表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/25

異世界へのカウントダウン


 昼休み明け。眠気が教室を満たす四時間目。

 そのとき――ゴゴゴゴゴ……耳鳴りのような低音が、頭の奥で鳴った。


「……なんだ、これ」

 周囲を見る。

 誰も反応していない。

「なあマサキ、聞こえるか?」

「は? なにが?」

 即答だった。

「なんも聞こえねーよ。寝ぼけてんじゃね?」


 その瞬間。音が、変わった。

 押し寄せるような。擦り合うような。何かが軋む音。

 言葉にできない圧が、頭の内側を満たす。

 ――パリン

 何かが割れた。同時に、手の感覚が消える。足の感覚が消える。声が出ない。 

 視界が、白に塗り潰された。

 ――ああ。

 俺、死ぬんだ。彼女も作ってないのに。

 そんな、どうでもいいことを考えながら。意識が落ちた。

 

 目を開けた瞬間

 泥と血の匂いが、肺に流れ込んだ。

 暖かいものが頬にかかり反射的に拭う。赤い。

 足元に転がっていたのは……人の腕だった。

 灰色の空。焼けた肉の臭い。鉄の溶ける匂い。

 深緑の軍服の兵士が、獣の耳を持つ女の喉を裂く。血が噴き出し、喉が鳴り、倒れる。

 これは夢じゃない。


 人間が亜人を斬り、亜人が人間を貫き、後方から降る火球が、敵味方まとめて焼き払う。

 逃げ遅れた兵士が、槍で地面に縫い付けられる。

  

 逃げろ。そう理解しているのに。

 体が動かない。現実感が追いつかない。

 そのとき、「大丈夫か。立てるか?」

 低い声。肩を掴まれ、強引に引き起こされる。

 振り向いた先にいたのは、深緑の軍服を纏った男だった。三十代後半ほど。頬に走る古い傷と、乾ききっていない血。だがその目は、妙に冷静だった。


「何故ここにいる。民間人か?」

 喉が乾く。

「……ここ、どこですか」

 自分でも情けない声だった。

 男は一瞬、俺の制服を見た。ブレザー、ワイシャツ、黒髪。

「その格好……異世界人か?」

 心臓が、どくりと跳ねる。異世界。その単語に、別の意味で息が詰まった。

 

「日本……です。俺、日本から……」

 男の表情が変わった。

 背後の兵士たちがざわめく。

「ニホン……?」「まさか、伝承の――」

 男は直立した。

「エリュシオン帝国軍、第三国境守備隊隊長。ガルト・フォン・ベルシュタイン大尉だ」

「ここは貴殿の世界ではない。戦場だ」

 戦場。その言葉が、妙に軽く聞こえた。俺の脳が、勝手に変換する。異世界転移。日本人。戦争中の国。

 ――これ、テンプレじゃん。

 魔法が飛んでる。軍人がいる。俺は召喚されたっぽい。つまり主人公。

 現代知識チート、魔法覚醒、無双開始。

 想像とは少し違ったけど俺はやっぱり異世界に来たんだ!

 胸の奥で、場違いな高揚が跳ねる。

 ――だが。


「……あ」

 足元がぬかるんでいた。バランスを崩す。

 咄嗟に手をついた。柔らかい。生温かい。視線を落とす。

 さっきまで泣きながら誰かの名を叫んでいた若い兵士の死体だった。

 顔の半分が、ない。


「……ッ」

 胃が裏返る。

 ワイシャツの袖に、血がべったりとついた。赤黒い染みが、繊維に吸い込まれていく。

 拭っても、広がるだけ。落ちないし、消えない。

 ゲームじゃない。リセットもセーブも、ない。


 ガルト大尉が俺を引き上げる。

 その手袋にも、他人の血がこびりついていた。俺の肩に、新しい手形が刻まれる。

「止まるな」

 冷たい声。

「ここは死地だ」

 足元で、瀕死の亜人が指を伸ばす。血まみれの手が俺の靴に触れた。

 ぬるり、とした感触。


 その瞬間。

 胸の奥の“ワクワク”が、音を立てて潰れた。

 英雄なんてどうでもいい。無双なんていらない。

 ただこの汚れから、離れたい。

 それだけが、はっきりしていた。

 

「……行きます」

 自分でも驚くほど、声が乾いている。

「連れて行ってください」

 どこでもいい。この泥と血の中以外なら。

 ガルトは短く頷いた。

「総員、護送体勢。皇帝陛下の御前へ」

 兵士たちが俺を囲む。

 守られているはずなのに、檻に入れられた気分だった。

 歩きながら、袖を見る。血の染みが、そこにある……消えない。

 こびりついた鉄の匂いが鼻をつく。

 

 汚れたくない。誰のかも分からない血が滲んだ袖を見てそう思った。

 この世界で生きるなら。俺は、汚れない方法を探す。

 そうでなければ、壊れる。 

  

 ――重厚な扉が、低く軋んで開いた。

 戦場の喧騒が嘘のように消える。

 赤い絨毯。高い天井。

 揺れる燭台の炎。

 静寂だけが支配していた。


「日本の御方、前へ」

 ガルト大尉の声に背を押される。一歩踏み出す。

 絨毯が靴底を柔らかく沈ませた。戦場の泥とは違う。

 視線を上げる。

 玉座には、一人の男がいた。白い髭を胸元までたくわえた壮年の男。年は五十を越えているはずだが、背筋はまっすぐだった。 

 指輪よりも先に、手の甲の古傷が目に入る。戦場に立ってきた者の手だ。


 男の目は違った。値踏みではない。警戒でもない。

 ただ、静かにこちらを見ていた。

 叱られる前の担任のような。なぜか、そんな感覚が胸をよぎる。

 俺は無意識に袖を握る。血の染みが、まだ残っている。


 片膝をつく。

「……顔を上げなさい」

 低く、よく通る声。思っていたより柔らかい。重厚な空気の中に、日向のような温かさが混じっている。


 ……落ち着く。男の声は俺の傷を埋めてくれるように優しい。

  

 顔を上げると、男はほんの僅かに目を細めた。

「遠き異邦より来た若者よ。まずは――無事であったことを、余は嬉しく思う」

 その一言で胸の奥の緊張が、わずかに緩んだ。戦場の視線とは違う。

 この人は俺を“兵器”ではなく、“人”として見ている。そう、思った。

 皇帝は続ける。

「名を、聞かせてくれるか」

 名前を口にした瞬間、もう元の場所には戻れない気がした。

 それでも――この人の前なら、汚れないままでいられる気がしてしまった。だから俺は、名を名乗った。

 

 ――それが、全ての始まりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ