5. 魔法を使ってみた
ウルエさんの提案で、お二人に見守られながら、魔法を使ってみることになった。
貸してもらった杖を降ると、パキッ、と不格好で嫌な音が室内に響いた。
「うわっ……! ご、ごめんなさい!」
私は咄嗟に頭を抱えて小さくなった。
杖の先についた親指の先くらいのサイズの薄青い魔原石が、内側から激しくひび割れて白い煙をモクモクと噴き上げている。
私がやろうとしたのは、ほんの少しの練習らしかった。拾ってきた石に魔力を通して、表面を人肌くらいに温めるだけの、ごくごく簡単な作業。
それなのに失敗してしまった。
穴があったら入りたい……
「これはこれで綺麗な魔源石になったね。怪我はないかい、ネロルちゃん?」
口元を袖で押さえながら、ウルエさんがのんびりした声で歩み寄ってきてくれた。
カバンから取り出した羊皮紙をパタパタと仰ぎ、煙を窓の外へと追い払ってくれる。
「すみません、ウルエさん……。お手本通りに魔力を流したつもりだったのですが……」
「ううん、ネロルちゃんが謝る必要はないよ。これはね、君の魔力が大きすぎることもあるけど……主に波長の問題だね」
部屋の隅、乱雑に本が積み上げられたデスクから、静かな紙めくりの音と一緒に冷ややかな声が聞こえた。
「……当然の結果だ。今のはウルエが悪い。魔法省が以前、魔女用に大量生産していた標準的な魔源石だから。彼女の魔力は非常に密度が高く、それでいて絹糸のように細やかだ。あんな安物の粗悪品では、彼女の繊細な魔力の波長を増幅する前に、キャパシティを超えて焼き切れてしまう」
長椅子に座り、難しい魔法陣の描かれた古書を読んでいたツールさんが、眼鏡を指先で押し上げながらこちらを見た。
……あれ?
煙の向こうで、何かが動いた。
「……?」
目を凝らすと、白い煙の中から、小さな小さな人影がふわりと浮かび上がってきた。
透き通るような羽をぱたぱたと動かし、私の顔の前で首を傾げている。
「……妖精?」
思わず呟いた瞬間、その小さな人影は、ぷいっとそっぽを向いた。
「あれ、今まで見たこと無かった?」
「妖精って、魔法を使うと出てくるんですか?」
「そうだねぇ。正確には、魔法に反応して姿を現すんだよ」
ウルエさんは、まだ煙の残る石を指先でつついた。
「妖精たちは魔力の流れに敏感だからね。魔法が使われると、その気配を辿ってやってくる。魔法使いにはその姿が見えるけれど、そうでない人には、ただの風や光にしか感じられないこともある」
「じゃあ……私、今まで見たことがなかったのですが」
「ネロルちゃんは、今までほとんど魔法を使ってこなかったんだろう?」
私はこくりと頷いた。
「魔力の巡りが滞っていたんだと思うよ。魔力を持っていることと、それを巡らせて使えることは、少し違うからね」
ウルエさんは、私の顔を覗き込んだ。
「でも、さっきはちゃんと魔法を使おうとした。だから、妖精の姿を捉えられたんだろうね」
「……そうだったんですね」
私はもう一度、煙の向こうを見た。
小さな妖精は、壊れた石の破片を一生懸命に集めている。
「……あの子は、何をしているんですか?」
「ああ。……壊れた魔原石を直そうとしてくれているんじゃないかな?」
「妖精の力では一瞬しか治らないが……」
2人は微笑みながら私の方を見ている。
なるほど、私には今まで見えてない世界が、この人達にはあったのか。
今までに出会ったことがないタイプの2人だし、私以外の魔法使いにも会ったことない。
例えば、ツールさんは私のことを決して名前で呼ばない。最初は警戒されているのかなと思っていたけれど、その言葉の裏に嫌な冷たさがないことだけは、なんとなく分かってきた。
「なるほどねぇ。……よし!」
ウルエさんはぽんと手を叩くと、無邪気な少年のような笑みを浮かべた。
「杖を買いに行こう! ネロルちゃん専用の、世界に一つだけのやつをね」
「えっ……杖をですか?私お金もってないんです。しかも、杖がなくても今まで使えてました。」
「小さい魔法ならできただろうな、君はコントロールが上手いから。ただ、自分に合った魔源石を使うと魔力の消費が少なくて済む。……お金ならこれから私たちの手伝いをしてくれればそれでいい」
「そうそう。道具に頼らないのが魔女の基本とはいえ、自分の魔力を安全に導く導管があった方が身のためだからね。街に出て、腕のいい職人さんに選んでもらおう」
ウルエさんは目を輝かせて楽しそうにいいながら、ゆっくり街をまわれるように、出発は明日の朝にすることを提案していた。
ーーー
翌朝。
私は身なりを整えたあと、お下がりだというバッグをウルエさんから貰い、特に入れるものはないが一応肩にかけた。
「じゃあ、さっそく出発しようか――と言いたいところだけど」
ウルエさんが図書室の扉に視線を向けると、ちょうどタイミングよく、ガチャリと扉が開いた。
「……ウルエ。朝から騒々しいぞ。何を企んでいる」
そこに立っていたのは、シルクのパジャマの上に羽織をひっかけ、眠たげに目をこすっているツールさんだった。
普段の隙のない凛とした姿からは想像もつかない、どこか無防備でだらけた姿。
寝癖のついた髪を鬱陶しそうに払いながら、私とウルエさんを交互に見やっている。
昨日は本を読みながらそのまま寝たのだろうか?
「あ、ツール。ちょうどよかった! 今からネロルちゃんの杖と魔源石を選びに行くんだけど、君も行くでしょ?」
「……はぁ?」
ツールさんは心底嫌そうな顔をして、眉間にしわを寄せた。
「君がいるなら大丈夫だろう?私は君のせいで昨夜遅くまで提出書類をまとめていた。あの後、イトの面倒も見ていたし、今日は終日この屋敷で休息を取る予定だったんだ」
「えー、ダメだよ。ツールの目利きがないと、あの頑固親父に怪しい素材掴まされるかもしれないし! ほら、行くよ!」
「断る。私は行かない。……というか、準備もできていないのに」
イトって誰だろう?
仕事が大変だったなら私たち二人で行っても良さそうだけどな。
ウルエさん強そうだし、頭いいし。
ツールさんが背を向けて自分の部屋に戻ろうとした、そのときだった。
「もー! わがまま言わないの!」
ウルエさんが懐からすっと一本の細身の杖を取り出し、ツールさんに向けて軽やかに一振りした。
――シュンッ!
空気がぐにゃりと歪むような、奇妙な感覚が部屋を駆け抜ける。
ツールさんが、着替え終わっている。
さっきまでパジャマ姿だったはずの彼が、一瞬で完璧に仕立てられた上質な外出着に身を包み、靴紐までしっかりと結ばれた状態でそこに立っていたのだ。
「……ッ……う、ぐ……!」
ツールさんはその場にひざをつき、激しく息を乱した。額にはうっすらと汗が浮かび、顔色が真っ白になっている。
まるで、全力でどこまでも走り続けてきた直後のような、恐ろしいほどの疲労感がツールさんを襲っているのが分かった。
「……ッ、ウルエ……! お前、また……!」
「ごめんごめん! でも一番手っ取り早いでしょ?」
ウルエさんは悪びれる様子もなくヘラヘラと笑いながら、呆気にとられている私の方を振り返った。
「びっくりしたかい、ネロルちゃん? これはね、対象の着替えという行動の時間を一瞬に凝縮して、強制的に完了させる魔法なんだ。ただし、魔法をかけられた本人は本来着替えにかかるはずの体力の消費と数分間の筋肉の動きを、わずか一秒の間に全身で引き受けることになるから、すごーく疲れるんだよね」
「そ、それは、大丈夫ですか……?」
悪そうな顔をしながらウルエさんが説明してくれるが……二人の仲だからこそできることだと信じたい。
私は一応、ツールさんの方へ駆け寄り、背中に手を添えようとした。でもツールさんは荒い息を整えながら、手でそれを制した。
「……無駄な心配をかけさせるな、ウルエ。まったく、君のそういう大雑把なところが、周囲の人間をどれほど削っているか……」
「はいはい、ごめんって。ツールが疲れたなら、街で美味しいハーブティーでも奢るからさ。ほら、ネロルちゃんも準備して!」
「……この街は、ただでさえ魔法使いへの風当たりが強い。君はウルエのようにならないでくれ」
ツールさんは、ため息をつくような呆れた声で呟いていた。ただ、私には本当はそう思っていないような、軽い冗談に聞こえる。
5年前のある出来事から、私たちは魔法使いは肩身が狭い。国から活動を公認されて、華やかな職業として認められている『魔女』たちとは違うんだ。
もしウルエさんのように、無許可な魔法を使ったとバレれば、どんな重い罰を受けるか分かったものではない……ということをツールさんは言いたいのだろう。
「本当はツールも行きたかったんだよ!」
ツカツカと外に出ようとする背中を見ながら、そんなこと気にしないとでも言いたそうに、こっそりと私の耳元でウルエさんが呟いた。
ツールさんは私たちの数歩先で「行かないのか?」と、眼鏡の位置を直しながら、こちらを振り向いていた。




