水竜
私は極限まで声を潜めて、アムニに自分の推測を伝えた。返事はない。けれど、彼女がすでに臨戦態勢に入っているのがわかった。
私は少しずつアムニの歩調に慣れていった。それでも、前方から漂う悍ましい気配を感じ取ると、思わず身が引き締まる。そうして一歩、また一歩と進み続け、しばらく歩いたところで、目の前に突然、細い裂け目が現れた。どうやら、人が一人やっと通れるほどの幅しかない。この中に、いったい何があるというのか? 私はつい考え込んでしまう。
「入れ。倒せ」
目の前の光景は、私の予想をはるかに超えていた。それが胸を衝くほど壮絶だったからでも、死骸で埋め尽くされていたからでもない。
むしろ逆だ。とても静かで、そこには地下湖が広がっていた。やはり内部への浸水が原因だったのか? しかし、先ほど手にした鱗のことを思い出すと、この湖は決して単純なものではない。私は歩み寄り、目にした──この青く澄み渡る湖の奥に潜む「怪物」を。アムニがその斧を取り出す。水中に潜んでいた巨体が、ついにその姿を現した。
私はとっさに背後を振り返った。しかし、ついさっきまで私たちが通ってきた入り口は、見知らぬ障壁によって塞がれていた。
「陥没原因、確認……水竜、覚醒」
エセリア大陸通史に記された竜族は、八百年も前に姿を消している。私はかつて、竜族の一部は深い眠りについているか、あるいは人跡未踏の地に潜んでいるのではないかと推測していた。目の前のこの水竜は、人間からすれば巨大だが、通常の巨竜の中では比較的小柄な部類に入る。まだ成体ではないのかもしれない。それに、長きにわたる沉睡のせいで体力も十分ではないはずだ。つまり、実力は弱まっている。好機だ──この機会を利用して、借金を返済できるかもしれない。
私は杖を構える。杖先の水晶球が、前方の巨体を映し出す。幽藍の鱗が洞窟の水光を受けて冷たく煌めき、縦長の瞳孔が私たちをがっちりと捉えていた。
「アムニ、行くよ」
彼女は答えない。いつも通りだ。
灰白色の短髪は湿った空気の中で微動だにせず、漆黒の瞳には一片の波紋も浮かばない。アムニはただ黙って、その背丈とほとんど変わらぬ巨大な斧を握りしめた。
この十数日、私は彼女の顔に三つ目の表情が浮かぶのを見たことがない。一つ目は無表情。二つ目も無表情だった。彼女がこれまでに発した言葉の総数は、おそらく私が一食のあいだに話す量にも満たない。
「グオオオオ──」
水竜が動いた。十メートルに及ぶ巨体が砕石を踏み砕きながら、信じがたい速度で迫る。考える間もなく、私は杖を前に突き出し、火炎球を咆哮と共に放つ。
アムニはもう突っ込んでいた。
巨斧が銀色の弧を描き、水竜の前脚に叩きつけられる。鱗が炸裂し、竜の血が飛び散った。彼女はその反動で身を翻し、二撃目を横腹へと薙ぎ払う。三撃目──三撃目が振り下ろされるより早く、水面を破って現れた竜の尾が、彼女の防御ごと刃を打ち据えた。
アムニは数歩弾き飛ばされ、濡れた岩の上にブーツの底が二筋の白い痕を刻む。息を整える間もなく、躊躇する素振りもなく、彼女は再び飛び込んでいった。
戦闘は一刻に及んだ。その間、アムニは正面から攻め立て、私は背後からこっそり魔法で水竜を狙い続けた。私の魔力は底をつきかけ、水竜の体表にも無数の裂傷が刻まれている。アムニの戦い方はとても単純だ──命を惜しまない。一振りごとが最後のつもりで、一撃ごとに余力を残さない。
好機が訪れた。
水竜が首をもたげ、力を溜める。喉の奥が氷青色に輝き始めた。ブレスだ。けれど、力を溜めるその瞬間こそ、喉元が最大の隙となる。
「アムニ、今だ!」
彼女は期待を裏切らなかった。巨斧が空を裂き、刃先が竜の喉元を貫かんと迫る。この一撃の力、角度、タイミング、すべてが完璧だった。
そして──
「ガキッ」
寒気がするほど清らかな破砕音。
巨斧の刃が真ん中から折れ、半ばから先の刃が回転しながら闇へと消えた。アムニの瞳が、初めて変化した──かすかに見開かれる。
それは疲労蓄積による金属疲労だった。私たちは誰一人として気づかなかった。この戦いの中で幾度となく振るわれた全力の斬撃が、このごく普通の斧の内部に、無数の微細な亀裂を刻み込んでいたのだ。
ブレスの輝きが、すでに目を刺すほどに達している。
水竜が前足を振るった。
アムニは避けきれない。巨大な竜の爪が彼女を捉え、その身体は糸の切れた人形のように吹き飛んだ。二十メートル先の岩壁に激突し、砕けた石がぱらぱらと落ちる。
「アムニ──!」
彼女は応えない。身動き一つすらしなかった。
私は狂ったように杖を掲げ、残る魔力のすべてを杖先に注ぎ込んだ。火球、風刃、氷槍、思い浮かぶ限りのすべてを叩きつけた。水竜にももはや避ける力は残っておらず、それらの攻撃はその鱗に次々と突き刺さる。けれど水竜はひるまない。私たち二人とも、すでに満身創痍の強弩の末だった。
魔力が完全に枯渇した。
私はその場に膝をつく。頭の中はぐちゃぐちゃだ。後悔、後悔、アムニはまだ生きているのか? なぜ、ちゃんとした冒険者ギルドに任せなかったのか。アムニがどれだけ力があろうと、ただの人間に過ぎないのに。私が彼女を殺した。許されない。
水竜の縦長の瞳が私に向けられた。鋭い牙の並ぶ口元が、嘲うように見える──魔力の尽きた魔法使いなど、屠られる子羊にも劣る、と。
水竜が飛びかかってきた。
すべてがやけにゆっくりと見える。竜の口内の歯の一本一本の輪郭がはっきりと見え、迫り来る生臭い風の匂いまで感じ取れた。私は目を閉じる。
それから、声を聞いた。
とても小さく、淡く、独り言のように、それでいて何かを確かめるような声だった。
「……お前、は」
アムニの声だ。私は勢いよく目を見開いた。
彼女が、私の前に立っている。
口元にはまだ血が滲み、左腕は不自然に垂れ下がっている──折れているか、少なくとも脱臼している。彼女はそこに立ち、紅く染まった瞳は変わらず静かだった。波紋一つ立たない、血の池のように穏やかな瞳で。
水竜の巨大な口が、目前に迫っている。
アムニは右手を差し出した。
ただの右手だ。五指をわずかに開き、武器もなく、派手な技もない。その華奢で白い手は、巨きな竜の頭を前にして、滑稽ですらあった。
彼女は、竜の上顎を掴んだ。
水竜の動きが止まる。その瞳が、驚愕から怒り、そして恐怖へと変わる。こんな高貴な生物も、恐怖の表情を浮かべることがあるのか。
それからアムニの、もう一方の手が竜の下顎に食い込んだ。
右腕の筋肉が隆起する。肉眼で見てわかるほど無数の血の線が皮膚の下に浮かび上がっていく。毛細血管が広範囲に破裂している証拠だ。けれど、彼女の紅い瞳にはいかなる感情の波も浮かばない。まるで、引き裂かれていくのが自分の身体ではないかのように。
「……させない」
彼女の声は、かろうじて聞こえるかどうかの小ささだった。それでも、どんな竜の咆哮よりもはっきりと、響いた。
「こいつに、触るな」
彼女は、左右に引き裂いた。
竜の頭部が、真ん中から裂けた。
それは骨の隙間に沿ってでもなく、筋肉の繊維に沿ってでもない。ただ、無理やりに引き千切ったのだ。まるで一枚の紙を裂くかのように、たやすく。竜の骨が砕ける音がいつまでも続き、噴き出した竜の血が、彼女の全身に降り注いだ。
水竜が短い断末魔を上げ、そして完全に倒れ伏した。
洞窟に静寂が戻る。ただ血が地面に滴り落ちる音だけが響く、一滴、一滴。
アムニが振り返って私を見た。
その目はやはり穏やかで、たった今しがた、ほんの些細なことを終えただけのようにも見えた。彼女の腕には裂けた血の痕がいくつも走り、真紅の血が指先から絶え間なく滴り、足元に小さな血溜まりを作っている。
彼女はただ手を差し伸べた。その、血まみれになった両手を。地面に座り込んでしまった私を、引き起こそうと。
私は口を開きかけた。訊きたいことも、言いたいことも、あまりに多すぎた。でも最後に、私の口から出たのは、ありきたりな言葉だけだった。
「……ありがとう」
アムニは伏し目がちに、何も答えない。けれど、かすかに、ほんの少しだけ、頷いたように見えた。
それから彼女の身体がぐらりと揺れ、まっすぐに倒れ込んだ。
「アムニ!」
私は飛び込んで彼女を受け止めた。彼女はもう目を閉じている。呼吸は浅く、とても規則的だ。ただ眠っているだけだ、というより、気を失っているだけだ。私は上着を脱いで彼女の腕に巻きつけ、残りわずかな魔力で、最も基礎的な止血魔法だけを発動させた。
坑道の奥では、今もなお水音が響いている。
私は腕の中の、全身血まみれの少女を抱きしめて、巨大な竜の亡骸の横に座り込んだまま、ふと思う。なんだか途方もなく馬鹿げている、と。
「バカ……それから、ありがとう」




