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運命的出会い

今回のお話は長くなっています。


 七星との謁見を終え、城門を抜けた俺は、夕焼けに染まる石畳の道を一人で歩いていた。

 西から差し込む暴力的なまでに黄色い光が、瓦屋根をどろりとした橙色に染めている。パン屋からは香ばしい小麦の匂いが漂い、店じまいを急ぐ行商人の怒鳴り声が通りを横切っていく。

 

 なのに、俺の思考は「日常」にうまく戻ってこれない。

 意識の半分はまだ、あの冷え切った上段の間に、ラグネシア=ドラコに置いていかれたままだ。

 ……あの女、本当に食えない。

 脳裏にこびりついているのは、琥珀色の瞳。龍の亜人特有の垂直な瞳孔が、面白そうに細められたあの表情。

 

 耳元で囁かれた、古い紙が擦れるような低い声。脳を直接撫でられたかのような、あの不気味な甘い痺れがまだ首筋に残っている気がして、思わず首をすくめる。

 右手で額に触れてみる。ラグネシアのひやりとした指先が触れた場所だ。

 痛みはない。だが、指を握り込むと、骨の奥が鉛でも流し込まれたみたいに、ずっしりと重い。


 おまじない、ねー……。魔力の流れを整えたなんて言ってたが、あんな調子の狂う女のすることだ。どこまで本気で、どこからが遊びなんだか。完全に手のひらで転がされてるよな、俺。

「はぁ……。勘弁してくれよ、マジで……」

 無意識に後頭部を掻きむしる。カサカサという乾いた音が、静かな大通りに虚しく響いた。

「あれ? ナオヤさん?」

 不意に横から、鈴を転がすような、裏表のない真っ直ぐな声がした。

 

 振り向くと、そこには白髪の少女――同期のセリナが立っていた。

 小ぶりなリュックを背負い、夕陽を透かした髪が、タンポポの綿毛みたいに淡く光っている。覗き込んでくる碧い瞳が、心配そうに細められた。

「セリナか。奇遇だな」

「もうお城での用事は終わったんですか? なんだか、顔色がすごく悪いですけど……」

「ああ。……まあ、濃い内容だったからかな。ざっくり言うと、七星の人達に、目をつけられたって感じ。良くも悪くも、ね」

 自嘲気味に笑い、俺は首を振る。

 セリナは「あ……」と察したように声を漏らし、視線を和らげた。

 

 そうだよなー。この世界に生まれた時から住んでるセリナからすりゃ、七星なんて遥か上の存在だ。あんな女にゼロ距離で遊ばれてたなんて言ったら、どんな顔するやら。

 

 俺がわずかに視線を逸らすと、セリナは何かを決心したように、ぎゅっとリュックの紐を握りしめた。

「あの! もしよかったら、気分転換しませんか?」

「気分転換?」

「はい。私、これから実家の集落に戻る予定なんです。みんなの様子を見に。……よかったら、一緒にどうですか?」

 彼女は少しだけ前屈みになって、上目遣いにこちらを伺っている。

 

 ……正直、めちゃくちゃ助かる。今の俺は、一人でいるとさっきのラグネシアの残響に振り回されそうで落ち着かない。美少女からの誘いに浮かれる気持ちもゼロじゃないが、それ以上に、このもやもやした空気をセリナの日常感で上書きしてほしかった

 

「……じゃあ、お言葉に甘えて、護衛がてら付いて行くとするよ。 ちょうど気晴らし相手が欲しかったんだ」

 俺がそう言うと、セリナの顔が、太陽が昇ったみたいにぱっと明るくなった。

「はいっ! 喜んで!」


 

 馬車に揺られて三十分。

 車輪が石を踏むたび、コトン、と規則的な音が車内に響く。

 窓の外では、黄金色の麦畑が夕風に波打っていた。地平線へと沈みゆく太陽が、空を毒々しいほど鮮やかな紫へと塗り替えていく。

「ナオヤさん。……やっぱり、七星候補、なんですよね」

 向かいに座るセリナが、膝の上で指を組みながら、探るように視線を向けてきた。


「ああ、らしいな。……正直、悪い冗談にしか思えないけど」

「らしい、って……。軍の最高戦力の座ですよ? 国中の兵士が一生かけても届かない、雲の上の場所なんです。名誉なことだと思いますよ?」

「そう言われてもな。俺が一番、実感がないんだ」

 本音だった。七星なんて肩書き、今の俺には重すぎる。隣を歩くセリナの方が、よほど軍人として芯が通っているように見えた。

 俺は優遇されているだけなんじゃないか?俺の実力、というより七星を半壊させた"日本人"のネームバリュー頼りな気がする。


 セリナは少し考えたあと、何かを思い出すように視線を落として口を開く。

「……私、アルヴェスティアの分家なんです」

「えっ、分家? ……アルヴェスティアって、あの代々「聖女の加護」を継ぐ一族だよな? 分家なんてあったのか」

 驚いて聞き返すと、セリナは少しだけ困ったように眉を下げて頷いた。

「はい。世間的には一括りにされますけど、実は中では厳しく分かれているんです。本家にはもっとすごい、血の濃い子がいて……。アリシアっていうんですけど」


 その名前を出した瞬間、彼女の碧い瞳がふわりと和らいだ。

「本家の中でも、アリシアは特別なんです。「聖女の加護」が一番強いって言われている子で……あの子が祈れば、深い傷さえまたたく間に塞がってしまう。一族の象徴そのものみたいな子なんです」

「聖女か……。外から見てる分にはキラキラした一族だと思ってたけど、中じゃ格差みたいなものがあるんだな」

「ええ。だから私は、その子の“お義姉ちゃん”として胸を張れるようになりたくて、軍に入りました」


 セリナが膝の上で、小さく、けれど固く拳を握る。

「加護の力では、本家のアリシアには逆立ちしたって及びません。でも、あの子に恥じない人間になりたいんです。軍で戦績を立てて、あの子を外から支えられるくらいの強さが欲しくて」

 その目は、夕闇の中でもはっきりと分かるほど、真っ直ぐな意志を湛えていた。

 

 軍のトップである七星の座を不意に突きつけられ、自分の立ち位置すら見失っている俺。対して、血筋の壁を自覚しながらも、守りたいもののために泥臭く戦場を選んだセリナ。

「……大変そうだな。けど、いい目標だと思うよ」

「ええ。でも、嫌じゃありません。……あの子のためですから」


 不意に、御者が手綱を引く鋭い声が響き、馬車がゆっくりと停止した。

 車輪の音が止むと、代わりに夜の虫の鳴き声と、湿り気を帯びた草の匂いが車内に入り込んでくる。

「着きました。ここが、私の故郷です」


 馬車を降りた先にある集落は、驚くほど静かだった。

 石造りの王都とは違い、ここは使い込まれた木造の家々が並んでいる。窓からは琥珀色の灯りが漏れ、どこからか薪を燃やす匂いと、塩気の効いた煮込み料理の香りが夜気に混じって漂ってきた。

「おかえり、セリナ! ちょうど今、スープができたところだよ」

「おっ、セリナじゃないか。久しぶりだな!」


 道を歩けば、次々と温かい声がかかる。

 凄いな。本当に皆白い肌に、白髪、碧眼だ。

 俺が隣で軽く会釈すると、一軒の家の前でエプロン姿の女性が足を止め、目を丸くした。セリナとよく似た、けれど少しだけ目尻に優しげな皺を刻んだ碧い瞳。

「あらあら、セリナ! お帰りなさい。……あら、その子は?」

「ただいま、お母さん。同期のナオヤさんよ。今日は無理を言って付いてきてもらっちゃった」


 一瞬、セリナの母親の視線が俺を上から下まで品定めするように動く。

 王都から来た「得体の知れない余所者」への警戒か――そう身構えた直後、母親の顔がパッと太陽のように綻んだ。

「まあ! 娘が男の子を連れてくるなんて、明日は槍でも降るかしらね。さあさあ、突っ立ってないで入って! ちょうど人数分以上の獲物があるんだから」

 母親の驚くほど力強い手つきで肩を叩かれ、背中を押される。その遠慮のなさが、かえって俺の緊張を解いていった。

 食卓に並んだのは、気取らない素朴な料理だった。


 クタクタになるまで煮込まれた野草と根菜のスープ、香ばしく焼き上げられた獣肉のステーキ、それに少し固めの黒パン。

 だが、木皿から立ち上る真っ白な湯気と、家族が顔を突き合わせて笑い合うその光景を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと熱くなった。

「どう? ナオヤ君、口に合うかしら。王都の贅沢なものに比べたら、泥臭い味かもしれないけど」

「……いえ。すごく、おいしいです」

 思わず、スプーンを持つ手が止まった。


 舌の上に広がる滋味深い味わいが、記憶の底に眠っていた景色を強引に引きずり出してくる。

 狭いアパートの食卓。弟や妹と騒ぎながら、競うように食べた安っぽい夕飯。

 

 ああ、そうか。俺、帰りたかったんだな。

 

 七星候補だの、日本人だの、そんな仰々しいラベルを剥がせば、俺はただの寂しがり屋の兄貴でしかない。

 俺は溢れそうになる何かを堪えるように視線を落とし、無心でパンをちぎって口に運んだ。


 夜。案内された部屋の扉の前で、俺は思わず立ち尽くした。

「……ここで休めって、本気で言ってます?」

 思わず隣にいたセリナの母親に聞き返すと、彼女は不思議そうに小首を傾げた。

「はい。セリナの部屋ですけど、何か不満でも?」

「不満っていうか……自分の娘の部屋ですよ? ほら、一応俺も男ですし、もっとこう、居間の隅っことかでいいんですけど……」

 必死に遠慮しようとする俺を見て、母親の横からセリナがくすくすと肩を揺らした。

「ふふ。ナオヤさん、そんなに身構えなくても。お母さんもナオヤさんのこと、すっかり信用しちゃってるみたいですよ?」

「信用っていうか、無防備すぎだろ……」

「いいじゃないですか。まるで今のナオヤさんはただのナオヤ"君"ですね」

 セリナは「お姉さんに任せなさい。」とでも言いたげに、からかうような視線を向けてくる。同期とはいえ、数ヵ月早く生まれただけの僅かな年齢差を盾にした余裕が、今の俺には少しだけ癪で、けれど硬くなっていた心が解けていくようだった。

 

 母親が「じゃあ、ゆっくり休んでね」と居間へ戻っていくと、セリナはベッドに腰をかけたまま、少しだけ真面目な顔をして俺を振り返った。

「あ、そうだ。明日はアリシアに会いますけど、変なことしないでくださいね? あんなに純粋な子は他にいないんですから」

「……お前、俺をなんだと思ってるんだ」

 呆れて溜息をつく俺に、セリナは「さあ? 狼さんだったりして」とおどけて見せ、満足げに自分のベッドへ潜り込んでいった。

 

 まったく、食えないのはあの龍の女だけじゃないらしい。


 暗くなった部屋の中、俺は布団に入ったまま、右手を月明かりにかざした。

 昼間、亜人兵の胸を貫いた魔力の奔流を、確かにこの手が生み出した。

 目を閉じると、思い出したくもない映像が勝手に再生される。

 吹き飛ぶ肉片。焦げた匂い。地面に落ちた何かが、まだ小さく痙攣していた光景。

「……っ」

喉の奥がきしむ。


 あれは敵だった。

 俺達を殺す気だった。

 殺してなければ、俺が死んでいた。

 分かっている。理屈では。

 

 でも、俺の魔法が、確実に“生きていたもの”を止めた。

 洗ったはずの掌に、まだぬるりとした感触が残っている気がする。

 爪の隙間に血が詰まっている錯覚に襲われ、無意識に指先を擦り合わせた。

 落ちない。

 

「……俺、向いてないな」

 七星候補?笑わせるな。

 人一人殺して、平然と眠れない男が、国の最高戦力だなんて。

 隣から聞こえるセリナの寝息が、やけに穏やかで、それが余計に自分の異物感を浮き彫りにする。

 この平和の中に、俺の手だけが、まだ戦場に取り残されているみたいだった。


 

 翌朝。

「セリナお義姉さまーっ!」

 朝露に濡れた芝生を元気よく蹴散らし、一人の少女が駆けてくる。

 透き通るような白い肌に、陽光を弾く白髪、そして吸い込まれそうな碧い瞳。

 間違いない。あの時、城下町で遠目に姿を見かけた、あの一際目を引く美少女だ。


「アリシア、おはよう。元気ね」

 セリナが慈しむような表情で、駆け寄ってきた少女の頭を撫でる。

「紹介するわ。こちら、ナオヤ君。……これでも、七星候補なのよ」

「七星候補っ!? 」

 アリシアの瞳が、宝石を散りばめたみたいに一気に輝いた。

「本当ですか!? 凄い、本物の英雄様なんですね! あの、握手してくださいっ! 」


 ぐい、と遠慮なく距離を詰められ、鼻先が触れそうなほどの至近距離に、思わず心臓が跳ねて後ずさりする。

 ふわり、と風が抜けた。石鹸の清潔な香りと、春の陽だまりのような、どこか甘く清らかな匂い。女の子特有の、柔らかい体温を帯びたその匂いに、俺の思考が一瞬真っ白に染まる。

「お、おい、ちょっと待て」

 戸惑う俺の手を、彼女の両手が包み込んだ。

 驚くほど、柔らかい手だった。

 

「……温かい」

 アリシアは宝物を見つけた子供のように、心底嬉しそうに笑う。

「ナオヤさんの手、すごく温かいです! 」

 

 その言葉に、胸の奥がひくりと鳴った。

 違う。

 昨日、この手は温かくなんてなかった。

 魔法に貫かれた亜人兵の身体は、

 俺の目の前で、ゆっくりと熱を失っていった。

 あの男にも、帰る場所があったのかもしれない。


 今、俺の手を握っているこの少女みたいに、無邪気に誰かを慕う存在がいたのかもしれない。

 

 指先が、わずかに震える。

 もし、この手で守れなかったら。

 もし、次に誰かを殺す時、少しでも迷いが減っていたら。

 ――その時、俺は何を失っている?


 アリシアは、何も知らないまま、嬉しそうに笑う。

「お日さまの匂いです」

 胸の奥で、鈍い音がした。

 俺は、自分が思っているよりずっと、この手を嫌っているのかもしれない。


 それでも、その小さな体温が凍りつきかけていた感情の表面を、ほんの少しだけ溶かした。

 全部は消えない。

 だが、確かに、今は息がしやすかった。

  

「……ナオヤ君、顔が真っ赤ですよ?」

 横から、すべてを見透かしたようなセリナのニヤリとした視線。

「うるさい、黙ってろ……」

 俺が顔を背けると、アリシアは無邪気に声を弾ませた。

「七星になる方とお友達になれるなんて、夢みたいです! 私、応援してますね!」

 友達。

 その響きが、妙にむず痒く、けれど心地よく胸の奥に残る。

 昇り始めた朝日が、三人の影を長く地面に引き伸ばしていた。

 俺はまだ、知らない。

 この小さな手の温もりを、未来の自分が命懸けで守ることになるのを。


 そしてこの出会いが、運命という名の歯車を回し始めたことを。

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