賢者
「何も言ってないよ……」「ほんとに?」
「あっ! ていうか、まさか、皇女様まで教えてたんですか!?」フェリシアは目を細めた。私が話題をそらそうとしているのは明らかに見抜かれたけど、彼女の機嫌はよほど良かったらしく、それ以上は追及してこなかった。
「教えてたわよ。あの子は君より六年も早く入門したんだから」「ちょ、ちょっと待って。私の知るかぎり、今の陛下にはお子様がお二人しかいないはずです。まさか先生が教えた皇女って、あの、次期剣聖を招聘なさったっていう……?」
「うん、その子だよ」フェリシアはこともなげに頷いた。「先代の剣聖が直々に剣術を指導してね。でも魔法のほうは私の管轄だったの。あの子は才能も悪くなかったけど、ちょっと真面目すぎてね。それにいくぶん短気だったし、君ほど面白くなかったわ」
彼女は雲をつくような口調で言った。剣聖。皇女。この二つの肩書き、どちらか一つを取り出しただけでも、どんな冒険者の膝も震え上がらせるに十分だ。それを彼女は、こんなにも淡々と口にした。
「あなたは……」私は暮れなずむ中でも変わらず澄んでいる彼女の青い瞳をじっと見つめて、ずっと訊きたかった言葉をついに口に出した。「あなたは、いったい何者なんですか」
フェリシアは即座には答えなかった。彼女はほんの少し首をかしげ、尖った耳が夕陽にぷるりと震える。まるで言葉を選んでいるかのようだった。しばらくして、彼女は視線を戻し、私をまっすぐに見つめて、その永遠に見抜けない弧を口元に浮かべた。
「私はね」彼女は、今日の天気を伝えるかのごとき気軽な口調で言った。「この王国の賢者だよ」
「……賢者?」この数日、まるで子供みたいに石や魔柱で私を痛めつけ、失敗すれば嘲笑までしていた人が、この国の賢者? 一人は神様、一人は賢者。まさかこの世界、愉快犯こそが強者の代名詞なの!?
「ちょっと~おーい!! また心の中で何を考えてるの?」
「……嘘ですよね」
「君に嘘をつく必要、ある?」彼女は小首を傾げ、手を差し出し、掌中を上に向けた。一団の魔力光が現れ、相変わらず安定して流れ輝いている。しかし、今度ばかりは、それが放つ気配がずっしりと身体にのしかかる。まるで、スターライト湖一帯の空気すべてが、一瞬のうちに凝固してしまったかのようだ。私は魔法を見たことはある。けれど、こんなものを感じたことはなかった。ただ見つめているだけで膝が笑い、本能が「まったく太刀打ちできない」と告げるような魔力。光が霧散し、彼女は再び手を背中の後ろに組み、小首を傾げて私を見た。その尖った耳が、夕闇の中で淡い桃色に透き通っている。
「でも、どれだけ証明されても、まったく想像つかないんですけど……」「はあ? 私、君の中でいったいどういう印象なわけ?」
私は口を開きかけて、脳裏に矢継ぎ早に駆け巡る言葉の数々──石仙人、石ババア、不真面目、嘘泣き、ぴょんぴょん跳ねて逃走、石で人を殴る……どれもこれも実在の出来事で、どれも口に出す勇気はない。
「ええと……つまり……すごく、すごい……」
「すごく?」
「……エルフ、です」
彼女の青い目が細められた。終わった。またご不満だ。私は必死に、もっと体面のよさそうな形容詞を脳内でかき集める。額にじわりと汗が滲んだ。
その時、背後から聞き覚えのある声が響いた。
「練習、終わったか」
アムニがいつのまにか湖畔の小径に立っていた。片手には普通の斧を無造作に提げている。低ランク冒険者としては、当然ながら慎重に行動すべきだ。ありふれた依頼を受ける時、アムニはジンスから貰ったあの武器を使ってはいけないことになっている。もう片方の手には、私の冒険者証があった。彼女の身体には依頼帰りの旅塵がまだ付着していて、表情は相変わらず淡々としている。その視線が、フェリシアと私の間を一往復した。
私は救いの神にでも出会ったかのように、ほとんど駆け出して彼女のそばに飛んでいった。「終わった! 今日の練習は終わったよ! 行こう行こう、町に戻ろう!」「ちょっと待ちなさい、まだ返事をもらって――」「明日ね先生! 明日必ず、ちゃんと答えますから!」
私はアムニの袖を引っ張って、振り返りもせずに大股で歩き出した。耳の中には、背後から追いかけてくる、一片の容赦もない笑い声がいつまでも満ちている。アムニは私に引っ張られながら、しばらく沈黙した後、穏やかに口を開いた。
「何があった」
「ないよ。絶対にない。早く行くの」
アムニは袖を私に引っ張られたまま、ずいぶん遠くまで引きずられていった。スターライト湖が背後の林の果てにすっかり追いやられてから、私はようやく歩調を緩めた。振り返ると、夕陽はもう尾根線の下まで沈み込み、あの湖は夕闇に紺碧に染め上げられていて、柳の下の人影は小さな点になり、はっきりとは見えないのに、まだそこに立っているような気がしてならなかった。
「……なんでそんなに急いで逃げるんだ」アムニは私に引っ張られながら、めずらしく呆れを滲ませた口調で言った。
「だって、もう少しで死亡フラグの質問に答えさせられるところだったんだもん」私は胸を撫で下ろしながら、ようやく歩幅を正常に戻した。彼女は追及せず、ただ静かに私の隣を歩き、冒険者証を指先でくるりと回してから、私の手の中に押し戻した。
背後、スターライト湖畔。
フェリシアは変わらずあの柳の木の下に立ち、動かなかった。彼女の視線は、しだいに暗くなっていく湖水を越え、遠くの小径を並んで歩くあの二つの影に落ちている。一人がもう一人の袖を引っ張り、その足取りはひどく速い。二つの影は、夕闇の中でぴょんぴょんと跳ねていた。
「……まったく、元気なことだね」
彼女はそう呟いた。その口調には笑みが含まれているのに、普段よりもずっと淡く、何かにそっと語尾を引っ張られたかのようだった。夕風が吹き抜け、柳の枝がそよぎ、彼女の金色の髪が数筋、ふわりと散らされる。彼女は手でそれを整えようともせず、ただ目をほんの少し細めて、その影がますます遠くへ、最後には林に呑み込まれて、もう何も見えなくなるのを、じっと見つめていた。彼女は睫毛を伏せ、唇がかすかに動いた。声は出なかった。口に出せなかったその言葉は、舌尖でくるりと一回転し、ついにはそっと、柳の木だけが聞き取れるかすかな吐息へと変わった。




