欠けた北斗七星
「さあ!みんな!大丈夫かい?」
亜人兵の小隊を屠ったダリアさんは、訓練場に残っていた俺たち二等兵を一か所に集めた。
集まったのは俺、レイン、ルーク、セリナ、イナミス、ノエルの六人。……それ以外は、もういない。
「ひーふーみー……生き残ったのは六人か……すまないね。助けるのが遅れてしまった」
ダリアさんは落とした銀貨を数えるような手軽さで人数を確認し、小さく息を吐いた。
「ナオヤ君とそこの女の子には言ったけど、改めて自己紹介しよう。僕は魔導幹部七星の一人、戦闘専門のダリア・グロキシニア」
「ダリア……って皇帝陛下の息子さんじゃないか!」
イナミスの顔から一気に血の気が引いた。弾かれたように一歩下がると、鉄板を打つような音を立てて踵を強く鳴らし直立する。
「失礼しました!自分は候補生のイナミス・ヴァレンタイン二等兵であります!」
敬礼とともに声を張る。それに続き、ルークたちも順に名乗った。……最後は俺だ。
「自分は候補生の青嶋ナオヤ二等兵であります!」
名乗った瞬間、ダリアさんの視線が俺に止まった顕微鏡で標本を覗き込むような、無機質な観察の視線。
嫌な目だ。内臓の奥まで透かされているような感覚に、背中の産毛が逆立つ。……正直やめてほしい。
「うんうん。ありがとう。ここからはラフに話そう。まずはお疲れさま」
柔らかい声。だが、その優しさに、どこか引っかかる。違和感の正体はすぐに分かった。
イナミスが言った「陛下の息子」という言葉だ。俺の知っている話では――皇帝の息子は五年前に死んでいる。
「なあ、イナミス。ダリアさんが陛下の息子ってどういうことだ?」
肘で軽く脇腹を突く。
「どういうことって……ああ、それは――」
「君の想像している息子は本当に死んでるよ。僕は養子さ。本当の息子とは別のね」
ダリアさんが遮る。
さっきまで花が咲くようだった彼の表情から、ふっと温度が消える。春の陽だまりが、一瞬で冬の夜に塗り替えられたような。
地雷を踏んでしまったか?背筋に冷たいものが走る。
「あ……すみません」
「いいよ。気にしないで。君はこの世界に来たばかりだからね」
そう言って、ダリアさんは続けようとした。
だが――「大丈夫だったか!状況を説明しろ!」
ガルト大尉の声が訓練場に響いた。
戻ってきた小隊の装備には、まだ戦闘の痕が残っている。ダリアさんが前に出る。
「ガルト大尉。僕が説明しよう。亜人の小隊が城内に侵入。候補生たちが交戦し、僕が到着して鎮圧した」
あまりに短い報告。そこに、失われた同期たちの命や、俺たちの恐怖といった血の通った感情は、一滴も含まれていなかった。
ガルト大尉は俺たちを見渡す。
「ダリア様が来るまで良く持ちこたえた。貴君らはもう候補生ではない。立派なエリュシオン帝国の軍人だ」
褒められているはずなのに、少しも嬉しくはなかった。
胃の奥でどろりとした不快感が渦巻く。
さっきまで笑い合っていた仲間の亡骸に、誰も触れようとしない。軍靴がその横を、まるで瓦礫でも避けるように無造作に通り過ぎていく。
戦争とは、命を「記号」に書き換える作業なのか。
戦争とはそういうものだ。仕方がなかった。そう自分に言い聞かせることしか、今の俺には出来なかった。
「アオシマ殿。城に来てもらいたい」
休む間もなく、俺は連れていかれる。上段の間。無機質な石床を叩く軍靴の音が、不気味なほど高く響いた。
「ここから先は七星会議だ。発言は求められた時のみ」
重い扉が開く。
三日月形の卓。席は十四。
だが、埋まっているのは八。本来なら強者たちが並んでいるはずの卓は、虫食いのように穴が空き、異様な静寂を孕んでいた。
――壊滅している。その事実が、静寂の中に重くのしかかっていた。
「候補生か?」
「本日、亜人兵を単独でダリア様到着まで耐えていた者です」
冷徹な視線が、ナイフの刃先でなぞるように全身を這い回り、俺の価値を値踏みをしている。
赤の席には五名。青の席には三名。
そして――ぽっかりと空いた空席。特に青の第二席には、まだ主の体温が残っているかのような、生々しい空気が漂っていた。
「童よ。ここに召集した理由を述べよう」
「主には七星候補になってもらおうと思っておるのじゃ」
赤の第一席に座る角の生えた赤髪の女が、組んだ足の膝を叩き、傲岸に口角を上げる。
「……え?」
「主の天賦の才、気づかぬと思うてか?先の戦闘で主の魔力は遠方の妾にも届いた」
「――おっと妾としたことが自己紹介を忘れておったな。妾はラグネシア=ドラコ。亜人最後の龍族だ。主は青島ナオヤで間違い無いな?」
「は、い……」
赤い髪。琥珀の瞳。揺れる尻尾。この特徴が亜人という種類の人間を物語っている。
整った顔立ちに、あの瞳。見つめられているだけで、魂まで吸い込まれそうになる。
「主の魔力は制御が甘い。だが――底がない」
「妾は五百年、多くの天才を見てきた。じゃが主は違う。主の魔力は“器”という壁を持たぬ。……覗き込めば奈落まで落ちてしまいそうな、底知れぬ空洞じゃ。」
その言葉に、青の第一席の老人が重々しく口を開く。
「現在、我が軍は戦力を失っている。本日、……オルフェウスが戦死した」
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。誰も動かない。ただ空席が、ぽっかりと開いた傷口のように重く沈んでいる。
……オルフェウス。さっきダリアさんが言っていていた七星の人、か。
「七星は象徴だ」
「青嶋ナオヤ。お前を七星候補とする」
「だが未熟。力をつけてこい」
自分の心臓の音だけがうるさく聞こえる。静寂を裂いたのは、赤の第二席に深く腰掛けたダリアさんの声だった。
「焦らなくていいよ。君の"これから"を楽しみにしている」
ダリアさんが微笑む。だが、その甘い声は見えない鎖となって俺の首筋に絡みつき、獲物の首輪を締め上げるような所有の響きを孕んでいた。
「――以上だ。下がれ。」
廊下に出た瞬間。
「待て、童」
背中をなぞられたような不気味な気配にびくっと肩が跳ねた。振り返ると、柱に背を預けているさっきの女、ラグネシアだ。
……さっきまで座っていたのにどうやってそこに立っているんだ?
「……七星の戦闘専門、ラグネシアさん」
「さんはいらぬ。ラグネシアでよい」
にやりと笑い、近づく。
「未来の七星候補に、改めて自己紹介しておこうと思っての」
「いや、さっき聞きましたけど……」
「形式は大事じゃろ?」
耳元で、熱を帯びた吐息が、古い紙が擦れるような低い声と共に響く。
距離を詰められ、背の高さと距離感に圧倒される。
めんどくさい人に捕まったと心の底から思う。でも、脳を直接撫でられるような色気のある声に、俺の身体は金縛りにあったように硬直してしまった。
「主、妾の角を見てどう思う?」
「え? あ、いや……立派、です…?」
「ほう?」
ぐい、と顔を近づけられる。琥珀色の瞳の奥、爬虫類のように縦に割れた瞳孔が、俺の動揺を愉しむように細まった。
「触ってみるか?」
「え、い、いいんですか?」
反射的に手を伸ばしかけるが、指先が触れる寸前でぴたりと止まる。
「……って、いいわけないですよね?」
「くくっ……素直じゃのう」
パシ、と軽快な音を立てて尻尾が床を打つ。
危なかった……。あと一歩で、甘い罠に首を突っ込む所だった。
脳の奥がチリチリと痺れる。この女は、見た目の美しさ以上に危険だ。
「主、妾が“触ってよい”と言えば、本当に触るのか?」
「いや、だって七星の人が言うなら……」
「権威に弱いのう。若い若い」
ラグネシアは肩を震わせて笑う。
……完全に遊ばれている。
「……からかってるんですか?」
「からかっておる。それがどうした?」
ふいに距離がさらに縮まる。
「主なら、あるいは……。」
「な、なんですか」
「動くでない」
「――――――。」
何かを低く呟いた直後、ひやりとした指先が額に触れた。小さな魔力の火花が額の上で散るのが分かる。
「ッ!」
びくっと体が反応する。痛みはない。ただ、わずかに魔力が皮膚を撫でただけ。
「……な、何しました?」
「おまじないじゃ」
「は?」
額を触る。特に変化はない。
「主の魔力、荒削りすぎる。暴発すれば城が半壊しかねぬ。ほんの少しだけ、流れを整えてやった。――ということにしておこう」
「整えたって……勝手に?」
「嫌だったか?」
琥珀の瞳が面白そうに細まる。その瞳に見つめられると、蛇に睨まれた蛙のように言葉が詰まる。
「い、嫌とかじゃないですけど……先に言ってほしかった」
「言えば警戒するじゃろ?」
「そりゃしますよ! いきなり額に火花を散らされたら誰だって驚きます!」
「ほれ、今は無事じゃ」
今は、って……。一体なんなんだこの人は! 自由奔放すぎて、こっちの常識が全部かき回される。 距離感もおかしいし、これじゃ心臓がいくつあっても足りない!
ラグネシアはくすくす笑い、背を向ける。
「ではな、童。いや、ナオヤよ」
「……童ってやめてもらえません?」
「気が向いたらの」
「強くなりたかったら妾の元に来い」
手を振り去るラグネシア。尻尾が揺れ、角が灯りに影を落とす。
一人残された俺は額に手をやる。違和感はない。だが、さっきより魔力の巡りが少しだけ静か、に感じる。実際は良く分からない。
あの食えない性格だからな……完全に信用できる訳じゃないから怖い。
「ったく、なんなんだよ、あの人……」
ため息を吐き、城門へ向かう。夕暮れの空。七星候補として力をつけろと言われ、龍族におまじないをかけられ……分からないことだらけだ。
石畳を踏みしめ、俺は城を後にした。




