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人を殺した手でも、少女は笑った


「――で?いつまで繋いでるの?アリシア」

 悪戯っぽく笑いながら、セリナが言った。


 アリシアは俺の手を包むだけでは飽き足らないのか、小さな人差し指で俺の手の甲をそっとなぞる。

 指先がくすぐるように触れて、思わず息を呑んだ。

「だ、だって……ナオヤさんの手、とても不思議なんです。昨日まで戦っていたのに、こんなに温かくて……」


 真っ直ぐな碧眼。

 逃げ場がない。

「……アリシア、ちょっと距離が近い」

 俺がそう言うと、彼女はようやく自分の行動に気づいたのか、ぱっと手を離した。

「す、すみません!」

 林檎のように頬を赤く染める。

 その姿に、胸の奥が小さく揺れた。


  ――一目惚れ。

 そんな言葉がふと頭をよぎるが、すぐに首を振って打ち消した。

 俺の手は、つい昨日、初めて人の命を奪ったばかりだ。その血の感触がこびりついているような気がして、さっきまで彼女に触れられていた場所が、熱いような、冷たいような奇妙な感覚を残している。

 アリシアのような平穏の象徴みたいな少女に、俺が心を奪われるなんておこがましい。


 この感情はきっと、セリナが向けるような保護欲の延長なのだ。

 壊れそうなほど純粋なものを、ただ失いたくないだけ。

 ……そう、自分に言い聞かせる。


 それでも、彼女の碧眼に見つめられると、胸の奥に溜まった濁った澱が、さらさらと流されていくような気がした。

 今はただ、この静かな熱に甘えていたい。

 ただのナオヤとして見てくれるアリシアのそばで、俺は冷え切った心を温めていた。

 

 ――いつの間にか、周囲の喧騒は夕刻の静寂に溶け始めている。

「おーい、ナオヤ君?そろそろ帰るよー」

 セリナの声に呼び戻され、俺は名残惜しさを隠すように帰りの準備を始めた。

 集落を発つ前。


「また来てくださいね!」

 アリシアは笑顔で大きく手を振った。

「今度は、ちゃんとゆっくりお話したいです!」

 その言葉に、俺は一瞬だけ迷う。

 未来を約束することが、怖い。

 でも。 

「……ああ。また来るよ」


 自分でも驚くほど、素直に答えていた。

 その一言に、彼女は花のように笑った。

 アリシアの笑顔に心が跳ねる。

 俺は今までに沢山の人と関わってきたけど、あれほどの純粋な目を持つ子に会ったことがない。あの笑顔を守れるなら、俺は――。

 

 

 ……帰りの馬車の中でセリナのニヤニヤが止まらず地獄の空気だった。俺はセリナに一つ弱みを握られてしまった。

 

 石畳の大通りは昼間の活気に満ちていた。

 馬車から降りて石畳の堅さを軍靴で踏みしめる。

 露店からは香ばしい肉の匂いが漂い、果物を山積みにした屋台の前では子どもたちがはしゃいでいる。

 噴水広場では楽師が弦を鳴らし、吟遊詩人が詩を歌う。

 空気はどこまでも穏やかだ。


 城下町ではイナミス達が「待ってました」とばかりに俺達の方へ向かってくる。

  

「なになにー?もしかしてデートですかー?」 

 アリシア以上に悪戯っぽい視線を向けながらレインが俺達の方へ向かってくる。

 これを今相手にしたら絶対面倒ごとになるぞ!

 直感が最大級の警戒信号を俺の脳で鳴り響く。

 

「違うって、セリナの用事に付き合ってただけだ。それよりも全員集まってどうしたのさ?」

  

 俺はイナミスとルークの方に視線を向ける。 

「俺達は昨日ノーブル国の兵士と出くわしただろ?そのことについてだってよ」 

 イナミスが腕を組みながら淡々と告げる。 

「僕たち全員が城に呼ばれたんです。だから、僕たちはナオヤ達の帰りを待っていたのですよ」 

 穏やかな声でルークが続けた。

 城で謁見か。

 昨日の今日でまた、かよ。


 まあしょうがない。今回は全員いる。

 変な事には――ならない、はずだ。

「ちょっと!私は無視なの?!」

「ん?ああ、ごめん。」

 少しワザとらしく返すと、頬をぷくっと膨らませてふて腐れた。

 この様子を見てイナミスとルークが笑いを堪える。

 

 横でノエルがボソッと言う。

「……ナオヤ、わざとでしょ」

「バレた?」

「レイン相手にそれやると、後が面倒になるって分かってるくせに」

「俺の直感が逃げろって言ってたからさ」

「ノエルまでー!」

「私は事実を言っただけ」 

 ばっさり。

 イナミスが肩を揺らして笑う。

 

「はあ…まあいいわ。でね、謁見まであと三時間あるのよ。だから暇つぶしに皆で町を回ろう、って話になったの」 

「だから私達を待っていてくれたんですね」

「そうそう!ナオヤってまだこの世界に来たばっかりじゃん?だから美味しいお店とか全然知らないと思うからさ!」

 レインが胸を張る。

「この街の菓子店は王都随一ですからね。ぜひ味わっていただきたいです」

 ルークが静かに微笑む。

「……放っておくと、変な物を食べて済ませそう」

 ノエルが小さく呟く。


 ……それはどう言うことだ?


「俺の事をなんだと思っているんだ?!」

「後先考えずに突っ走る人」

「……」 

 ぐうの音も出ない。完全に言い負かされた。

「まあまあ、とにかく!ナオヤにこの国の良い店を知ってもらいたいってことだ!」

 

 ふと、胸の奥がじわっと温かくなる。

 この世界で出来た初めての仲間。

 初めての友達。

 気付けば、自然と笑っていた。

 ……楽しいな。この世界に来て初めて楽しいって思えた気がする。この感情自体が懐かしいくらいだ。


「ありがとう。そこまで考えてくれてたなんてさ。じゃあ早速頼むよ。実は腹が減っててヤバいんだ」

 わざとテンションを上げて言う。

 日本の教室でやっていた、あのノリで。

「よっしゃ! そうと決まったら行こうぜ!」

「ナオヤの舌をギャフンと言わせてあげるわ!」

 

 イナミスが先頭に立ち、その半歩後ろ、自然に位置取るノエル。それに続くように俺達が並ぶ。

「人の邪魔にならないように。イナミス、前方確認。レインは勝手に走らない」

「はーい」

「返事だけは立派」

 真面目すぎるくらい真面目だ。

 まるで子供達を纏めるお母さんだな。

 この光景を見て思わずクスッと笑ってしまった。

 

 焼き串の肉汁が弾け、スパイスの香りが鼻をくすぐる。

 甘い蜜菓子が並ぶ店先で、レインが勝手に追加注文する。

「おい、それ俺の分まで食うなって!」

「早い者勝ちよー!」

「お二人とも、落ち着いてください。転びますよ」

「ちょっと!騒がしいわよ!」

「ふふ、楽しそう」

  

 焼き串屋台の前でイナミスが振り返る。

「ノエル、お前も食うだろ?」

「……任務に支障が出ない量なら」

「素直じゃねえな」

「うるさい」


 騒がしくて、くだらなくて。

 でも、心のどこかが確かに満たされていく。

 ……昨日は一人で戦場に立った。でも今日は違う。

 守ろうとする者がいて、支えようとする者がいる。

 城の尖塔が遠くに見える。

 この同期の一員として、俺は城下町を歩いていた。

 これ以上誰も欠けず、平和な生活がずっと続けば良いのにな。

 俺は心の底からそう思った。

 


 ――やがて時間が過ぎ、謁見の時間が迫る。

 俺達は城へ向かった。

 

 重厚な扉が開く。

 玉座に座るのは皇帝。

 空気が変わる。

「先日の戦、よく戻った」

 低く、しかし確かな温かさを帯びた声。

 一人一人に言葉をかけていく。

 そして

「ナオヤ。前へ」

 俺は進み出る。

 

「候補生でありながら、単身で戦場へ赴いたと聞いている」

「怖くはなかったか」

「……怖かったです」

「……余はナオヤに軍人の責任を持たせてしまったな。」

「兵として称賛することは容易い」

「だが余は、兵としてではなく――ひとりの若者として問う」

 その視線は厳しく、そして優しい。

 

「よく、帰ってきた」

 その言葉に、胸が詰まる。

 叱責でも命令でもない。

 ただの――安堵だった。

 その瞬間、陛下は皇帝ではなく、父のように見えた。

「無茶はするな。だが、其方の覚悟は忘れぬ」

 俺は、深く頭を下げた。 

 その時。

 鈴の音のような軍靴の音が響く。

 魔力が身体全体にのし掛かるような圧を放っている。

 

 まさか……。

 琥珀の瞳に赤い髪……またコイツか!

「童よ。昨日ぶりじゃな」 

 瞳の奥で笑っているのが分かる 

「何故妾がこの場に居るのか不思議なようじゃな?」

「それは――今後の魔導訓練を、妾が預かるからじゃ」

 場が凍る。七星が自らが?

「気が変わったからの。妾から出向いたのじゃ」

 ラグネシアは俺を見る。

  

 「ナオヤよ」 

 一歩近づく。

 気配が重い。 

「そなたの魔力は桁違いな量じゃ。だが扱えておらぬ」

「ゆえに――そなたは妾の直弟子とする」

 どよめき。

「他の者より、少々……いや、かなり多めに鍛えてやろう」


 微笑み。

 だが、逃げ場はない。 

「これから七星の名を背負うに相応しき器かどうか――この妾が見定める」


 第一席の七星……つまり、最強の七星だ。

 それは名誉であり、試練。


 俺は静かに頷く。

 逃げる理由はない。

「……分かりました」

 ラグネシアの琥珀の瞳を、真っ直ぐ見返すと、満足げに目を細めた。

「よい眼じゃ。"これから"を見据えておる」 

 その言葉に、胸がわずかに軋む。

 ……今の俺はただ強くなることだけを考えていた。

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