俺と狐の……あれ、狐でてこねえな
「転校ってことで不安もあると思うけれど、頑張っていきましょうね、芦谷君」
「ええ不安でいっぱいですね。今夜の誘いに葵さんは乗ってくれるのかと思うと不安しかありません」
「そういうのは頑張らなくていいですから」
俺は葵さんと一緒に、二階の廊下を歩いていた。これから晴れて自分のクラスに入室するわけだが、先生に付き添われて皆の前で自己紹介とは、転校生の扱いは小学生のころから変わらないらしい。そんなくだらねえことするくらいなら、葵さんと話してたほうがましだ。現状、流石に教師と言うことでガードが堅過ぎて発展しないのが残念極まりない。
「まあ、そこまで緊張してないなら大丈夫ね。っと、ここが君の教室ね。私が先に入るから、続いて入ってね」
そう言って、葵さんは教室の扉を開けて入っていった。俺は一度大口を開けてあくびをしてから、ゆっくりと扉を開け……そう言えば、結局凛の奴は俺たちの関係をどうするつもりなのだろうか。昨日、「私にいい考えがあります!」とかなんとか言って詳しくは教えてくれなかったが、普通に初対面設定じゃだめなのか?
一抹の不安を感じながら、俺は教室へと入っていった。
「――ぅげ」
入った瞬間から、一斉に視線が降り注ぐ。転校生なんだから仕方ないが、こう大勢に注目されるのは居心地が悪い。俺は全ての視線から逃げるように目、線をそらしつつ焦点をずらしつつ、葵さんの隣に立った。
「はい、みんな聞いてはいると思うけれど、今日からこのクラスで皆と一緒に勉強することになった、芦谷春海君です」
葵さんが喋っていると言うのに、教室はざわざわと騒がしい。女神のお告げだぞ、静かに聞け。てめえら喉つぶすぞこの野郎。またことさらに嫌になってきたが、しょうがねえ、葵さんもこっち見てるし、挨拶するしかねえか。
「どーも。今日から半ば無理やり学校に通わされることになった芦谷春――うん?」
俺が自分でも驚愕するほどの低いテンションで自己紹介を始めようとした時、教室の窓際真ん中に座っていた女子が立ち上がった。前髪が垂れていて、顔がよく見えない。なに? 俺の自己紹介はついにスタンディングオベーションで迎えられるようになったの?
「あれ、どうかしたの?」 葵さんが不思議そうにその女子を見る。そして、俺は気付いた――
「白道さん? 体調でも悪いの?」
――立ち上がった女子は、俺の妹だと。
「は、る、み、くぅぅぅーん!!」
「う、おおおおおおおおい!!!」
信じられない速度で凛は俺目がけて飛び出した。猛スピードで突っ込んできた凛の体を支え切れず、俺の体は宙を舞う。スローにも感じられた空中浮遊の間、俺はこう思った。前もこんなことあった気がする、と。
「い、でええええあああ!! 腰が! 腰がああああ!! 軟骨が全滅したあああ!!」
「そのリアクション! やっぱり春海くんです! 覚えてますか? 私のこと!」
「ちょ、ちょい待って冷静にさせて! ついでに腰も冷やさせて! え、これなに?! 夢!?」
「春海くん、私です。小学校の頃からの幼馴染の凛ですよ。わかりますよね? まさかわからないなんてことありませんよね!? わからないっていうなら私、私……!」
「わかった! わかったから俺の上からどけ! 腰の痛みで呼吸がしづらい上にお前のせいでもっときつい!」
境内の時のようにしがみついてくる凛を力づくで引き離して、俺は黒板側の壁に背を預けた。せりあがった内臓が戻り、抑え込まれていた肺が解放される。
「ごほっ、が、あ……。ま、曲がり角でぶつかるならともかく、なんで教室で衝突しなきゃなんねえんだよ……」
「す、すいません。あの、大丈夫ですか?」
「ああ、気にすんな。慣れっこだから」 それも悲しいが。 「それで、なんだって? 俺の幼馴染?」
「はいっ。久しぶりに会えてとても嬉しいですよたっちゃん!」
「たっちゃんって誰。テメー南ちゃん気取りか。100年はえーよ馬鹿。呼吸を止めて200秒して酸欠で死ね」
「もう! 設定ですよ設定! 初対面なのに仲良くしてたらおかしいじゃないですか!」
どさくさまぎれに俺にしがみついている凛は、耳元で声を潜めながらそういった。
「あーそういうことね」
幼馴染という設定にしておけば、親しく話していたとしても不審がられることはない。……けど、わざわざこんなラブコメチックな出会いにしなくても良かったんじゃないか? 幼馴染の顔を律義に覚えてる奴なんていやしねえよ。
痛みも落ち着いたところで周りを見渡してみると、ぽかんと口を開けて生徒たちが俺たちを見ていた。当然だ。当事者である俺でさえ夢かと思ったんだからな。
「はぁ……。まあ、そういうことなんで、あお――先生、自己紹介も済みましたし、俺の席に座っていいすか?」
「え、あ、ああ、はい! 芦谷君の席は、白道さんの隣の席です」
流石は教師。こんな状況にもかかわらず、生徒たちより幾分冷静だ。俺と凛との関係性につっこむこともしない。
「春海くんと隣どうしですね!」
「……なんらかの意図を感じるのは気のせいか?」
ため息を一つ吐いて、俺は生徒が動揺している間に、急ぎ足で席へと移動した。前に居て、やかましく質問攻めされるのはご免だ。席に着いてからもやたらとこっちを見てきてはにやついている凛を横目に、俺は細く長く息を吐いて頭を抱えた。
久しぶりの高校で心身ともに大きな深手を負った俺は、昼飯の為に凛を連れて立ち入り禁止の屋上へと来ていた。鍵がかかっていたが適当にピッキングして開けた。別に教室で喰ってもいいが、凛との関係を演じながら生活する時間は少しでも減らしたいので、確実に二人きりになれる場所を選んだわけだ。
「久しぶりに受けたが、授業ってのはなんであんなつまんねーんだ。あーくそ、午後さぼりてえな」
「まあまあ、もうすぐ文化祭準備期間に入りますし、そうなったら授業は半日だけになりますよ」
「いや、文化祭準備とかやることになる前に終わらせてーんだけど」
「ええっ? そんなの嫌ですっ。私、兄さんと一緒に文化祭の準備したいですっ」
「って言われてもな。自分の学校でもねーのにやる気でねえし、そもそもめんどくせーし……はぁ、わかった、わかったからそんな顔すんな」
この世の終わり見てえな顔しやがって。なんか俺が悪いことしてるみたいじゃねえか。俺が渋々ながらもそう言うと、凛は手を叩いて喜んだ。
「じゃあ、これからもずっと一緒に学校生活してくれるんですね?」
「お前……いくら妹でも言っていい冗談と悪い冗談があんぞ」
「そんなに怒らなくても!」
「怒ってねえよ、呆れてんだ。……はぁ~、なにが悲しくて高校生なんていう頭空っぽで夢詰め込んでるやつと過ごさなきゃなんねーんだ」
「兄さんもこの間まで高校生だっただじゃないですか。まあ、私としては女子高生に鼻の下伸ばされる心配もないので、安心ですけどね」
「その通り。女子高生とほにゃららするのなんて、脂ぎったおっさんに任せときゃいいんだよ。その間に俺は葵さんと――もごぶっ!」
口に弁当箱を入れられた。おかずとかじゃなく、弁当箱を。
「……なにすんだオイ」
「すいません、あーんしてって言う前にご飯を入れてしまいました」
「あーんじゃねえよこれ。ガコン! だよ。顎から景気のいい音がしたぞ」
「ともかく、です。目的はあくまで尻尾をもっている人間を見つけ出すことなんですから、それ以外の目的で行動するのは控えてくださいね」
「わぁってるっての。俺だってお前馬鹿じゃねーんだ。そんなもん適当にやってもすぐ見つかるってんだ。今はそんなことより飯を食っちまわねーと、昼休み終わっちまうぞ。ただでさえお前は食うの遅いんだからな」
凛は食べながら喋るというのが苦手なため、昔から凛が食べ終わるまでよく待たされた。
「ダイエット中ですので、ご心配なく」
「ダイエット? お前、ボクサーじゃねえんだぞ。これ以上どうそぎ落とすんだ」
どこからどうみても凛の体は正常だ。むしろ痩せているほうだろう。
「女の子は油断するとすぐ太ってしまうんです。普段からの節制が重要なんですよ」
「同じようなことを玲も言ってたな。今はダイエットはあまりしてねーけど」
「え、なぜですか?」
「せっかく二人で飯食ってんだから、同じもん食べたほうがいいだろ。って言っただけだ。目の前でちびちび食われても気い遣うしな」
「……なんですかその夫婦っぽい会話は」
「どこがだよ。そもそもだな、男からすりゃ、女の平均体重から+五キロまでなら余裕で許容範囲だ。お前も、今のままのほうがぜってえ可愛いだ――」
「私ダイエットやめますね!」
「え? お、おう……」
この学校は部活に関してはそれなりであり、進学校にしてはバスケ部やサッカー部などは大会においても好成績を残していると聞いたが、なるほど校舎の窓から見えるグラウンドでは、サッカー部や野球部が怒声のような声を上げて練習に励んでいる。懐かしい、というほど昔のことでもないが、なんとなく心地のいい風景だ。
「ま、俺には関係ねえけど」
俺が入る部活はあくまで文化系のものだ。今更甲子園もインターハイも花園も目指す気はない。それに、騒がしいタイプの連中と付き合うのは、日常生活でも簡単にできる。しかし、おとなしい連中と付き合っていくには、それなりのきっかけがいる。きっかけはいろいろあるだろうが、一番簡単なのは部活で一緒になることだ。多くの文化系の部活には申し訳ないが、実際のところ内向的なタイプが集まるのは、運動系ではないことは確定的だ。特に、勉強を優先させたい進学校では。
文化系の部活で一番部員が多いのは吹奏楽だが、この学校の吹奏楽は体育会系より体育会系との話だ。体力勝負な部活ではあるから当然と言えば当然ではある。そんな部活に入らされてたまるものか。となれば、二番目に人数が多い部活、つまり――
「第二多目的室は、ここか。確かに文芸部の札があるな」
教室からして若干不遇な扱いを受けているようだ。やはり文化系はこんなものか。大学だとまた違うんだが、高校では体育会系のほうが強い。
「すいまっせーん。文芸部の方いらっしゃいますかー?」
軽く三回ほどノックをすると、ばたばたと何かが倒れる音となにやら叫び声が聞こえた後、勢いよく扉が開かれた。
「は、ははははははいっ! わ、私が文芸部のぶひょうの枝島桃ですっ!」
「すいませーん。なんでそんなどもってるんですか」
枝島と名乗った女子は、目はあらぬ方向に焦点を合わせ、体はがちがちに固まっており、出来の悪い人形のようになっている。目が相当に悪いのだろう、眼鏡のレンズは随分と厚い。髪は真っ黒で長めに伸びており、スカートも同じく長い。今時珍しいスカート丈だ。部長と言うことは上級生か? 確か文化系の部活の引退は、吹奏楽以外は特に決められていなかったはずだし。
「ご、ごごごめんなさいっ! あ、あの、にゅ、入部希望ですか!?」
「えー、そうです。よろしくお願いしまーす」
右手にもっていた入部届けを差し出すと、コマ送りの映像のようなぎこちなさで枝島先輩はそれを受取った。
「わ、わわわわあ! ほ、本当に入部するんですか?! サバゲー部とかと間違えてませんか?!」
「すいませーん間違える要素が見あたらないんですけど」」
「い、いいいえっ、た、ただですねっ、男子が入部してくれるなんて思っても無くてですねっ、あのっ!」
「あー、俺そういうの気にしないんで。男子とか女子とかそういう壁はぶち破って毎日乳繰り合うのが理想なんで」
しかし思春期まっただ中とはいえ、実に男っ気のない部室だ。中を覗いてみても、不安そうにこっちを覗いている女子生徒が数名と、本に集中しているのか無視しようとしているのか、こっちを少しも見ようとしない女子生徒もいる。
「ていうか、人少なくないすか?」
部員総数は15名、と資料には載っていた。しかし部屋の中にはそんなにいるとは思えない。
「す、すすすみませんっ。実は、幽霊部員も多くて……。部活に籍を置いてるだけの人が多いんです……」
「幽霊ねえ。まー俺も幽霊の専門家みたいなところあるから、気にすんな」
「は、はい、すいませんです……」
「別に謝らなくてもいいんすけど。つーか、そろそろ中にいれてもらってもいいですか?」
「あ、ははははい! ど、どうぞ」
部屋の中にはいると、流石に女子だけの部屋なだけあって、汗臭い運動部の牢獄のような部室とは違う、まるでカフェのような匂いだ。俺は適当に空いている席に座らせてもらった。
「しっかし、なんだこの本の量。本棚で部屋が二回りくらい圧迫されてんじゃあねーか。古書店みてーだな」
俺が何の気なしにそう言うと、隣にいた女子が爛々と目を輝かせて俺を見た。
「そうなんですよ! この部室では図書館とかにも無いような貴重な本も多くあってもう本当に天国みたいな場所なんですよ!!」
「……それはまた、すごい」
興奮して鼻息を荒くする彼女の迫力に俺はたじろいだ。彼女も自分の行為を恥じたのだろう、あ、と声を漏らして縮こまった。
「す、すいません変なこと言って」
「別にいーって、気にすんな」
「あ、あの、私、二年の赤石燕っていいます。えっと…」
「芦谷、芦谷春海」
「……芦谷君は、本、好き?」
「暇の多い人間なんで、図書館に籠って本を読んだりとかはよくしてたな」
最近は狐のゲームに付き合っているせいであまり読めてないが、仕事で海外に行くときなんかも、暇つぶしに小説はよく読んでいた。
「じゃ、じゃあこの部屋にある私のおすすめ本とか読んでみたり……!」
「おすすめ?」
「うんっ。最近は時代小説も増えてきて私は戦国武将が大好きだからよく読んでるんだけどこの間読んだ本は戦いとかはないのにすごく面白くてそれで――
「燕ちゃん、抑えて抑えて。芦谷君困ってるよ」
再び熱の入り始めた赤石を、三つ編みの先輩らしき人が止めた。赤石はまた小さく「あ」、と言って縮こまった。
「あの、ごめんね芦谷君。うちの部の子は、あんまり男の子にたいする免疫が無くて」
三つ編みの先輩は赤石の頭をぽんぽんと叩いて笑った。つーか免疫が無いって、今時ありえるのかそれは。明治時代かここは。
「あ、私は富樫虎子。三年生で副部長なの」
「ああ、副部長さんね。どーもよろしく」
「ちょ、ちょっと虎子、私が部長なのにそんな部長らしいことしないでよっ」
「桃は男子と話すと足が震えるとか言ってたでしょ。そんなひとに任せられないっての」
「せ、先輩だって恋愛小説の情報だけで男とはー、なんて語ってたくせに……」
「燕ちゃん、なにか言った?」
「ぷぷーっ。虎子ってば後輩に論破されてるー」
「あれー? 桃部長、そんな態度だと、予算折衝の時の話し合い、私がでるのやめよっかなー」
「そ、そんなぁ! 私無理だよ男の子たちと予算の話し合いするなんてー!」
「私だって柔道部とかのヤ○ザみたいな人と話すの嫌だってのっ」
「じゃあなおさら私には無理じゃないのー!」
……なんとなく、この部活の人間関係が見えてきた気がする。
それにしても、さっきからずっと窓際で本を読んでいる子。最初はあえて無視してるのかとも思ったが、さっきからページをめくる手以外微動だにしない。すごい集中力だな。
「あ、あの子は碓氷雪って言って、私たちの中でも一番おとなしい子なの」
部長と副部長の言いあいから抜け出した赤石が、小声で教えてくれた。おとなしいどころじゃない、置き物のような子だ。見た目はかなりの小柄で、凛よりも一回り小さい。青みがかった髪の毛は短めで、本を読むとき邪魔にならないようにするためか、前髪に氷の結晶形の髪留めをつけている。白い肌は電球の光すら浴びたことが無いような澄んだ色だ。
俺は、彼女に似た人物を見たことがある。顔が、ではない纏う雰囲気がよく似た人物を。
「少し、気になるな……」
「え?」
「ああ、いや、なんでもない」
どうやら、思ったよりも早く尻尾を見つけることができそうだ。




