潔癖症な中尉
――あれから三年の月日が経った。
俺は青嶋ナオヤ。十九歳。
エリュシオン軍の中尉で、今は第四魔導部隊の副隊長という椅子に座っている。
この部隊に異動になったのは二年前のことだ。隣国であるレギウス共和国との戦線が膠着し、人員減少が深刻化した際、補充戦力として俺とノエルがここへ投げ込まれた。
俺自身は、軍人として"そこそこ"の仕事をこなしてきたつもりだ。
適性があった魔法を少しばかり磨き、生き残るために最低限の剣振りを覚えた。それが結果として、この階級と立場に繋がっただけのこと。
休暇が入れば城下町へ帰り、アリシアや同期の連中と平和な時間を満喫する。……それだけで、俺の人生は十分に満たされていた。
「――全軍、突撃ッ! 裏切り者の日本人を八つ裂きにしろ!」
耳を貸すのも無益な怒号が、雪原に響き渡る。
視界の先、鉄の鎧に身を包んだレギウスの歩兵連隊が、死に物狂いでこちらへ殺到してくるのが見えた。
裏切り者……ねえ?立場が変われば正義も変わるというものを……。とはいえ、コイツらも俺と同じ人間だ。家族がいれば、守りたい生活もあるのだろう。
だが、今の俺にとって、それらは演算を狂わせる"ノイズ"だ。
「……五。四。……三」
俺は軍刀を抜き、流れるような歩法で敵の真っ只中へと踏み込む。
先頭にいた男の喉が、音もなく裂けた。
噴き出した鮮血が、俺の頬と軍服の肩口に数滴、不愉快な熱を持って付着する。
「チッ……汚れたな」
俺は次の敵を斬り伏せる動作の合間に、左手をかざした。
「――雷魔法・浄嵐」
バチッと空気を焼く音がし、俺の全身を青白い雷光が駆け抜ける。
刹那、付着した血液は分子レベルで分解され、蒸発した。軍服は再び、新品同様の潔白さを取り戻す。
「化け物め……死ねぇッ!」
横から突き出された槍を、最小限の動きで回避し、そのまま返しの刀で男の胸を貫く。
倒れゆく敵の目には、恐怖と、理解不能なものを見る絶望が貼り付いていた。
俺は止まらない。
右手の軍刀で肉を断ち、左手の青白い雷でその返り血を即座に清掃する。
舞うように。
そして、事務作業のように。
俺が通り過ぎた後には、一滴の血痕さえ残らない清潔な死体の山だけが積み上がっていく。
……一秒の遅れ。剣筋が〇.二ミリほど外側に流れたな。次は修正しろ、ナオヤ
自分自身を磨き上げられた一振りの「兵器」として、淡々とメンテナンスし続ける思考。
「……相変わらずね、ナオヤ。戦ってるんだか、掃除してるんだか分からないわよ」
返り血を浴びたノエルが、苦笑いしながら隣に並ぶ。
この凄惨な殺戮の場で、唯一俺をただの「ナオヤ」として呼ぶ彼女の声だけが、俺の耳に届いていた。
「副隊長に続け! 敵の右翼を食い破れッ!」
俺の背後で、部下達が喉を枯らして叫ぶ。
彼らの瞳に宿る熱。それは、俺が隊長に向けているものと同じ、純粋な戦意と、――盲目的な崇拝の色だった。
一閃。
俺の軍刀が、レギウス兵の首を正確に跳ね飛ばし、魔法が身体を焼ききる。
宙を舞う鮮血。それが俺の視界を汚す前に、左指を弾く。
バチッと青白い火花が爆ぜ、敵の返り血は霧散する。軍服の深緑の生地を白銀の放電がなぞり、一滴の不浄も許さぬ輝きを保ち続ける。
「……すげえ。本当に、一滴も浴びてない!」
「まるで、戦場そのものを拒絶している……」
部下達の感嘆が、耳に届く。
コイツらにとって、この光景は勝利を約束する「奇跡」なのだろう。泥にまみれ、血に塗れて戦う彼らにとって、常に清潔で、常に完璧な俺の姿は、いつしか戦場の暗闇を照らす唯一の道標となっていた。
……阿呆らしい。そんなに立派なものじゃないのに。
俺は心の中で、自分に向けられた羨望を鼻で笑う。
――潔癖の死神。
軍内部で囁かれるその二つ名を、俺は世界で一番皮肉な呼び名だと思っている。
「死神」という点には異論はない。俺は今日だけで、すでに数十人の同じ"人間"を演算の結果として処理した。
だが、「潔癖」? 冗談じゃない。
俺の掌は、三年前のあの日から、どれほど魔法を重ねても落ちない汚れで溢れかえっている。石鹸で皮が剥けるまで洗っても、脳裏に焼き付いた肉を断つ感触だけは、何ひとつ洗い流せていない。
物理的な汚れを青白い雷で焼き飛ばすたびに、俺の精神は、より深い泥沼に沈んでいく。
俺が綺麗であればあるほど、俺の中の化け物が完成されていく。
「副隊長! 敵の第二波、来ます!」
若い部下が、俺の背中を守るように叫ぶ。
その必死な顔を見て、俺はわずかに胸が疼くのを感じた。
……お前達、そんなに俺を頼るな。俺が正義である限り、お前達の人間性は、俺という機械の部品に成り下がるんだぞ
だが、俺の口から出たのは、部下達の期待を裏切らない、冷徹で完璧な指揮官の言葉だった。
「……慌てるな。俺の歩調に合わせろ。一兵たりとも欠けさせはしない。……それが一番、合理的だからな」
俺は再び軍刀を構え、敵の集団へと吸い込まれるように踏み込む。
青白い雷光を纏い、美しく、冷たく。
部下達の"憧れ"を燃料にして、俺はまた一歩、人間という境界線の外側へと踏み出していた。
――戦闘が終わり、駐屯地を支配するのは、重い静寂と泥の匂いだ。
俺は執務室の硬い椅子に深く腰沈め、ようやく自分のための時間を手に入れていた。
机の上に置かれた一通の手紙。
アリシアから届いた、少し不揃いな文字が並ぶ便箋だ。
ナオヤ、お仕事お疲れさまです。こっちは最近、お庭のひまわりが咲き始めました。ナオヤが帰ってくる頃には、きっともっと大きくなっていると思います。成人の儀も無事に終わりました。……無理はしないでね。ご飯はちゃんと食べていますか?
ただの、なんてことのない近況報告。
だが、その一文字一文字が、戦場でささくれ立った俺の神経を、温かな真綿で包み込むように解していく。
……ひまわり、か。あいつ、去年も種を植えすぎて、庭をジャングルにしてたっけな
脳裏に浮かぶ、土にまみれて笑うアリシアの姿。
軍服の汚れにはあんなに過敏な俺が、彼女の鼻の頭についた泥だけは、綺麗だと思えてしまう。その矛盾が可笑しくて、俺は無意識に、誰に見せるでもない小さな笑みをこぼしていた。
「……あら。死神様が、人間の顔をしてる」
不意に扉が開く音と共に、揶揄うような声が降ってきた。
俺は瞬時に手紙を伏せ、いつもの無機質な副隊長の顔を作り直す。入り口には、肩にタオルをかけたノエルが、面白そうに目を細めて立っていた。
「……ノエル。入る時はノックしろと言ったはずだ」
「したわよ、三回も。ナオヤがニヤニヤしすぎてて気づかなかっただけでしょ?」
ノエルは勝手知ったる動作で俺の向かいに座り、机の上の手紙をチラリと見た。
「アリシアから? 本当、あなたってあの子のことになると、計算機が壊れたみたいに甘くなるわよね。……さっきまで、青白い雷でレギウス兵を「お掃除」してた人とは思えない」
「……ただの生存確認だ。アリシアの精神状態が安定していることは、俺の戦術的なパフォーマンスを維持するために必要な変数だからな」
「はいはい、そうやってすぐ合理的とか言っちゃう。素直に、会いたくてたまらないって言えばいいのに。……今の顔、部下達に見せてあげたいわ。"潔癖の死神"が、実は初恋を引きずってるただの十九歳だって」
ノエルの言葉に、俺は眉をひそめる。
「妹のように可愛がっているだけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「ふーん? 妹ねえ。あんなに熱烈な追伸がついてる手紙を、毎日軍服の胸ポケットに入れてるお兄様なんて、聞いたことないけど?」
「……はあ……。」
その視線には、今も変わらず隣にいてくれる戦友としての温もりがあった。
「……ノエル。今の話、他の奴らに漏らしたら、次の訓練メニューを三倍にするぞ」
「うわ、独裁者!アリシアの事になったら、いっつもこうなんだから 」
ノエルは立ち上がり、扉の方へ向かう。
閉まる間際、彼女は振り返らずに言った。
「明日から休暇よ。……しっかり休みなさい?副隊長」
バタン、と扉が閉まる。
再び静寂が戻った部屋で、俺はもう一度、伏せた手紙を開く。
指先でなぞる、アリシアの名前。
この温もりがある限り、俺はまだ、人でいられる。
……明日はアイツ等と、柄にもなく騒ぐことになりそうだ。
早く寝るとしよう。休暇の間だけでも、効率なんて言葉を忘れるために。




