっ、蜜の方が体が軽いからな」


「二人とも、掃除中だぞ。この早朝の()掃除当番、一年先まであるんだから」

モナカは、掃く手を止め、二人に視線を送った。


だが次の瞬間、滑った蜜が羹太郎にぶつかった。


「うわっ!羹太郎、僕を掴むな……」


モナカは蜜と羹太郎の体重を一人で背負い、這いつくばり耐えていた。


「モナカ、引っ張ってぇ!落ちちゃう」

「お前は落ちろ!」

「お前()落ちろ……もうダメ!」


三人は、石段下の植え込みまで転がり落ちた。


「せっかく集めたのに!」

モナカは散った落ち葉を両手でかき集め、二人にぶちまけた。


「ちょ、やめろー!」

「モナカ暴走ぉー!」


無邪気に遊ぶ子供たちを見て、通り過ぎる参拝者が微笑む。


「僕たち、神社の子?朝早くから偉いね。飴、あげようね」

「ありがとうございますぅ!」


蜜がぶりっ子顔に切り替え、素早く手を伸ばす。


風が一筋、木々を揺らす――境内にざわめきが走った。


「何かきた……」

モナカが参道の先を見た。


「何だろう。見にいこうぜ!」

飴をくわえた三人が立ち上がる。


空に弧を描き、艶やかな翼で風を奏でながら降り立ったのは、側近を伴った熊鷹社(くまたかしゃ)宮司(ぐうじ)

その後ろには、司や鷹丸の姿もあった。


「おい見ろ。あの籠から降りてきたの、熊鷹の宮司様だぜ」

「ってことは、鷹丸のお父さん?」

「そうなるねぇ」

和菓子トリオは、参道脇の茂みの隙間から様子を覗き見ていた。


出迎えるのは稲成大社の宮司、権宮司ごんぐうじ、そして幹部たち。

若手幹部の中に、狐白の姿もあった。


社務所奥 壱の間――


最高位の応接室から見える庭園には、先日、和菓子トリオが吊るされた桃の木が枝を広げている。


重々しく向かい合う両社の宮司。


和菓子トリオは部屋へと続く、閉ざされた戸の前をうろついていた。


「何話してんだろう。気になるなー」

羹太郎が木目の隙間を何度も覗く。


「ちょっと通してね」

後ろから、お茶を運ぶ巫女に声をかけられた。


顔を見合わせ、イタズラっぽく笑う三人。


蜜が巫女(みこ)の背へ、そっと式神(しきがみ)を飛ばした。


「これね、新しく覚えたんだぁ。さっきあの子につけたもう片方を水に浮かべると、

水面に向こうの様子が映るんだよぉ」


「おー蜜やるぅ!」

「すげぇなお前」


えへへへへ――


だが、その水面に映ったのは――狐白の怒りに満ちた顔だった。


「……殺すぞテメェ」


狐白は誰にも気づかれぬ速さで式神を回収し、手の中の狐火で静かに焼き払った。


うわぁぁぁぁぁ!


モナカたちは尻尾を逆立てて、転げるように本殿(ほんでん)の裏まで逃げた。


―――――


白狐びゃっこよ、久しいな」

熊鷹社宮司、鷹翁ようおうはわずかに目を細める。


石庭(せきてい)を渡る風が、掛け軸の端を揺らした。


「そうじゃな。百五十年ぶりくらいかの?」

稲成宮司の白狐も、(ふる)き友へ柔らかな笑みを向ける。


「すまんな、大勢でおしかけて」

「いや、何、構わんさ。お付きの顔ぶれも大きくなったな」


鷹の側近たちが、揃って頭を下げる。

畳に装束(しょうぞく)が触れる音が、重い。


「いやいや、うちはまだ若い。狐の衆とは貫禄(かんろく)が違う」

ヨモギを見ながら鷹翁が笑みを浮かべる。


「先日はお邪魔いたしました」

ヨモギに続いて、狐一同が頭を下げる。


「して、鷹翁ようおうよ、用向きは何じゃ。

供を引き連れて、茶を飲みに来たわけでは無かろう」


「ふむ。司、話せ」

側で控えていた司が、一歩進み出て報告をはじめた。


「熊鷹社、宮司、側用人(そばようにん)を仰せつかっております、小鳥遊たかなし つかさにございます。

先日、ヨモギ殿にお話ししました通り、御咳社おせきしゃの結界が破られました」


座にいた幹部たちが、息を呑む。


「現在、朝顔あさがお神社と人間界へ使者を飛ばし、現状の把握に努めております。

既に人間にかなりの犠牲が出ておるようで、混乱状態であるとの報告が入っております」


「我らの方も大眷属だいけんぞく様より、お達しを頂いた」


白狐は静かに頷き、司の報告へ耳を傾ける。


「……よろしいでしょうか」


狐白が口を開いた。


「うむ。許す」


「祭儀部、結界課長、一峰いちのみね狐白こはくでございます。結界が破られたという情報はどちらから?」

「数日前の早朝、朝顔神社の若宮、夕顔丸ゆうがおまる様が当社の境内へ飛び込んでこられました」

「なぜまた熊鷹社へ?」

「夕顔丸様と鷹丸様は、よくお会いあそばされますので」

「で、その若宮さまの状態は?」


「今朝、うち(衛生課)で預かった。遅くなりました。」


遅れて入室してきた蕨が答えた。


「当社では限界がありまして。蕨殿に助けを乞いました」


司が狐白を真っすぐ見た。それを受け、狐白は蕨を見た。


「今言えることは、意識は戻っておらず、極めて危険な状態というだけです」


「飛び込んできたときの状況から察するに、夕顔丸様だけでも緊急離脱させたのだろう、という印象でした」


蕨の言葉に司が続けた。


全滅。


その二文字が、沈黙と一緒に部屋の中央に落ちた。


「それでは……夕顔丸様はあのお歳でお一人に――」


鷹の一人が小さく呟いた瞬間、ヨモギ、おはぎ、その他幹部たちの視線が交錯した。


空気がわずかに沈む。


「狐白、悪いが茶を入れ直しにきて欲しいと言ってきてくれ」


狐白は、湯気のたつ湯呑みに視線を落とした。


話題を断ち切ろうとするヨモギの意図を、黙って受け取った。


「……お気遣いなく」


ゴツン、と小さな鈍い音。


鷹の一人が頭を押さえた。


『バカ! 余計なこと言うな』


鷹の付き人陣の間に、かすかな動揺が走った。


「して、どう進める?」

白狐びゃっこの言葉を受け、鷹翁がわずかに視線を上げた。


「知っての通り、我らは情報収集を得意としておる。祓いももちろんだが、狐族ほどの力はない。

そこで、この件の取りまとめ役をお願いできんものかと思い、参上した次第」


白狐は目を閉じ、わずかに沈黙した。


「ふむ……ヨモギ、どう考える?」


「はい。御咳社といえば堕神だしんの封印。祓うとなれば被害も甚大となるのは必至。

避けられる部分は、極力避けたいと考えて当然かと」


司が即座に返す。

「先ほども申しました通り、既に人間界に甚大な被害が広がっております。どうあっても、前線での祓いは避けられないものと考えます」


「つまり、我ら狐に、最前線で命を張れと?」


「こちらをご覧ください」


司はヨモギを見たまま懐に手を入れた。


巻物を広げると、術式に呼応するように表面が静かに波打つ。


水面に映し出されたもの――


「荒地か?」


覗く狐達が首を傾げた。


「これでどうでしょう」


司が映像を止め、二本の指で拡大する。


そこには――


稲成神社の文字が見えた。


「ここ、傘松かさまつ稲成か?!」


「はい。御咳社から二十キロ圏内は全てこの状態だとの報告でした。他人事ひとごとではないかと」


ヨモギと司の視線がぶつかる。


(この司というガキ……狐白と歳は同じだったと記憶する。お家柄だけで要職に就いている訳ではなさそうだな)


(さすがヨモギ殿……鋭いところを突かれる)


普段の穏やかさとは異なる司のたたずまいに、御側御用人に座するに足る胆力を見せつけられた気がした。


白狐びゃっこは端で控える狐白の方を見た。


「狐白、お前はどう考える」


「はい。結界課と致しましては――」


扇が強く畳を打った。


()()にきいておる!」


白狐の声が低く響いた。


「はい、私は……」


言葉を探す狐白の沈黙を、司が切り取った。


「ご存じのように、我らにも祓いに特化した精鋭の者たちはおります。

既に出張命令も出しておりますが、気配を捉えても、すぐに消える状況が続いており、苦戦しているとのこと」


「つまり、丸投げするつもりはない――と」

ヨモギは狐白に下がるよう軽く手を払った。


「ヨモギ殿。他部族も含め、既にこれだけ大きな被害が出ておるのです。この先どう転んでも、我ら二部族が出ることになります」


「その()()()では何とかならんのか?」


「精鋭と言えど、狐の皆さまに並ぶ霊力を持つ眷属けんぞくが、他のどこにいましょうか?」


「……我らに、何の得が?」


ヨモギの目が鋭くなる。


「人々の信仰を集め、御霊みたまを得れば、稲成はさらなる発展を遂げるものかと。

それに伴い眷属の霊力も強大なものとなります。

人々を助け、守り、この国の発展と繁栄こそが、天から授かった眷属としての使命。

祓い方も、種族を超え、共に手を組む形に変化しているのではないでしょうか」


「つまり……祓いによる信仰は稲成がもらい受けていいと」


ヨモギに向かい、にっこり微笑む司。


「そちらには?」


「何も。我らは情報を持ち帰り、天へご報告する使命を全うできれば十分でございます」


その微笑はやわらかいが、言葉は一切引いていない。


(濃厚な情報が欲しいわけね。こちらの力量、組織図を堂々と側で見れるからな。

同じ稲成山に社殿を構えている以上、ウチの発展に比例して熊鷹社も潤う。

つまりは両得……)


「恥を忍んでお頼み申します。どうかお力をお貸しください」

鷹一同、司を筆頭に頭を深く下げた。

(こちらの質問はギリギリで交わして一切明確な事は答えず。

しっかり相手を持ち上げ、「恥を忍んで」と畳みかけ、考える暇を与えない。

目的を果たす為なら、いくらでも頭は下げますよってか……好青年って顔して恐ろしい男だ)


王手を打たれたかのようにヨモギの表情は止まっていた。


「小鳥遊の倅よ、側近に恵まれたようじゃな」

後ろに控える、司付きの側用人、竹中が背筋を伸ばし、会釈をした。


張り詰めた空気を、白狐びゃっこの笑いが和ませる。


「坊やの言う通り、どのみち我らの出ることになるじゃろ。互いの得意を存分に発揮し、これを鎮めようではないか」


戸が開き、賑やかしく出てくる一行の姿を、廊下に控えていた狐白が見送る。


「狐白殿。お()()殿に言付けた菓子は届きましたか?」

司が足を止めた。


「お気遣いいただき恐縮です」

「いずれ、また」


司の背を見送る狐白の脳裏に、子供の時の記憶が蘇る。


パシッ―


ヨモギが狐白の懐から扇子を抜き取り、頭を叩いた。


「何を、ぼーっとしている!」

「痛っ……」

「ったく、情けない! いつも広く見て仕事をしろと言っているだろう!

決定に従ってばかりだから、お前はいつまで経っても自分の意見を――」


(あの時は怪我復帰直後だったんだ……)


「聞いてるのか!!?」

「え?あぁ、はい。聞いてますよ。昼飯は春巻きが食いたいです」

「何の話だテメェ!!」


廊下の奥へ、狐白の背が遠ざかっていく。


「ったく……」


「狐白が向こうに劣っているようで悔しいんだろ?」

おはぎが静かに言った。


「……どーもあいつは」

ヨモギは、遠ざかる狐白の背を見つめたまま呟く。


「欲がないんだよね。あの子は」

おはぎが肩をすくめる。


「だからだ!」

声が少し強くなる。


司の堂々とした姿が脳裏をよぎる。


狐白と同じ年。立場も近い。


それでも――あちらは前へ出た。


「交渉は厚かましさの勝負だ。ああやって前に出る奴が場を取る。

立場が上がれば祓いだけが仕事じゃねぇってのに」


「あの子には、あの子の良さがあるさ」


おはぎの隣で、ヨモギは小さく息を吐いた。


(第伍話・幕)


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