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神さまのルール(検討メモ)

人を「洗脳」する。


洗う脳みそ、とは如何なものだろうか。

ネットによれば、日本語にはなく、英語や中国語の言葉だという。


今日の主題はふたつ。

①アブラハムの神さまのルール

②宗教の礼拝フォーマット


結論

①アブラハムの神さまは「人を評価、判じる」思想や立ち位置にいると推察される。

②特定のアウトプットを特定のフォーマットに落とし込み、繰り返すことで思想は「一定方向に導かれる」。


まずは、①について話をしようか。


今週日曜日(キリスト教では日曜日が週の始まり)に新宿駅から2キロほど離れた山の中にある教会の日曜礼拝に参加してきた。


本当に山の上にある。金が舞い散る新宿に近いとは思えないぐらい下界とは切り離された、静かで小さな教会の日曜礼拝など、たぶん誰も知らないだろう。


そんな年寄りと子供しかいない礼拝の中でカインとアベルの貢物、何故神さまはアベルの子羊しか受け取らなかったのか、について、牧師さんが話をされた。


曰く、神さまは予め捧げる供物はこれがいいです、と言ったのに違うものを持ってきたからだと。神さまに救われたいなら「信じろ」だから、こんなに真面目に生きました、とかではダメで「信じる」しかない、が言いたいことらしい。


第一印象は「機械、システム」。神さまとやらは単なるルールブックで要件満たしたものだけ通過させる装置に思えた。


あとは、神さまは、何様なのか。貰えるだけありがたい!って思わないのかよ?まずはありがとうだろ?と私は思う。あとで記載するが、この論点は「日本人」を構成する構成要素のひとつだと考えている。


要は「審査してやる」側の考え方であり、キリスト教に限らず、アブラハムの宗教は「他人に感謝をせずに、与えてくれた神さまに感謝する」ことを思い出させた。


まあ、そもそも最初の人間以外に人がいるとか、まあ、2000年掛けた割には設定がガバガバな物語であり、活版印刷という「悪魔の発明」でカトリック教会はその栄光を落としてから、まだ500年ぐらいだから、つい最近の話ではある。


会社の査定だと考えてみよう。

あなたが社長なら、社員への評価は「どれだけ自分の意思に従っているか」だろう。


例えば、営業職の「会社に利益を上げること」のような目標であれば手段を問わずに成果主義だが、直接利益に関わらない部署なら会社(直属の上司)の意向をどれだけ汲み取れたか、になる。


そう考えると弟はしっかりと目標に対してコミットしたから賞賛された、はわかる。


ここで不明なのは

1.神さまは何を目的にその目標を設定したのか

2.カインがルールを破った理由

3.それは追放されるほどのことなのか

である。


聖書を「洗脳のための手引き書」と考えると、この論点は非常にロジカルだ。


「共同体のルールは定められており、いかなるものもルール外は認められない」


これである。だが、この「ルール」をきちんと解釈すれば、こうなってしまう。


「書いてあることに従えば救われる。書いてないことは何をやっても構わない」


悪人正機説。この考えを仏教とするか、私には新しい宗教だと思えるが、弥勒菩薩が念仏唱えれば全てを救うとしたことによるのと、実は何も変わらないことがわかるだろう。


「信じれば、救われる」


「私は神さまを信じている。だから正しい」


「信じていない、キリスト者でないのは「人」ではなく地を這う動物であり、それは聖書の中で「人」により管理されると書いてある」


日本人は「黄色い猿の一種」である。

是か、非か。

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