初めての感覚
ドゴオォン――轟音が灰色の空を裂き、黄色い閃光が辺りを照らした。俺たちの足元にまで衝撃が伝わる。
「まずい…かなり近くで戦闘しているな」
ガルト大尉が低く呟いた。
「魔導士たちは俺に続け!増援に向かう!」
その声で、周囲の兵士が一斉に動き出す。大尉は南方の城門へ向かう小隊を組む。俺は声をかけた。
「俺たちは…どうすればいいんですか?」
「二等兵は訓練場に残れ!上官命令だ!」
空気を震わす大声に、俺たち二等兵は背筋を伸ばす。しかし、大尉たちの背中を見送る心の中は空虚だった。
「……俺は、いつ役に立てるんだろう」
「まだ無理よ。私たちは戦争を知っていても、実際には見たこともない。行っても邪魔になるだけ」
ノエルが横で冷静に言う。
俺はしゃがみながら俯く。深いため息が自然に出た。闘うのは怖い。でも、陛下のあの優しさに応えたい――。二つの感情が、心の中で渦巻く。
――小一時間が過ぎた頃、嫌な匂いが風に乗って鼻を突く。俺たちは帽子を脱ぎ、地面に胡座をかきながら、不安を紛らわせるために雑談しているところだった。
「まだ終わらないねー…」
「はい。エリュシオン軍の戦闘、こんなに長引くはずないのに…」
「まだまだ長引きそうだな」
レイン、セリナ、イナミスが声を荒げる。俺も聞いていて、不安が胸に重くのしかかる。
「七星って城に控えてるんじゃないのか?」
「戦場に赴く者、外交に行く者、国境整備をする者などでバラバラですね。ですが最低二人は国内に点在しているはずです…」
ルークが眼鏡を直しながら答える。頭の中がざわつく。
強いはずの七星が戦場にいない…なぜだ?
――その瞬間「ノーブル軍よ!」
声と指差しに目を向けると、ジェットパックを背負った亜人兵たちが空中に浮かんでいた。ライフルを構え、三十人ほど。
心臓が跳ねる。
「なんで亜人兵がここに…?!エリュシオン軍は…?」
リーダー格の亜人が叫ぶ。
「折角侵入できたんだ。全員、皆殺しだ!」
瞬時に銃口がこちらを向く。俺は考えるより早く動いた。近くの遮蔽物に飛び込み、身を隠す。
ドドドドッ――鉄の雨が訓練場を叩きつける。
横を見ると、隠れきれなかった同期が…ボロ雑巾のように倒れていた。吐き気がする。フラッシュバックする、あの光景が――。
「大丈夫?」
レインの声。気づけば、同じ遮蔽物にいた。
「ああ…大丈夫。そっちは?」
俺は吐き気を飲み込み、聞き返す。
「こっちは大丈夫。…でも、エリュシオン軍は苦戦してるんじゃ…」
その言葉が、さらに不安を重くする。
――今、考えるべきはどう生き残るかだけ。
殺らなければ殺られる。俺の頭の中にはそんな言葉で埋め尽くされる。
右手に魔力を集中させる。
手からバチバチと電気のような音が漏れる。
「待って!」
レインの声を振り切り、亜人兵の前に立つ。
放たれた雷が、亜人兵の胸と壁を貫く。
――初めて人を殺した感覚。気持ちが悪い。
黒い血が石畳を伝い、鉄と焦げた肉の匂いの奥に吐瀉物の匂いが混じる。視線を横に向ける。
さっき銃弾に撃ち抜かれた同期―― 笑うと八重歯が見える、名前は確かカイルだったか。「故郷に妹がいる」と言っていた。
その身体は、もう原型を保っていない。帽子だけが、少し離れた場所に転がっている。
亜人のリーダー格が苦虫を噛み潰したような顔をし、銃口を向ける。
今度こそ本当に死ぬかもしれない。
――できるか?全員を撃ち落とすイメージ。殺らなければ殺られる。
さっきよりも多い魔力を込める。空気が震えるのが分かった。これなら行ける。
だが、亜人兵達は既に引き金を引いていた。
やば――――――
「土魔法・大地牢璧!!」
――突如、視界全体を覆うほどの土壁が成形され、亜人兵達を囲む。 壁の向こう側から亜人兵達の困惑の声が聞こえる。
なんだこれ? 誰の魔法だ?
「すまないね。遅れた。ここからは七星に任せて」
金髪の青年が、俺とレインの間にスッと現れた。整った顔立ちに、爽やかな笑み。翻る深緑のマントの裏地には、目に刺さるような鮮烈な赤が仕込まれている。左胸には、それと同じ、燃えるような赤の北斗七星のバッジ。
「……誰?」
思わず俺は口にした。
「僕は魔導幹部七星の一人、ダリア・グロキシニア。君は日本人のナオヤ君だね。よろしく」
七星が、本当に来てくれた。その事実だけで、鉛のように重かった胸の奥がふっと軽くなる。
「異世界人の君に、少し説明をしてあげよう。この北斗七星の色で戦闘か補佐か分かるんだ。赤なら戦闘、青なら補佐」
すぐ側で死を振りまく鉄錆と血の臭い。そんな戦場の殺気とは無縁な、あまりに淡々と、優しい声だった。
……ってか、七星って全然地味じゃねえじゃん!
俺が勝手に想像していたのは、闇に溶ける黒装束に、感情を殺した瞳の暗殺者だ。だが目の前の男は、隠れる気などさらさらないと言わんばかりに派手な色彩を纏っている。
この目立つ姿で、数多の戦場を生き残ってきたというのか。それとも、隠れる必要すら無いほど、圧倒的な強者だということなのか――。
「良く持ちこたえたね」
その労いが、逆に胸をざわつかせた。
……持ちこたえた? そんな綺麗な言葉で済ませていいのか。俺は守れなかった。カイルは死んだ。ノエルとイナミスの姿も見当たらない。
ふと視線を落とすと、自分の靴底がねっとりと赤い泥を吸っていた。それが誰の血かと考えた瞬間、喉の奥がせり上がり、呼吸の仕方を忘れそうになる。
「どうして、こんなに遅かったんですか……! 同期だって死んだんですよ!」
喉を引き裂くような俺の叫びに、ダリアさんは一瞬だけたじろぎ、すぐに機械的な冷静さを取り戻した。
「敵兵の偽装に惑わされてね。各地の侵入者を順次沈静化していたんだ。そこに予想外の強敵も現れた。……七星を一人失ったせいで、こちらの指揮系統も混乱していたんだよ」
淡々と語る彼の視線は、どこか遠く、ここではない「死の山」を見つめているようだった。
俺は言葉を失った。――この人たちも、地獄を潜り抜けてきたんだ。込み上げた怒りの行き場を失い、俺はふらつく足取りでレインの側へ戻る。
「馬鹿! ナオヤまで死ぬかと思ったじゃん!」
レインが俺の袖を強く掴む。指先から伝わる生温かい体温が、氷のように冷え切った俺の指先を少しずつ溶かしていく。
「……大丈夫だ」
嘘だ。全然大丈夫じゃない。けれど、そう口にするしかなかった。死者は語らず、生き残った者だけが次の戦場へ引きずり出される。それがこの世界の理だ。心臓が重い鉛に変わったような、二度と元には戻らない――そんな嫌な予感が、胸の奥に冷たく沈殿した。
ダリアさんが静かに、土魔法の制御を解く。
「土魔法・大地断罪」
巨大な万力にかけられたかのように、閉じ込められていた亜人兵たちが一瞬で圧殺された。肉が潰れ、骨が乾いた音を立てて砕け散る。
俺が命を削ってようやく一人倒した敵を、ダリアさんは塵を掃くように三十人まとめて「処理」した。息一つ乱れていない。――これが七星。人間という枠組みを外れた、圧倒的な暴力の化身。
ダリアさんが俺の目をじっと見つめてくる。その瞳は、慈愛に満ちているようでもあり、同時にガラス玉のように空っぽだった。彼は唇の端を吊り上げ、ニヤリと笑みを浮かべると、すぐに興味を失ったように視線を逸らした。
心が無い。そう直感させるのに、なぜかその瞳から目が離せなかった。
「ナオヤ君、よくやった」
ダリアさんの声が耳の奥で反響する。言葉に嘘はないのだろう。けれど、胸のざわめきは泥のように濁ったままだ。
「今度こそ、落ち着いて行動して」
レインがそっと肩を叩く。その掌の微かな重みだけが、俺を辛うじて現実の地面に繋ぎ止めていた。
戦場は終わらない。だが、初めて奪った命の感触と、守れなかった後悔の痛みは、俺の輪郭を決定的に変えてしまった。
――俺はもう、ただの候補生には戻れない。
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