3. 魔法使いの昔話
ウルエさんは満足そうに微笑むと、抱えていたカバンから一冊の古びた革表紙の本を取り出し、膝の上でパラパラとページをめくり始めた。
「百年くらい昔。魔法使いがまだ、ギリギリ表で活動できていた頃のお話。……そこに、一人の魔法使いの少年がいた」
本をペラペラとめくる指先が、あるページで止まる。
「その少年は、道端で泣いている男の子を見つけたんだ。その子は服のあちこちに煤がついていて、手のひらには切ったような新しい傷があった。そして足元には、骨組みの折れた竹の破片。……少年は一目で悟ったように『あの大風の日に、自慢の自家製凧を木に引っかけ、無理に引っ張って落として壊してしまったんだな』って話しかけたんだ」
まるで、その場を自分の目で見てきたかのような鮮明な語り口。
「少年は、泣いている子に『楽しい魔法』をかけてあげることにした。退屈なことが苦手だったみたいでね。杖も魔法陣も使わずに、折れた竹の破片を集めて手に乗せ、フッと息を吹きかけた」
ウルエさんは本の上で語った内容と同じようなポーズをして、そっと息を吹きかけるジェスチャーをしてみせた。
「すると、折れた竹がまるで生き物みたいにカチカチと組み合わさって、あっという間に『小さな鳥籠』に形を変えた。そして、その傷ついた手のひらの上の煤を集めて、籠の中に放り込むと……その黒い煤が、黄金色に光る一羽の『小鳥』になったんだ。小鳥はパタパタと羽ばたいて、綺麗な小鳥のさえずりで歌を歌い始めた」
ウルエさんが新しくページをめくると同時に、黄金の小鳥が羽ばたいた。
「……わぁ」
思わず、小さな吐息が漏れた。家にある本の中で、魔法について書かれたものは一冊だけだったが、こんな仕掛けは無かったはずだ。
骨組みの折れたゴミ同然の竹と、手に付いた汚い煤。悲しい思い出の欠片たちを、そのまま、歌う黄金の鳥に変えてしまう魔法。
「男の子は大喜びして、涙を拭いて笑った。……でもね」
ウルエさんは、窓の外の暗闇を見つめた。その横顔は、どこか遠い過去を懐かしむようでもあり、少しだけ切なそうでもあった。
「それを見た大人たちは、いい顔をしなかったんだ。『道具も使わずに物を変形させ、煤から生き物を生み出すなんて呪いだ! 悪魔だ!』ってね。……男の子を笑顔にしたくて使った魔法が、大人たちにとっては正体のわからない恐怖だったんだよ」
がたごと、と列車が揺れる。私は自分の指先をそっと握りしめた。
妹が見せてくれた笑顔と、大人たちの怯えた顔。ウルエさんの語る昔話は、まるで私の胸の中の葛藤そのもののように、静かに、強く響いていた。
「……ただ、少年はそこで諦めなかった」
ウルエさんは本の上で指を軽く滑らせ、どこか遠くを見つめた。
「周りの大人たちが嫌な顔をしていることには、当然気づいていた。だけど、その少年は男の子をもっと楽しませたかったんだろうね。……いや、なにより彼自身が、心の底から退屈していたんだと思う」
窓の外の闇を見つめながら、ウルエさんの声が少しだけ低くなる。
「だから次にその男の子と会った時、少年はもっと大掛かりで、とびきり楽しい魔法をかけた。……街中の人々が、一斉に踊り出す魔法だ。老若男女問わず、店主も、兵士も、泣いていた子どもも、みんなが音楽に合わせて楽しそうにステップを踏み始めたらしい」
「街中のみんなが……?」
想像もつかない規模の魔法に、私は思わず息をのんだ。
「そう。だけどね、魔法を使うには圧倒的な想像力が必要なんだ。誰が、どんな体格で、どんな服装で、どんな風に手足を動かして踊るのか……その場の何十、何百という人間の動きを、頭の中で全て完璧にシミュレーションして構築した上でおねがいしてかけた魔法だったんだろうね。たった一人の男の子を笑わせるためだけに、そこまでやるなんて本当に凄まじい執念だよ」
ウルエさんはふっと自虐的な笑みを漏らし、肩をすくめて見せた。
「他人の事を覚えるのが苦手な僕には到底できない神業だね」
どこかで生きていた本物の天才。
会ったこともないその少年の圧倒的な魔法の規模に、私は自分の小さな指先を見つめながら、これから始まる世界の広さに少しだけ足がすくむ思いがした。
――いやだな、やっぱりもう帰りたい。




