猫が人になる瞬間
前半二つはクラレンス視点、後半はシャーロット視点です。
───オルコット公爵令嬢とエドワルド殿下の婚約が決まってから。
……私はレイモンド殿下の公務の変化のタイミングに合わせて、心身を鍛え直す為と称して側近を辞した。
それからは肉体的にも精神的にも自らを鍛え直す日々だった。
お世話になった夫人が亡くなったことの悲しみ。そして理不尽に王命によって結ばれた公爵令嬢シャーロットと第二王子エドワルドとの婚約への虚しさ。
私はこの胸の思いをどこにも持っていきようがなかった。何故ならば肝心の公爵令嬢はおそらく私の存在すら知らない。今回の件は公爵夫妻が私に令嬢に声を掛ける許可を下さった、ただそれだけの事だったのだから。
私はただひたすら身体を鍛え直す事で自分の心を保っていた。そんな私の事情を知る両親は何も言わずに見守り、新たな縁談などを持って来なかった事だけは有り難かった。
そして3年の月日が経ち───。
「───クラレンス セリエ。其の方を近衛師団長の職務に命ずる」
「───有り難き幸せにございます」
私は早くに怪我の為辞された前任に変わり、近衛師団長にまで上り詰めていた。身体は3年前より随分筋肉が付き一回り大きくなった程だった。
彼女への、シャーロット オルコット公爵令嬢への想いを抑えて───
◇
クラレンスは目を細め、ゆっくりと息を吐いた。
……重い、しこりのように胸の奥に残るこの痛み。
忘れたと思っていたのに。とっくに諦めた想いであったはずなのに。
……今、こうしてまたいとも簡単に痛みをぶり返す。
クラレンスは前で眠る可愛い白猫ロッティに目をやった。
……その愛らしい姿に、重かった心がほんの少し軽くなったような気がした。
そっと、白い猫の身体に触れる。……温かい。柔らかいその身体に触れた手から自分に癒しが流れ込んで来るような気がした。
そのままそっと撫でていると、ロッティは身じろぎして顔をこちらに向けた。愛らしい寝顔にクラレンスは胸が温かくなる。
クラレンスは白猫の鼻先に近付き……、そっとキスをした。
「お休みロッティ、いい夢を」
───クラレンスはそう言って目を閉じた……のだが。
ふわりと白い光が現れた。何かと目を開け前を見ると、愛猫が白く輝いていた。
「ッ!?」
驚きその光に手を伸ばす。光はすぐに治った。が───。
クラレンスは自分の目を疑った。
───そこにはずっと行方を探し先程まで自分が胸を痛めていたその相手、シャーロット オルコット公爵令嬢がいた。
◇
……いけない、クラレンス様のベッドに入り込んでそのまま寝てしまっているわ。
シャーロット猫が半分眠りながらもそれに気付いたのは、クラレンスがそっとベッドに入って来た時だった。
……男女が一緒のベッド眠るなんて……いえでも、今更ね。私は今猫なんだし。
シャーロット猫は眠さもありそのまま眠る事にした。
しばらくして、自分の体にクラレンスがそっと触れたのに気が付いた。そしてそのまま優しく撫で続けている。うん? と思い少し身じろぎして気付かれない位に薄く目を開け彼を見る。
クラレンスは少し寂しそうな、悲しげな顔をしていた。
……激務で疲れているのだわ。更にシャーロットの捜索もあるのだし。
そう思ってそのまま大人しく撫でられ続けた。
そして───。
クラレンスはシャーロット猫にキスをした。
「お休みロッティ、いい夢を」
ドクリッ……!
シャーロット猫の心臓が大きく跳ねた。
そして身体を温かい光が埋め尽くす。
…………え?
それが治った時、シャーロットはパチリと目を開けた。
目の前には、綺麗な水色の目を大きく見開いてこちらを見るクラレンス。
「にゃ……、クラレンス様……?」
そう口にして。
あれ? と思う。
……今私、人間の言葉を話さなかった?
そして前脚を動かそうとしたが、いつもよりも身体が重い気がする。前脚を見る。……違う、人間の『手』だった。
そしてもう一度、恐る恐る目の前の人を見る。
「……シャーロット嬢……?」
そこには驚いた表情で言葉を紡ぐ、クラレンスが居た。そしてその瞳には人間シャーロットの顔が写っていた。……そしてその時シャーロットは気付いていなかったが彼は少し顔を赤らめ耳も真っ赤になっていた。
「クラレンス様、あの私……」
シャーロットは慌てて起き上がる。……が、もつれて倒れ込んだ。今シャーロットは猫に変わる寸前のパーティーのドレス姿。スカート部分が大きく幅をとっており、普通ならばこの姿でベッドのシーツに潜り込むのは難しかったはずだ。
「ご令嬢。……手を」
クラレンスがベッドから起き上がって降り、手を差し出してくれた。シャーロットは手を引かれ、なんとかベッドから抜け出した。
……服装も変身前の姿に戻ったのね……。
というか、人間に変身するのをクラレンス様に見られてしまった……? でも私がロッティだと分かってもらえなかったら彼の部屋に……ベッドに寝ていた理由の説明が出来ないもの。だけど淑女が男性のベッドで2人で寝ていたなんて……。
青くなったり赤くなったりしているシャーロットをクラレンスはじっと見つめていた。
「ご令嬢。貴女は……ロッティ、なのか」
ドクンッ……
シャーロットはハッとしてクラレンスを見る。
クラレンスの水色の瞳と目が合う。
……どうしよう。でもクラレンス様には猫から人に変わるところを全て見られているのだわ。それにここまでシャーロットの捜索にロッティとしてもお世話になっているのに事情を話さないなんて出来ない。
シャーロットはゴクリと唾を呑んだ。
「クラレンス様……。話を、聞いていただけますか」
人の手となった指をギュッと握り締めて、彼の目をしっかり見てそう言った。




