0309
「せっかくだから聞いてみるか。電話は出られるかな?」
「この間暇してるって言ってたから大丈夫じゃない?ちょっと待って」
瞳は携帯を操ると知与の携帯に電話をかけ始める。メッセージなどができればよいのだが、彼女は目が見えないためにそういった文字のやり取りができないのが欠点だ。
もっとも、彼女の索敵はかなり精度がいいため、平面に描かれた文字や絵なども認識できるようだが、そもそも彼女は文字が読めないし病院内でむやみやたらに能力を使わせるのは忍びない。
何回かコール音が響いた後、電話の向こう側に誰かが出た音がする。
『はいもしもし小島です』
「知与?あたし、瞳だけど。今大丈夫?」
『あ、瞳さん。はい、大丈夫ですよ。どうしました?』
どうやら何か検診などはしていなかったようで、知与は安心したような声を出す。
「検診の方はどう?問題ない?」
『はい、普段やってるのとはちょっと違いますけど、特に何もないです。この病院の人も組織の人が多いので、比較的助かってます』
「無理しないようにね。退院は明日だっけ?」
『そうです。怪我も問題なく治ってますし』
もともとこの間の怪我を治すというよりは、彼女の検診が主な理由の入院だったために彼女は快適な入院生活を送っていたことだろう。
確認をしていたのは彼女の脳のことだ。これはドクの提言だったのだが、この提言が彼女がこの組織に入ることとなる決定的な一言でもあった。
曰く『通常、五感のどこかに異常または欠落のある人物は、脳が別の部分を大きく発達させる傾向にある。それがほかの五感であるケースが多いが、彼女の場合はそれらしい兆候が見られない。代わりに能力を司る部分が発達している可能性がある。このようなケースは非常に珍しいため、彼女の健康のためにもしっかりと検査をしておいたほうがいいだろう』ということだった。
もちろん筋は通っているし、能力に関する専門組織に所属すればそういったサポートは受けやすい。
彼女の両親が首を縦に振ったのには、知与自身の健康を守るためという意味も大きく含まれていた。
そして、その後の生活のことに関しても、もちろん組織は大きくサポートをすることにしていた。
まず、彼女の家族の住む場所の手配。これは比較的簡単に行うことができた。組織そのものが運営しているマンションを提供しただけだ。
第二に、知与自身がこれから住む場所について。
彼女の能力のこともあり、このまま一般人としての生活を送らせるのはまず不可能だ。だが彼女自身の体質のことを鑑みれば、能力を使った生活が送れることが好ましい。
そうなってくると、彼女は能力者が多く在籍する場所にいることが絶対条件だった。だが目の見えない彼女がいきなり周介たちの通う学校の中等部に馴染むことは難しいという判断を下してもいる。
そこで、ドクや組織陣が提案したのが、一年間、正確には中学三年の最後のこの時間全てを能力の訓練と勉強に費やし、高等部から粋雲高校を受験するというものだった。
索敵能力者の中で、目を閉じる程度の一瞬で周囲の状況を把握可能な能力者は多い。そのような訓練をしたからこそそれほどの知覚を得られるのだが、もちろん知与も同様のことができるようになる可能性は高い。
何より、彼女は目が見えなかった期間、点字を用いて文字を読んでいた。だが索敵による知覚が得られた今、普通の文字も覚えなければいけないのだ。
そういった時間をかけるため、彼女は一年を通して勉強と訓練をする必要がある。もちろん周介たちとともに行動することもあって、多くの時間を訓練に費やすのは言うまでもないだろう。
そこで組織が提供した彼女の住まいは、組織の拠点の中だった。
拠点の中には、いくつか宿泊施設のようなものも作られている。もっとも、周介が来るまでは本当にただ寝るだけしかできないような空間だったが、周介が所属し、発電が可能になってからは比較的快適な空間に変わりつつある。
ドクを始めとする、製作班の人間が何度か泊まり込んでいるのを周介は見たことがあった。その拠点内にある宿泊施設の一角、もちろん女性専用の空間を知与のために提供することにしたのである。
学校などの手配は既に終え、あとは知与がこの拠点に来れば新しい生活が始まることになる。
本人も不安が大きいだろうが、その分両親などと会うことができる時間は多く確保できるように、ラビット隊との同伴であれば両親にはいつでも会いに行ってもよいと許可まで取り付けていた。
随分と知与に甘いと思われるかもしれないが、万年人手不足の索敵能力者であり、なおかつ目が見えないということもあれば裁定が甘くなるのも仕方がないと、多くの者が理解も示していた。
同情でもあり、これから一緒に活動をするという意味では知与に対して不安を抱いている者もいる。
大丈夫なのかというのが、最も多い意見だろう。それに関しては周介たちも同意見だった。
あとはどれだけ自分たちがフォローできるかというところにかかっている。そのあたりを周介たちは強く意識していた。
まずは敬語をとるところから始めなければならないと、三人は小さくうなずく。
「それでね、ちょっと突然で悪いんだけど、この間ヘリに乗ったじゃん?それで賭けに負けちゃってさ……なんか手ごろでほしいものって言うか、あったらいいなってものはある?」
『え?えっと、どういうこと?』
「俺が能力でヘリを動かして、無事に目的地につけるかどうかって賭けてたんだよ。それで無事についただろ?だから何か賭けの報酬が欲しいわけだ」
瞳との会話に割り込むように通話をスピーカーモードに切り替えると、周介は知与に状況を簡単に説明する。
賭けに勝ったといっても、もし負けていたらそもそも命が危うかったのだ。そういう意味では賭けなどあってないようなものだが、それでもしっかりと無事に送り届けることができたのだからこの程度は良いだろうと周介は考えていた。
『でも、賭けってどれくらい賭けたの?』
「どれくらい?あぁ、大体五千円未満。俺が負けたらスイーツバイキングおごりだった」
スイーツバイキングがどの程度の値段をするのか周介は詳しく知らない。先ほど三千円程度といっていたのだ。五千円未満に見積もっておけば問題はないだろう。
『五千円より安いもの……服とか?』
「そのあたりはもう提案した。特にほしいものもないって突っぱねられたから」
『えぇ……それじゃどうすれば?』
「なのでそれらの値段に該当する何かがいいんじゃないかと思ったわけだ。知与なんか心当たりないか?」
唐突な相談に知与は困ってしまったのか、電話の向こう側で唸りながらどうしたものかと悩んでいる。
唐突な質問ではあるものの、こういったところから親睦を深めていくのも悪くはない。
こういう質問であれば相手の本質を知ることもできる。彼女が普段どのようなことを考え、何を思い、何を求めているのかがわかるだろう。
『あ、それなら毎日お茶を淹れるとかはどうかな?私もお母さんによく淹れてもらってたから、一回じゃなくて毎日だったら、少しかければ五千円くらいにはなるんじゃないかな?』
「ほう、お茶か。なかなか優雅な響きじゃないか」
「俺らからは絶対に生まれない発想っすね……さすがお嬢」
『や、やめてよ』
知与は純粋に恥ずかしいのか、電話の向こう側で笑ったような声を出す。とはいえお茶などを淹れるというのは良い意見だった。玄徳も口にしていたが、間違いなく周介たちからは出てこない発想である。
『周介さんと瞳さんは同じ寮に住んでるんだよね?それならできるんじゃないかな?』
「そりゃ住んではいるけど……男女は完全に分けられてるし……」
「いいね、個人的には悪くはないぞ?食堂なりなんなりでもいいけど、お茶くみ係として活躍してもらうのも悪くはない」
「あんたね……」
「ずっととは言わないって。そうだな……今度のテストが終わるまでってどうだ?それにお茶くみじゃなくてもいいよ。なんかこう、ほら、他にも何かを用意してくれるとかさ」
『そうそう、お茶じゃなくても、ちょっと体をマッサージしてくれるとか、部屋の掃除をしてくれるとか、そういうことでいいと思うな』
それらの行動を彼女が浮かんだのは、彼女がそれらを今まで誰かから、具体的に言えば彼女の両親などからよくされてきたからなのだろう。
それらは彼女にとってはありがたく、嬉しい事だったのだろう。それがどれくらい大変なことであるのか、寮で生活を始めた周介はほんのわずかではあるが理解できる。
誰か一人の世話をするのは大変だ。それが自分以外の誰かであったのならばなおのこと。
少しだけ彼女の一端を感じ取れた瞳は、何かを思いついたのか部屋の一角にあるぬいぐるみを一つ手に取ると机の上に置いた。
「じゃあ周介にはこれを貸すから。このぬいぐるみをあたしだと思いなさい」
そう言って渡してきたのは全長二十センチ程度のクマのぬいぐるみだ。座った状態でその程度の大きさなので、立ち上がれば三十センチくらいはあるだろうか。
「ぬいぐるみって……なに?これを抱いて寝ろと?」
「バカ言わないで。あたしが毎日これであんたを世話してあげようってこと。部屋に置いておいて、適当に掃除とか、お茶はさすがに難しいけど、朝起こすくらいのことはしてあげる」
「男子の部屋にクマのぬいぐるみか……」
周介は別にぬいぐるみが嫌いというわけではない。妹がいるため、こういったぬいぐるみなどはむしろ見慣れているくらいだ。
だがだからと言ってクマのぬいぐるみを自分の部屋に飾りたいなどとは思ったことはない。
とはいえ瞳の能力を使えば人形を操って遠くからでも周介の世話をすることができることは間違いないだろう。
「なんか思ってたのと違う……ウェイトレスの格好していろいろとやってもらおうと思ってたのに」
「は?そんなことするわけないじゃん。夢見すぎ」
「まぁそうですよね。ですよね」
『あはは……二人はいつもそんな感じなの?』
「まぁそうだな。お嬢はあんまり気にしなくてもいいぞ」
周介と瞳のやり取りを普段から見ている玄徳からすれば珍しいやり取りではないが、知与からすれば少し新鮮なのだろう。
通話でのやり取りだが、四人はしばらく雑談を楽しんでいた。




