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エリュシオン人として生きていく


 通されたのは大聖堂ではなく、城の一室だった。


 広すぎない部屋に、四人掛けの木製の食卓。

 壁には装飾が少なく、窓から入る光だけが室内を照らしている。

 並べられた料理も、豪華というより量を抑えた実務的なものだった。

 黒パンと薄く切った燻製肉、豆のスープだけだ。

 向かいに座る皇帝は言った。

「贅沢は兵の士気を下げる」

 黒パンをちぎる。硬い。味も薄い。それでも――戦場の泥の味よりは、ずっとましだった。

 食事を終えたあと、俺は口を開いた。

 

「すみません、皇帝様。お名前を、まだ伺っていませんでした」

「余はオスト=エリュシオン六世だ。皇帝、もしくは陛下と呼ばれている」

「では陛下と」

 陛下。俺は陛下の役に立ちたい。今のは俺に何が出来るのかは分からない。それでもそう思えた。


 陛下は頷くと、満足そうに息をついた。

 そして、表情を改めた。自然と背筋が伸びる。

「ナオヤ。三日間、そなたに何もさせぬ」

「……え?」

「まずは知れ。この国を」

 兵器ではなく、人として扱われている。そう理解した。

 

 案内役として現れたのはガルト大尉だった。

「改めて歓迎する、アオシマ殿」

 四十代前半ほどの男。口髭を整え、軍服の腹回りが少し張っている。声は大きく、姿勢も堂々としていて、視線が真っ直ぐだ。

 

 連れて行かれたのは地図室だった。

「まずは地図だ」

 壁一面に巨大な地図が貼られ、色分けされた国境線には無数の駒が突き刺さっている。

 ガルト大尉が羊皮紙のざらついた感触を確かめるように、地図の中央――俺たちがいる「エリュシオン帝国」から指先を滑らせた。

 まずは東

 「ハルモニア。金がすべての交易国家。連中にとっての正義は、硬貨の重さだ。平和を金で買えるなら、誰の首でも差し出す連中だ」

 

 指が西へ動く

 「タルタロス。魔族の帝国だ。誇り高く、独自の規律を重んじる。彼らは自分たちの領土を土足で踏み荒らされることを許さない」

 

 南へ指が向いた瞬間、大尉の眼光が鋭くなった。

「ノーブル。……かつて人間に虐げられてきた亜人共の国家だ。奴らは勇者という"先導者"を得て以来、積年の恨みを晴らすべく狂信的な侵攻を繰り返している。今や、南の国境は血の海だ」

 

 そして、北

「レギウス共和国。勇者を擁し、我らが帝国を"討つべき悪"と喧伝する聖戦の拠点だな」

 そこには他の国よりも一回り大きな、剣を象った白磁の駒が鎮座していた。

 勇者。その言葉に、喉の奥がひっかかる。

「十二年前、共和国に三人の勇者が召喚された。異世界人――日本人だ」

 

 心臓が一拍、遅れてねじれた。俺と同じ日本人。

 その事実が、胃の底にドロリとした重い鉛を残す。

「勇者は我が帝国の主戦力であった“七星”と相打ち。その余波で我らは戦力の半数を失い、国力は五大国のうち、三位まで転落した」


 勇者は俺と同じ日本人。なのに敵対している国はエリュシオン帝国。

 俺は勇者に対抗するために召喚されたのか?

 それとも、本来の召喚先はレギウス共和国だったのか?

 いろんな仮説が浮かんでは消える。だが、答えは出ない。

 ……チッ、頭がパンクしそうだ。

 

 大尉が、地図上の赤い駒をいくつか無造作に弾き飛ばす。カラリ、と床に転がる駒の音。順位を聞いても実感はない。ただ、俺と同郷の「勇者」が振るった正義によって、この国は負け、蹂躙されたのだという事実だけが、そこに転がっていた。


「陛下は、アオシマ殿を信用している」

 その言葉が、石のように喉の奥に居座った。

 大きな手が俺の肩を叩く。その掌の熱が、冷え切った俺の体に、重い責任を刻みつけるようだった。

 ガルト大尉が踵を返す。

「行くぞ。此処に居座っていては根が生えてしまう」

 

 城内の廊下を抜け、外へ出る。

 不意に、冷たい風が頬を打った。

 城門を抜けると、そこには俺の背丈の何倍もある巨大な石造りの外壁が、威圧するように視界を覆っていた。

 見下ろす街並みは、落ち着いたレンガ造りで、煙突からは幾筋もの白煙が上がり、人々の生活の匂いが漂ってくる。

 

 だが、その牧歌的な光景の中に、異質な「金属製の塔」が何本も混じっていた。

 先端は槍のように鋭く尖り、脈動するように青白い光の線が走っている。

「あれは魔導兵器だ。……我が帝国の、数少ない希望の一つだな」

 大尉の言葉に、俺はただ黙って頷くことしかできなかった。

 説明されても仕組みは分からない。

 

 ただ、あの青白い光の先に、俺と同じ「日本人」の勇者たちがいることだけが、嫌というほど理解できてしまった。

 ――俺は、あんな化け物みたいな兵器と一緒に、戦わなきゃいけないのか?

 

 考えれば考えるほど、視界がぐらりと揺れた。

 

 次に向かったのは大聖堂だった。城に隣接する大聖堂は、天井が高かった。赤と青のステンドグラスから光が落ち、床に色の帯を作っている。

「戸籍登録をするぞ」

「戸籍登録?俺はこの国の国民になるとかそんな感じですか?」

「そうだ。どこの馬の骨かも分からんやつにアオシマ殿を取られるわけにはいかんからな。この紙に書くのだ」

 俺は言われるがまま書類にペンを走らせる。俺はエリュシオンの国民として登録された。

 

 渡されたのは、革張りの手帳型の国民証だ。

 表紙には帝国の紋章が刻印され、中を開くと、自分の名前と住所が羊皮紙に浮かび上がっている。 

「……ステータスか」

 名前の横には、この世界の住人なら誰もが持っているだろう項目が並んでいた。

 

 氏名:アオシマ・ナオヤ

 身分:帝国市民

 職業:未設定

 魔法属性:未測定

 魔力量:未測定

 使用可能魔法:不明

 ――

 ――――

 

 以降は割愛するが、その他には何ページにも渡って個人情報とかが書かれていた。

 住所の欄には、陛下が用意してくれたという場所が記されている。

 やっぱり魔法がどうのこうの書かれていた。だが、今の俺にはその価値も、この先どう変わっていくのかも、まるで見当がつかなかった。

 

「よし、行くぞ。次は家だ」

 大尉に促され、俺は国民証をポケットにねじ込んだ。

 家、か……陛下が家を用意してくれたのか?

 少しワクワクする気持ちを抑えガルト大尉の大きい背中を追いかける。

  

 家に向かう道中、白髪の少女と目が合った。肌は透けるほど白い。瞳は淡い青。――泣いた跡のように、赤く腫れていた。

 漫画に出てくるような美少女。そう評価せざるを得ない顔付きだった。

 俺が視線を逸らすと、少女も何も言わず歩き去った。

 すれ違いざま、冬の朝のような、ひんやりとした空気が肌をなでた。

 聞いた話では、あの少女はアルヴェスティアという家筋の娘らしい。

 透き通るような白い肌に白髪、そして碧眼。

 その特徴を持つ者は代々、聖女を輩出する特別な血統なのだという。

 ……聖女、か。

 いかにもな設定だけど、あの浮世離れした姿を思い返せば、あながち嘘とも思えなかった。異世界自体がフィクションみたいなものだし。

  

 案内されたのは、こぢんまりとした平屋だった。手入れの行き届いた小さな庭とは対照的に、建物そのものは驚くほど質素だ。

 一歩足を踏み入れれば、使い込まれた木の床が微かな軋みを上げ、低い天井がすぐ頭上に迫る。

 ……落ち着く。

 この、手を伸ばせばすべてに届きそうな絶妙な閉塞感。

 それがかえって、剥き出しだった俺のパーソナルスペースを優しく保護してくれるような気がした。

 日本人の性とでも言うのだろうか、この狭さが今はたまらなく愛おしい。

 

 翌日からは、町を回りながら生活の仕方を教えられた。言語や文字も、自然に理解できていることを知る。「異世界人の特性だ。」ガルト大尉はそう言った。

 うん。よくある女神からの加護みたいなやつだろう。俺は直接貰った覚えはないけど、便利だからありがたい。どうせなら力も欲しかったけどさ。

 

 ――三日目。

 昨日までとは打って代わり、城で資質調査を受けることになった。石造りの訓練場で、水晶に手を置く。空気が弾け、水晶が青白く光る。床に魔法陣が浮かび上がった。

「イメージを」

 俺が一番最初に出てくる考えは一つだ。それをイメージする。

 袖に付いた汚れを消すイメージをし、指を鳴らす動作をする。袖に付いた血痕がチリチリと焼けるように消えた。訓練場が静まり返る。

「雷魔法……だが異常な精度だ」

 魔導士長が呟く。

 本当にイメージ通りだ。分子レベルで消すイメージをしただけなのに消えた。でも手がビリビリとした感覚を残している。

 俺は少し焦げた指先に視線を向ける。汚れを消せる。痕跡を消せる。血も……消せる。俺に都合の良い力だ。

 それはつまり――ここで生きていけるということ。

 胸の奥が、わずかに落ち着く。遠くで鐘が鳴る。それは歓迎の音のようにも、逃げ道が閉ざされる音のようにも聞こえた。俺は理解する。

 

 この国で、役に立てる。そして同時に――もう、この国の外では生きられない。俺はエリュシオン人になった。

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