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信仰と行為

不思議だな、と思う。


「お前、めっちゃ人生楽しんでんな!?」


男言葉を使う女子高生の言葉は、なんとなく相手に対する「非難」だろうか。言われたもう1人の女子高生の少し怯えた顔が、経堂駅に滑り込んできた急行電車のドアに反射していた。


「すっごくいいと思う!いいじゃん!」


開く直前の窓には、先頭に並んでいた彼女達と、その後ろで思わず目を見開いた俺が写っていた。


なぜ、カインは一生懸命に作った作物が受け入れられなかったのか。それは神さまのルールに従わなかったからだとすると、初めから言ってよ!となるかもしれないし、少なくとも努力は認めてよ!となるかもしれない。


所謂、神さまがいる宗教において、2つの大きな考え方がある。


信仰によってのみ救われるという「信仰義認説」。

善行によって(+信仰)救われる「行為義認説」。


電車内はそれほど混んでいなかった。ぼんやりと携帯電話でソリティアしながら、こっそりと耳をそば立てていると、女子高生らしい、張りのある声で卒業後の予定や春休みに行きたい場所、推し活に掛けたお金についてなど、頭の回転が早いのか、コロコロテンポよく話をしている。


世界史に出てくるカルヴァンの予定説によれば、この世界には予め「救われることが決まっていた人と地獄行きの人」が決まっているから、どれだけ「善行」をしようと無駄である。


仏教にも同じ概念がある。弥勒菩薩が全てを救ってくれる考え方である。日本で言えば親鸞聖人の「悪人正機説」などが見受けられる。


個人的には、この「弥勒菩薩信仰」は他宗教だろ、と思っているが、今は省く。


「世界的宗教」や「哲学」とやらを真面目に考え、原典にあたるといくつか共通点が見えてくる。なお、アラビア語は読めないためイスラム教について正確には「原典」は確認していない。


結論からいえば「執着」について、である。

仏教、キリスト教、イスラム教において、執着はするだけ無駄としている。


さっきから何の話だって?女子高生から予め定められたの次は「執着」って話飛びすぎじゃないかって。まあ、もうちょっとこの「思考遊戯」に付き合ってくれよ。


例えば「四苦八苦」というのはこの世界にいることの苦しみである。「生老病死愛別離苦」人はただこの世界で思考するだけでこんなに苦しむ。これらは「諸行無常」であることが受け入れられないから発生する苦悩である。

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