13. 呪われた家(6)
シニクさんからお礼だと言われて、アップルパイをいただいたり、お子さんと遊んだりして、日が暮れかけた時に別れを告げた。
ドアを開けると、冷たい冬の風が再び頬を刺す。
寒いな、早く戻りたい。
歩くたびに、ポケットから、コツン、コツンと妙に硬くて長いものが当たって音を立てていることに気づく。
「……あれ?」
「ん?」
足を止め、私のポケットを触ると、思わず小さく悲鳴を上げた。
そこに入っていたのは、イトが引き出しから見つけ出し、私が魔力を込めた――シニクさんのおじいさんの、あの杖だった。
「や、やばい……! イトが『とりあえず持ってろ』って言ってたから、そのまま間違って持って出てきちゃった……!」
「え、ボクのせい?返しに行かないと!」
振り出しに戻るなぁ。
早く暖かいお屋敷に戻りたかったのに……
先端の、微かに青磁色の光を残す灰色の魔源石に触れた、その瞬間だった。
「――っ!?」
「どうしたんだよネロル、急に立ち止まって……」
怪訝そうに振り返るイトの声が、遠くに聞こえる。
シニクさんの家の隣の家、そのさらに奥の家――雪が薄く積もるご近所の家々の屋根や窓辺に、きらきらと光る小さな粒が舞っていた。
それは、さっきシニクさんの子供部屋で見た、女の子の姿をした妖精と、まったく同じ姿をした子たちだった。
各家に、2〜3体ずつ、頼りなげに羽を羽ばたかせながら飛んでいるのが見える。
「イト……! イト、これ、この杖を持って……!」
私は慌てて、おじいさんの杖をイトの手へ握らせた。
あ、見えないんだった……
「シニクさんの家にいたのと同じ妖精の子がいる。えっと、イトには見えないだろうけど……」
脳裏に、あの朝ツールさんが取ってつけたように言っていた言葉が鮮明に蘇る。
『最近一部で流行っているそうだ、咳や頭痛などの風邪症状が……』
もしかして……!!
繋がった。頭の中で、パズルのピースが一気に組み上がっていく。
シニクさんのおじいさんは、自分の家だけじゃなく、近くの家にも、この街の一画全体を守るための魔法を重ねてかけてくれていたんだ。
それが、おじいさんが亡くなって3年が経ち、いよいよ限界を迎えてあちこちの家で解けかけていた。
魔法が解けたことで、古い建材の裏に隠されていた有毒な物質やカビが、湿気と共に各家からじわじわと排出し始めていたんだ。だから、街の一部で風邪に似た体調不良が流行りはじめていた――。
「ってことは、おじいさんが近くの家にも―」
新しい正解にたどり着いた、その真相を大声で口に出そうとした、その時だった。
ふいに、背後から伸びてきた大きな、厚みのある手に、私の口ががっしりと塞がれた。
「――んんっ!?」
びっくりして声を上げようとしたが、身体がすっぽりと大きな影に包まれている。
心臓が跳ね上がる。
必死で口を抑えられた手を剥がそうとすると、イトの横にいるのはツールさんだ。私の口を塞いでいるのは――
「こーら。あんまり大きな声で、そんなこと喋っちゃだめだよー?」
ウルエさんだった。
いつものように、ふわりとした、どこかニヒルで悪戯っぽい笑顔。けれどその奥にある双眸は、すべてを見通しているかのように静かに光っている。
「ウルエさん……、中央へ行ったんじゃ?」
ツールさんは、少し呆れた表情でイトと話している。
ウルエさんも私を優しく解放すると、その長い指先で、私が抱えていたおじいさんの杖の先を、ぽんと叩いた。
「うん! 用事は全部終わらせてきたよ」
ぴったり二日後の夕方。予想よりもはるかに素早いお帰りだった。
ウルエさんの手がついたままの肩に心地よい重みを感じながら、私はふと、シニクさんの家の方向を見た。
先ほどまで、近所の家々に点在していたあの小さな妖精たちが、いつの間にか現れた、綺麗な藍色の妖精と、手をつないでお話ししているように見える。
シニクさんの家の前でも、おじいさんが残した最後の1体の妖精を助けるように、藍色の妖精が寄り添っていた。
「……あのおじいさん、一人で街の一角を背負っていたんだねぇ」
イトは、走ってシニクさんの家に杖を返しに行った。
それを見ながらウルエさんが、少し切なそうに目を細めて呟いていた。
この人はこの件について、どこで何を気づいて、どこまで知っていたんだろう。
不思議な人だな。
ツールさんは、走って向かってくるイトのことを少し口角を上げて笑うと、「寒くなる前に帰るぞ」と一言残し、一人でお屋敷に向かって先を歩き出した。
* * *
夕闇が街を包み、月が昇る頃。
私たちはみんなで、大きな屋敷へと帰ってきた。
「ふう、お腹が空いたねえ! 今日はツールが腕を振るってくれるってさ」
冷え切ったリビングに、ウルエさんののんきな声が響く。昼間のあの鋭い大人の表情はどこへやら、今はいつもの、ちょっと頼りない師匠に戻っていた。
「ネロル、イト。何か街で面白いことでもあったのか?」
キッチンから、エプロン姿のツールさんが、何も知らないようなすました顔で、けれどどこか楽しそうに聞いてくる。
「別に、何にもないですよ。……ちょっと、嵐みたいな子に振り回されたくらいです」
私がパチパチと暖炉の火を見つめながら言うと、隣に座っていたイトが、私の背中をバシッと叩いた。
「なんだよそれ! ボクのおかげで呪いの正体が分かったんだから、感謝してほしいね!」
「痛いなぁ、もう……」
顔を見合わせて、私たちはどちらからともなく、ふふっ、と小さく笑ってしまった。
「おや、二人が仲良くなって良かった。これなら留守番も安心だね」
ウルエさんが嬉しそうにパチパチと手を叩く。
やがて、テーブルの上には、ツールさんが作った湯気の立ち上る温かいスープや、焼きたての香ばしいお肉料理がズラリと並べられた。
4人で囲む食卓は、まるであのおじいさんの保存魔法のように、じんわりと、優しく私たちを芯から温めてくれていた。




