罪の記憶
薄明の空の下、まだ朝露に濡れる草を踏み分け、ノエルが合流する。
息を切らしながら、彼女は古参兵に向かって報告を口にした。
「報告です。敵は亜人兵で五人。恐らく先日の報復かと思われます」
「ふむ、五人か。我々だけで対応できるな。行けるか?」
……報復か。
あの時見た亜人兵と娘の写真が脳裏に焼き付いて離れない。
逃げられない。
……逃げない。
今の俺にはノエルへ視線を向けることが出来なかった。
古参兵が俺達へ期待も込めた鋭い視線を向ける。
「俺が行きます。もう……覚悟は決めてます。」
そうだ。覚悟はもう決めた。
命を奪う覚悟。
責任を負う覚悟。
そして――汚れる覚悟も。
俺は早朝の冷気に曝されてひんやりと冷たい軍刀の柄を握り締める。
「分かった。ノエルとイナミスは後方支援、レイン、ルーク、セリナ、お前達は俺と共に他に敵が居ないか警戒だ。」
「「「了解です!」」」
俺達は迎撃の準備を進め、接敵をして来る方向に歩みを進める。
「本当に大丈夫なの?」
「アイツなら大丈夫だ。俺が保証する」
後ろからノエルとイナミスの会話が聞こえる。
だが、今の俺は集中をしていて返す余裕がない。
予定の場所についた俺は、ふう…と息を吐き眼前に迫る敵に目をやる。
「チッ…、待ち伏せされてやがったか。」
「お前等か?アイツを殺ったのは?」
「待て…お前匂いが変だな。」
亜人達が各々喋っている。
そんな中、俺は……無言で軍刀の柄に右手を添える。
俺の行動に亜人兵達も武器を構える。
「……話し合いの余地は無さそうだな。仇を取ってやる」
一人、短剣
一人、槍
三人、小銃
……まずは小銃持ちを潰すべきだ。
俺は左手を小銃持ちの方に向ける。
「雷魔法・雷鎖」
「グッ……?!」
「魔導士か!クソッ!」
よし。あの三人は捕らえた。
次は槍持ちだ。
槍は中距離だから、俺とは相性が悪い。
……。
「雷魔法・雷穿!」
雷の閃光が槍持ちの亜人の身体を突き抜ける。
どさりと、濡れた地面に重い肉塊が転がる音がした。
「ガ、ガルッ!? 嘘だろ、一撃で……っ!」
残った短剣持ちの亜人兵が、戦慄に顔を歪ませながら叫ぶ。
その鼻が、ひくひくと不自然に動いた。
「……な、んでだ。その匂い、間違いない。十二年前、俺たちの集落を救ってくれた"勇者"と同じ……日本人の匂いだろ?」
亜人の瞳に、困惑と裏切られたような悲痛な色が混じる。
「なのに、なんでその服を着てる……! まさか、ダン達を殺したのもお前か!?」
絶叫に近い問いかけ。亜人兵は、縋るように言葉を叩きつけてきた。
「アイツには……アイツには家族がいたんだぞ! まだ物心もつかない、幼い娘、リリィが待ってたんだ! 毎晩家族に手紙も書いてたんだ!お前ら日本人は、俺たちの味方じゃなかったのかよ!」
糾弾する叫び。だが、今の俺の耳には届かない。
いや、届かないようにしている。
今は、思考を止め、感情を塗りつぶし、ただ目の前の敵を処理することだけに意識を研ぎ澄ます。
――家族。娘。
そんな言葉を、今の俺が受け入れてしまえば、剣を振るう腕が止まってしまう。
奪わなければ、奪われる。
俺がここで躊躇えば、後ろにいるノエル達が奪われるかもしれないんだ。
俺は一歩、踏み出す。
柄に添えた右手が震える。
俺はその震えを押し殺すように柄を強く握り締める。
右手の軍刀が鞘から滑り出し、朝露を切り裂くような鋭い音を立てた。
乾いた金属音が耳にやけに大きく響く。
もう、振る覚悟は出来てる。
「……ひっ! 来るな、来るなよッ!」
怯える亜人。地面に腰を着き、後退する。
その首へ、俺は一切の躊躇なく、一撃を叩き込んだ。
魔法での攻撃の手応えは無機質だった。
だが、軍刀から伝わる手応えは、あまりにも生々しかった。
――これで、二人。
熱い返り血が、冷え切った俺の頬を汚した。
……暖かい。
軍刀を振り下ろした姿勢のまま、俺は、まだピクリとも動かない。
「雷魔法・浄嵐」
返り血の着いた肌と服を綺麗にする。
……。
……。
残りの三人。
俺の魔法で捕らえられたままだ。
何も出来ずに見ていた彼らの己の無力さは、俺には到底計れない。
目の前の現実が信じられないといった様子を見せ、俺と視線が交える。
化け物を見る目だ。
俺は目を背けながら、一人ずつ心臓に軍刀を突き立てる。
「凄い……、迅速に終わらせた……。」
「これで、この場は鎮圧。」
「……ナオヤ?」
後ろから、ノエルの不安そうな声が聞こえた。
その瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れる。
俺の手は、自分でも驚くほど激しく震えていた。
「はぁ……はぁ……っ……」
肺に溜まっていた熱い空気を吐き出し、俺は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。
あの感触が手に残る。
始めて人を殺したあの時よりも鮮明に、そして濃厚に。
耳の奥で、先ほどの「幼い娘」という言葉が、呪いのように反芻していた。
「報告に……行こう」
声を絞り出し、俺は一歩を踏み出す。
その拍子に、鞘に収めきれなかった軍刀がカチリと冷たい音を立てた。
イナミスはただ俺を見つめている。
背後で、ノエルが微かに衣擦れの音をさせた。伸ばしかけたその手が、俺の肩に触れる直前で、行き場を失って宙を彷徨う気配がした。
何かを言いかけ、結局は言葉を飲み込んだ気配だけが背中に突き刺さる。
今の俺には、その温もりに振り返る勇気さえなかった。
薄明の空は、いつの間にか白み始めている。
新しい一日が始まるというのに、俺の視界は、先ほど見た亜人兵の絶望した瞳の色に染まったままだった。




