久しぶりの夜会
よろしくお願いします。
今日はとうとう夜会の日だ。カイル様が迎えにきて、心配そうな両親に見送られ、馬車は出発した。
「ヴィルヘルミナ、綺麗だ。その青いドレス、似合ってるよ」
「……ありがとうございます。カイル様も素敵ですよ」
私が着ているのはウエストを絞って胸元を強調しつつもレースをあしらって清楚な雰囲気を出した青いドレス。侯爵夫人として相応しいものだと思う。ただ、そのドレスに私が相応しいか、それはこれからにかかっている。
スカートの上で握りしめる手が、汗ばんでいて震える。その震えを抑えようとして爪が食い込むほどさらに握りしめる。
「大丈夫だから」
向かいの席から手が伸ばされ、私の拳を解く。彼は私の手をそのまま両手で包み込んだ。彼にも私の震えは伝わっているだろう。それでも何も言わずに、会場の屋敷に着くまでそのままでいてくれた。
「それじゃ、行こうか」
馬車の外からさっと手を差し出され、私は手を重ねて降りる。会場はもう目の前で、逃げることなんてできない。気持ちだけでも負けないように、背筋を伸ばし、顎を引いて、前を見据え、一歩ずつ進んで行く。
人の話し声が聞こえ始め、会場の明かりが見え始めるに連れ、私の恐怖は増していく。あの日の罵倒、蔑むような視線、それらが頭の中を駆け巡って、吐き気と頭痛と耳鳴りがし始める。段々血の気も引いて、倒れそうになるのを気力を振り絞って耐える。
私の様子がおかしいことに気づいたカイル様は、「やめようか」と言った。その魅力的な囁きに頷きたくなる。でも、これは私が決めたことで、ここまで心を砕いて準備をしてくれた隣にいる彼のためにも、私はやり遂げないといけない。私は力なく笑って、首を振った。
「行きましょう」
そうしてしばらく歩いて人が集まる入口を通り抜けようとしたら、一斉に集まる視線に怯みそうになる。思わず助けを求めるようにカイル様を見ると、大丈夫だと頷いている。
俯いたら私に非があることを認めてしまう。だから絶対に俯かないと、胸を張る。
周囲の喧騒が聞こえないほど、心臓の鼓動がうるさい。それが今はありがたかった。ひたすら前だけを見て、今にも崩れ落ちそうな足を動かし続ける。そうしてようやく会場に入り、二人で人の少ない場所に移動する。
「よく頑張ったね、ヴィルヘルミナ。立派だったよ」
「ありがとう、ございます……」
カイル様の言葉に、力なく答える。ただ会場に入るだけで満身創痍だ。これからホストへの挨拶、ダンスが待っている。まだ夜会は始まったばかりなのだ。ただ、今日は復帰したばかりなので、早めの退出も許されるだろう。それだけはありがたい。
「今日はダンスも踊るけど、踊れそうかい?」
「正直に言うと、ダンスは苦手なんです。どうもリズム感がないみたいで。もし足を踏んだらすみません」
「リードするから任せてくれ。私は君の頼れる夫のつもりだからね」
いたずらっぽく笑うカイル様。そうやって私の緊張をほぐそうとしてくれているのだ。この人は私の味方なのだと、ほっとする。私もぎこちなく笑みを浮かべて彼に答える。
「お願いしますね、カイル様」
それから今日のホストに挨拶へ向かう。この頃には最初ほどの緊張が無くなって、周囲の様子がわかるくらいにはなっていた。
ちらちらとこちらの様子を伺っているが、その視線には嫌な感情は見えない。中には心配そうに見ている女性もいた。かつての友人だ。あの時は巻き込まれないようにと思って離れたのだろう。彼女の立場を考えれば仕方がないことだった。もう一度友人にとは今はまだ思えないが、いつかまた話せるようになればいいと思う。
「ようこそ、ティルナート卿、ティルナート夫人。今夜はゆっくり楽しんでいってくれ」
「本日はご招待ありがとうございます、ベーレンス卿」
「お久しぶりでございます。本日はご招待ありがとうございます」
カーテシーをして、ベーレンス卿を見る。卿はカイル様と同じく侯爵位を賜っていて、私の両親と同じくらいの年齢だ。身分に相応しい貫禄がある。
「ああ、久しぶりだね。もう体調はいいのかい?」
「はい、すっかりよくなりました。ご心配痛み入ります」
「君の夫が心配していたよ。君は頑張り過ぎるからと。大変なことはあるだろうが、あまり無理しない方がいい。でないと彼が病気になりそうだ」
「ありがとうございます」
隣を見るとカイル様は困ったように笑う。
「そうは言っても無理なんですよ。見張ってないと心配で」
「そんなことはありませんよ。心配し過ぎです」
「はは。君たちは仲がいいようで何よりだ。それじゃ、私はまだ挨拶があるからこれで」
そう言ってベーレンス卿は去って行った。それから私たちはテーブル席へ移動した。
「何か食べるかい?」
「いえ、全く食欲が湧かなくて。カイル様は食べてください」
「そう言われても。食欲のない妻の前で平気な振りで食べる気にはならないよ」
「気にしなくてもいいですよ。折角のご招待ですし、用意してくださったベーレンス卿のためにも、いただいてはいかがですか。私が気になるようなら離れていますし」
「……君は離れて平気なのかい?」
「それは離れてみないとわかりませんが……試してみたいです」
勇気を出してここまで来たのだ。どこまで乗り越えられるか試してみたい。
一人だったらこんなことを考えなかっただろう。でも、今の私は一人じゃない。心配そうなカイル様に大丈夫だと頷く。
「わかった。君の様子がおかしいと思ったら、すぐに行くから」
「はい。ありがとうございます」
そう言って私は彼から離れて、壁際に立つ。
怖くないと言ったら嘘になる。周りを見回すと、楽しそうに談笑する人たちが、私の噂をして嘲笑っているように見える。
華やかに見えても、そうではない。むしろ、見える部分が光り輝けば輝くほど、映し出される闇は濃くなる。
私はこんな世界に返り咲きたいと思っていたのだろうか。全ての義務を放棄したくて忘れたのに、結局私は思い出して、自分の意思で戻ってきてしまった。
「結局、逃げられないってことなのね……」
「何からだい?」
私の独り言を拾ったカイル様に尋ねられる。一人でも大丈夫だと言ったのに、よっぽど心配してくれたのか、もう来ていた。
「それは……」
話そうとしたところで、音楽が奏でられ、ファーストダンスが始まった。カイル様が手を出して言う。
「踊っていただけますか?」
「はい、喜んで」
私は彼の手をとり、共にホールの中心へ向かう。苦手だけれど、音楽に合わせてリズムを取る。そうするとカイル様がリードしてくれ、何とかダンスの形になっている気がする。私の余裕が出てきた時に、彼は切り出した。
「それで、聞いてもいいかい? 君が何から逃げたかったのか」
「……私がどうして記憶を無くしたのか、話しませんでしたよね」
「……ああ、私のせいだろう?」
「それは、少し違います。確かに貴方から受けた仕打ちは辛かったけれど、私はそうなってしまったのは自分が貴族令嬢であるからだと思ったんです。私は貴族である前に一人の女です。なのに乱暴されたことを嘆くこともできず、家のために逃げることも許されなかった。私はただの女になって責任を放棄してしまいたかった……」
「……やっぱり私のせいだな。君をそこまで追い詰めてしまったのは」
「女性の立場はそれだけ厳しいということです。それでも私は向き合うと決めたから、もう逃げてはいけないんです」
「そうか。やっぱり君は強いね。私はそんな君を尊敬するし、誇りに思うよ。これからも協力させて欲しい」
「ありがとうございます」
こうして私の久しぶりの夜会は終わった。
彼は約束を守って私を支えてくれた。
彼を信じてもいいのかもしれない。
許せないという気持ちはあるものの、彼の支えがあって一つ試練を乗り越えたことで、私の中で彼への気持ちが少しずつ膨らんでいることを私は認めなくてはいけないと思った。
読んでいただき、ありがとうございました。




