出立前夜
アリシアを集落まで送り届けたあと。
「今日は、ありがとうございます」
門の前で、彼女は柔らかく笑った。
「……俺が勝手に送っただけだよ」
「それでも、嬉しいです」
少しだけ頬が赤い。
俺は軍帽を深く被り視線を逸らす。
「……三日後、任務に出る」
自然と口から出た。
アリシアの表情がわずかに揺れる。
「そう、ですか……。危険、ですか?」
「分からない。何もないかもしれないし、何かあるかもしれない」
少しだけ、間。
「無事に帰ってきてください」
まっすぐな碧眼。
胸の奥が、静かに締まる。
「約束はできない」
正直に言う。
「でも、帰るつもりで行くよ」
俺は優しく微笑む。
アイツ等の前では恥ずかしくて出来ない表情だ。
アリシアは小さく頷いた。
「……待っています」
その言葉は重い。
でも、温かい。
俺は軽く手を振り、城へ戻った。
城へ戻る途中、夜風がやけに冷たく感じた。
――翌日
正式な辞令が告げられた。
二日後、俺達六名は第三国境守備隊へ配属。
指揮官はガルト・フォン・ベルシュタイン大尉。
演習場に整列した大勢の中の俺達を前に、大尉は低く告げた。
「貴様らはエリュシオン帝国軍二等兵である」
当然の言葉。
だが次が違った。
「だが、通常の二等兵とは扱いが異なる」
「帝国軍総兵力は約二百万。そのうち魔導適性を持つ者は約十万」
空気が張り詰め、ざわりと後方が揺れる。
「さらに上位魔法を実戦運用可能な者は、その中でも一握りだ」
視線が俺達に向く。
「貴様らは将来的に第三国境守備隊の第三魔導部隊として正式配属予定の“選抜”だ。」
「アオシマ・ナオヤ」
「イナミス・ヴァレンタイン」
「カルバン・レイン」
「カナメ・ルーク」
「セリナ・アルヴェスティア」
「ノエル・スカーレット」
「現在、第三国境守備隊での候補生は以上の六名のみ」
「数が少ない理由は単純だ。希少だからだ。」
淡々と続ける。
「魔導部隊は戦局を変える矛であり盾だ。中には七星になり得る者も居る。ゆえに失えば痛い。だからこそ、実戦で鍛える」
国境。
最前線。
あの渓谷。
岩肌が剥き出しの荒野に焦げた地面。
西側には魔物の巣窟。
そして亜人との国境線。
俺が、この世界に落とされた場所。
……よりにもよって、そこか。
偶然か、必然か。
それは俺には分からない。
解散後。
俺は兵站棟へ向かった。
実戦配属者には最低限の支給がある。
窓口の老兵は無言で長い包みを差し出した。
「七星候補が丸腰では示しがつかん」
布を解く。
飾り気のない軍刀。
銀の装飾も紋章もない、ただの制式品。
手に取る。
――重い。
思っていたよりも、ずっと。
刃はまだ抜かない。
抜けば、それは"覚悟"になる気がした。
「実戦では魔法が主だろうがな」
「最後に頼るのは、いつも鋼だ」
老兵が言う。
柄を握るがしっくりは来ない。
まだ、よそよそしい。
「……使わないで済めばいい」
誰に言うでもなく呟いた。
老兵は何も言わなかった。
俺は皆が広場に戻る。
レインは静かに拳を握っていた。
「……やっと実戦ね」
声音は硬いが、目は燃えている。
イナミスは腕を組み、目を閉じている。
「魔導部隊候補、か。随分と重い肩書きだな。」
ルークは苦笑した。
「二百万の中の十万って、胃が痛くなる数字ですね。」
セリナは真面目な顔で言う。
「期待されている分、結果を出さなきゃ」
ノエルは小さく笑った。
「でも、ちょっと誇らしいわ。」
それぞれの反応。
高揚、緊張、覚悟。
俺は――
あの地名を反芻していた。
その日の夜、六人は訓練棟裏の食堂に集まっていた。
「実戦前なんだから、もっと豪華でも良くない?」
レインが不満そうに皿をつつく。
「軍の予算は有限だろ」
イナミスが即座に返す。
「二百万分の一の食事ですね」
ルークが笑う。
「十万分の一ですよ」
セリナが訂正する。
ノエルがくすりと笑った。
湯気の立つスープ。
焦げたパン。
薄い酒にイナミスがむせる。
「ちょ、強っ!」
「イナミスもまだまだねー」
ルークが笑い、
レインは楽しそうに飲んでいる。
「お酒は慣れよー」
「何で馴れてんだよ!」
「この世界は未成年で酒を飲むのか…?それに実戦前だろ」
明後日は戦線に出るというのにこんなに浮かれてて良いのか…?
それにうるさい。
…でも、悪くない。
部屋の隅。
壁に立てかけた軍刀が、灯りを鈍く反射していた。
まだ手に馴染まない重さ。
でも確かに、そこにある。
「ナオヤは緊張してるのかしら?」
ノエルが首を傾げる。
「別に」
「嘘。眉間寄ってるわよ」
思わず触れる。
本当だ。
「七星候補だもん。堂々としてなきゃ」
ノエルは冗談めかして笑う。
普段なら注意をするはずなのに。
その笑顔は、あまりにも普通だった。
未来を知らない顔。
「帰ってきたら、もっとマシな酒用意しましょ」
レインが言う。
「賛成だな。俺が飲める酒を用意してもらおう」
イナミスの発言に全員が笑った。
この時間が、当たり前のように続くと思いたい。
この時間のまま止まっていたい。
俺は……そんな理想を一人、心の奥で語っていた。
賑やかな宴の余韻を背に、俺は一人、広場の片隅で手帳を取り出した。
一ヶ月半前、この国に来たばかりの俺に手渡された「国民証」だ。
「……本当、笑えないな」
ページをめくれば、そこには整然と、それでいて残酷なほど具体的な数値が並んでいる。
氏名:アオシマ・ナオヤ
身分:エリュシオン軍二等兵
職業:エリュシオン軍
魔法属性:雷SS、風S、炎C、水A、光C
魔力量:八十万マナ
使用可能魔法:「雷魔法・雷獄」
「雷魔法・雷界」
「風魔法・空裂」
「雷魔法・雷穿」
――
――――
八十万。数字の暴力みたいな魔力が、今、俺の心臓の鼓動に合わせて脈動している。
書き加えられた一際禍々しい文字列を見つめる。
昔やってたゲームなら、スキルツリーを開拓して「最強」に近づくのは最高の快感だった。
今は違う。この文字が埋まるたびに、俺が「人間」から遠ざかっていく気がして、吐き気がした。
――でも、もし。
明後日の戦場で、さっきまで笑っていたあいつらの誰かが死にそうになったら?
俺がこの「数字の暴力」を使わなかったせいで、ノエルやイナミスが動かなくなったら?
「……クソ」
守りたい。でも、壊したくない。
矛盾した願いが胸の中で泥のように渦を巻く。
俺の指先は、軍刀の柄に触れる寸前で止まったまま、ただ情けなく震えていた。
「――ハッ……!」
広場のベンチで目が覚めた。
……いや、違う。
目は開いている。
夜風。静かな噴水の音。
夢を見ていた。
けれど、鼻の奥に残る、焼ける匂いに鉄が溶ける匂い。
火薬と血が混ざった、あの嫌な臭気。
「……」
二日後には第三国境守備隊。
行き先は、俺が落ちた場所。
灰色の空の下で、人と亜人が殺し合っていたあの地。
あのときの俺は、立ち尽くしていた。
逃げるべきなのに、足が動かなかった。
一瞬、浮かれていたのを覚えている。
異世界、日本人、主人公。
馬鹿みたいだ。
あのとき理解した。
これはゲームじゃない。
汚れは消えない。
死は、消えない。
「……はぁ」
息を吐く。
あの時の記憶が鮮明に蘇る。
今は震えていない。
あのときは、立つことすら怖かったのに。
「考え込んでおるな」
気が付いたら隣にラグネシアが立っていた。
「……夢見てた」
「この世界に来た時のか?」
「うん」
「…ふむ。」
隣に座り、少し沈黙が流れる。
「俺さ?」
「……あの時、怖いより先に……ワクワクしてたんだ」
「この世界の主人公になった気で。無双できるって」
自嘲気味に笑う。
「最低だろ?」
「未熟なだけじゃ」
ラグネシアは否定も肯定もしない。
夜風が吹く。
「……ラグネシアに扱かれた一ヶ月、死ぬかと思った。必死だったよ。少しでもマシな自分になりたくて、指先が焦げるまで魔法を練った」
手帳に並ぶ魔法の数々を見る。
それは間違いなく、俺が泥をすすりながら積み上げた努力の証だ。
「でも、血を触った瞬間、全部冷えた」
手を見る。
今は何もついていない。
けれど、この手が覚えた「魔法の感触」は、もう遊びじゃない。
「俺は英雄になりたかったわけじゃない」
静かに言う。
「……この力を、誰かを壊すために使いたくなかっただけ……いや、汚れたくなかっただけだ」
巻き込まれたくなかった。
沈みたくなかった。
あの泥の中に。
「だから強くなろうとしたのか?」
「……多分」
強くなれば、触れずに済むと思った。
汚れずに済むと。
でも。
「二日後、あそこに戻る」
目を閉じる。
灰色の空が浮かぶ。
「今は、逃げるためじゃない」
あのときは無力なまま兵に運ばれた。
守られた。
何も選べなかった。
「今度は、自分で立つ。…守る側に立つために。」
ラグネシアが小さく笑う。
「"汚れる"ぞ」
「……だろうね」
「それでも行くか?」
少しだけ考える。
アリシアの顔が浮かぶ。
同期の顔も。
「行く」
即答だった。
「汚れるかもしれない。でも」
息を吸う。
「越えたい。あの時の自分を」
あの、何も知らず浮かれていた自分を。
あの、泥に怯えていた自分を。
ラグネシアが立ち上がる。
「ならば初陣は通過儀礼じゃな」
「今の主なら死にはしないじゃろう。」
じゃが…と真面目な視線を俺に向ける。
「堕ちるなよ」
その一言を告げたラグネシアは俺に背を向け尻尾を揺らしながら暗闇に消える。
夜は静かだ。
嵐の前みたいに。
二日後、俺はあの場所に戻る。
今度は――
只見てるだけじゃない。
俺はあの地で立つ。
夜風が静かに止んだ。




