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灰色の残響


 夜明け前の駐屯地は、まだ静かに眠っているようだった。

 焦げた岩肌と灰色の空の匂いが風に混ざり、鼻をくすぐる。


 あれから二日。

 戦場の熱気は去ったはずなのに、胸の奥にはまだあの光景が残っている。


「……戦場は、九割が退屈。残りの一割で、全部を持っていかれる」


 独り呟く。

 あの一割で、俺は何をした?

 守った?

 違う。


 ――奪った。


 駐屯地の奥で、古参兵が手招きする。


「後片付けも任務だ。目を逸らすな」


 並べられた遺品。

 血が拭われた武具。

 小さな革袋。

 全部……"綺麗"だ。

 そして、一枚の写真。

 俺はそれを手に取った。

 娘を抱えた亜人兵と、その小さな娘。

 娘は父の腕に抱きつき、無邪気に笑っている。

 写真の裏に、幼い文字があった。


 だいすきなパパへ。がんばってね。――リリィ


 俺は一瞬だけ、目を伏せた。

 そして写真を革袋へ戻す。


「……ッ」


 胃の奥がねじれる。

 あの時、家族を逃がすためだと言っていた亜人。

 俺と同じくらいの年だった。

 敵じゃない。

 父親だった。

 俺は守れなかったんじゃない。

 奪ったんだ。

 戦場で剣を振るうということは、そういうことなんだ。

 手のひらが震える。

 俺が弱ければ、逆だったかもしれない。

 奪われていたのは――俺たちの方だ。

 アリシアの顔が浮かぶ。

 同期たちの笑い声がよぎる。

 世界は平等じゃない。

 誰かが笑う裏で、誰かが泣く。

 俺は写真を見つめたまま、静かに息を吐いた。


「……忘れない」


 この重さも。

 この吐き気も。

 奪ったという事実も。

 目を逸らさない。


 だから――強くなるしかない。

 守るために。

 

 整理を終え、俺は訓練棟へ向かった。 

 鞘に納めたままの軍刀と向き合う。

 柄に触れる。

 冷たい。重い。

 魔法があれば十分だと、どこかで思っていた。

 だが違う。

 守るってのは、手段を選べるほど甘くない。

 これを振るえば、また誰かを奪う。

 振るわなければ、奪われる。

 俺は柄を握り直した。


「振る。守るために、振る」

「やるのか?」

 

 振り向くと、イナミスが立っていた。


「お前、思い詰めてるだろ?訓練場で亜人兵を倒した時もそんな顔をしてた。」

「……当たり前だろ。俺の居た国では人殺しなんて有り得なかった。」


 …そうだ。俺はただ平和に生きていただけなんだ。

 奪うか奪われるかの世界とは真反対だったんだ。


「俺達の世界だって有り得ないさ。だけど、俺達は軍人だ。他人を守るためには誰かを犠牲にしなきゃいけない。」


 俺達はその"誰か"になる覚悟があって此処に立っているはずだろ?

 その言葉に俺は自分が背負うべき"罪"の正体を突きつけられた気がした。

 ……俺は責任から逃げているだけだ。

 

「……剣の相手、頼めるか?」

「いいぜ」


 軽い調子で剣を抜く。


「まずは基本な。力むなよ」


 刃が交わる。

 金属音が朝の空気を裂いた。

 重い。

 魔法とは違う、確かな手応え。


 振るう。

 受けられる。

 焦りが生まれた瞬間、正確な剣先がそれを制する。


「ほら、顔固い」

「うるっせぇ!」


 踏み込む。

 弾かれる。

 体勢を崩す。


 だが――下がらない。


 怒りじゃない。

 罪悪感だ。

 それでも踏み込む。

 やがて限界がきて、俺は荒い呼吸とともに膝をついた。

 汗が地面に落ちる。視界が揺れる。


「はい、そこまでー」


 軽い声。


「はあ……はあっ……キツ……」

「顔やばいぞ」


 俺は息を整えながら言う。


「俺は……守ったんじゃない。奪った」


 一瞬だけ静かになる。


「そりゃそうだろ」


 あっさり返された。


「戦場だぞ。慈善活動じゃない」


 俺は睨む。


「ショック受けるのは普通。でも事実は事実」


 軍服の膝を叩きながら続ける。


「で、それで?ナオヤはどうしたい。」

「……次に活かす」

「ならいい」


 即答。


「何も感じない奴の方が危ない。お前はちゃんと考えてる」


 俺は顔を上げる。


「戦闘中も判断が落ちてない。踏み込みも悪くない」

「……そうか?」

「俺が隣で見てる」


 当然みたいに言う。


「お前がいると計算が立つ。だから踏み込める」


 胸の奥の何かが、少しだけ軽くなる。


「一人で背負うな。俺もあの場にいた」

「……」

「俺達はダチだろ?」


 ニヤッと笑う。


「お前が潰れたら、俺の生存率が下がるしな」

「打算かよ」

「合理性だ」

「フッ……良いな。それ」

  

 立ち上がりながら言う。


「止まるな。考え続けろ。」


 俺はゆっくり軍刀を持ち直す。


「……次も付き合ってくれ」

「任せろ!剣術は俺の得意分野だからな」

 

 ――朝日が、灰色の空を裂いていく。

 俺は軍刀を鞘に戻す。

 澄んだ金属音が、朝の空気を震わせた。

 重い。

 その重みは、命の重みだ。

 俺が奪った重みだ。

 これからも奪うことになる重みだ。

 灰色の残響は、まだ胸にある。

 消えないだろう。

 きっと、この先も。

 それでいい。

 戦場に立つ以上、俺は汚れる。

 誰かを守るために、誰かを斬る。

 その事実は消えない。

 

 だが――


 汚れてもいい。

 汚れたなら、その都度、洗えばいい。

 血も、罪も、迷いも。

 拭って、磨いて、また前を向く。

 小綺麗でいられる世界じゃない。

 それでも俺は、出来る限り整えて立つ。

 乱れたままでは判断を誤る。

 濁ったままでは守れない。

 だから俺は、磨く。綺麗にする。

 刀も。

 心も。

 自分の事も。

 これが俺の流儀だ。

 

 イナミスが肩越しに言う。


「なんだその顔」

「別に」

「少しはマシになったか?」

「……ああ」


 俺は鞘を軽く叩いた。


「汚れたら、綺麗にするだけだ」

「なんだそれ」

「俺のやり方だ」


 イナミスは一瞬だけ考えて、笑った。

 

「几帳面だな」

「悪いか?」

「いや。悪くない。そういう奴の方が、隣に置きやすい」

「ヴァレンタイン先生は剣術の指導になると上から目線になるのか?」


 俺はイナミスに少し生意気な軽口を叩く。


「せっかく慰めてやったのに、そりゃないだろ」


 イナミスはわざとらしく肩をすくめて見せたが、その口元には満足げな笑みが残っていた。 

 剣を収めた頃には朝日が完全に昇る。

 灰色だった空が、少しだけ色を取り戻していく。

 残響はまだ消えない。

 だが俺は、目を逸らさない。

 汚れる覚悟も、磨き続ける覚悟も。

 全部抱えたまま、進む。

 それが命を奪う責任だと……俺は思うから。

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