98 長い月日の果てに
エルオリーセが姿を消してから、5年もの月日が流れた。
三吾は変わらず、彼女に会う事だけを思い続け、捜索と研究で日々を送っている。
そんなある日、その日の講義が終わった三吾は、学内をぶらぶらと歩いていた。
現在進めている研究が、その材料が届くまで小休止の状態になっていたからだ。
(失敗したなぁ・・・少なくなっていたのに気づかなかった)
エルオリーセがいた頃は、こんなことは起こらなかった。いつだって彼女は、彼の研究を気にかけ、素材の補充を怠らなかった。そして急に必要になった素材があれば、速やかに用意してくれていたのだ。
(今更ながら、リーセのありがたみを痛感するな)
三吾は寂しげな視線を遠くに投げる。いつの間にか、学院の外れに来てしまっていた。
「オキシロ教授~~、こんなところにいらしたんですね」
駆け寄ってきたのは、ローレだった。手に布で包んだ容器を持っている。
「お探ししてしまいました。昨晩『風呂吹き大根』を作ってみたので持ってきたのですが、お会いできなかったら持って帰るところでした」
ローレは包みを開いて、中身を見せる。
「いかがでしょうか?美味しくできたと思うのですが」
近頃、週に一度はこうして手料理を持ってくるローレだ。それ以上のことはしないが、親しさは増していると感じているのだろう。
「・・・風呂吹き大根」
呟いた三吾の目に、大きな樫の木が映った。
(あの時も・・・)
エルオリーセはあの大木に登っていた。その下にアルバがいて、近づいて行ったら彼女が降ってきた。
視界一杯に広がった白。
それが彼女の生足だと知った時、何故か好物の『風呂吹き大根』が食べたくなった。
そして彼女が妻になってから、ベッドの中でその太腿にキスをした時のこと。
『・・・風呂吹き大根の味見?』
と頬を染めながらも、お道化たような口調で言った彼女。そんな愛する妻に、返した言葉は。
『ああ、かぶりついてもイイかな?』
そんな風に、じゃれ合うように愛し合った思い出。
三吾の表情に、無意識に優しい笑みが浮かんだ。
そんな彼の表情を見たローレは、嬉しそうに微笑む。
「お気に召していただけました?お口に合えばよろしいのですが」
「あ・・・ああ・・・・ありがとうございます」
三吾は我に返って、まだ言っていなかったお礼の言葉を口にする。
そんな彼の様子に、ローレは意を決したように口を開いた。
「あの、少しお時間をいただけますか?大丈夫でしたら・・・」
「講義は終わったので、今日はもう帰ろうと思っていましたから、大丈夫ですが」
三吾は驚いたように答えた。こんな風に言われたことは、初めてだった。何だろう?とローレを見つめるが、彼女は少しだけ躊躇した後に、漸くきっぱりと告げた。
「差し出がましいうえに、厚かましいお願いなのですが、私にオキシロ教授のお世話をさせていただけませんか」
彼がまだ、亡き妻を愛し続けていることは知っている。
そしてその死を受け入れられず、いまだに彼女を探し続けていることも。
けれどもう、あれから5年も経っているのだ。
「教授が奥様を思い続けておられるのは承知しております。だから、結婚して欲しいとか、そういう事ではありません。ただ・・・私はずっと・・・教授が学院に赴任してこられた時から、憧れていたんです。ですから、家政婦でも構いませんので、お傍に置いていただけませんか?」
ローレにとっては、一世一代の勇気を振り絞った発言だったのだろう。
拳を握り締め頬を染めた彼女は、年甲斐もない振る舞いに対する羞恥心に耐え、必死に顔を上げていた。
憧れ続けていた相手に、ただ見るだけ話すだけで良いと思い定めていた相手に、想いを告げる機会は今しかないと決意していた。
三吾は、ローレの気持ちに気付いていた。好意を持ってもらえていることは、ずっと以前から気づいていたのだ。けれど、敢えて知らないふりをしていた。
想い続けても報われない時間のつらさ。
エルオリーセがいなくなってから、ずっとそんな時間を過ごしていた三吾は、今ローレの気持ちを推し量ることが出来る。
三吾の両手が、少しだけ前に出された。
けれど・・・
その手は空を握り、やがてゆっくりと降ろされる。
「バークレーさん・・・」
今までと同じように呼ばれた声を聴いた時、ローレは解ってしまった。
「お申し出はとてもありがたく思います。でも、僕はまだ妻がいつか帰ってくると信じているんです。彼女が帰ってきた時に、僕は胸を張って迎えたい。そして、ずっと1人で待っていたと言いたい。・・・だから、たとえ家政婦だとしても傍に誰も置きたくないんです」
未練がましい男だと思われてもいい。情けない男だと思われた方がいい。
過去を振り切って前に進めない男だと、憧れるような価値もない男だと思ってくれればいい。
ローレは、きっぱりと言い切ってくれた彼の優しさに気付いていた。
「やはり、そうですよね。すみません、失礼なことを申しました。どうか、忘れてください。ただ・・・お許しいただけるなら、友人として・・・これからも料理を受け取って貰えると嬉しいのですが・・・」
ローレは気丈に、いつもの態度と口調に戻って話した。
「誰かのために料理を作るのって、楽しいんです。自分のためだけに作るのより、ずっと」
(・・・確かに・・・自分もそうだった)
エルオリーセと一緒にキッチンに立つ時。
ベッドから動けない彼女のために、食べて貰おうと思って料理するとき。
たとえそれが病人食であっても、彼女のためにする調理は楽しかった。
エルオリーセがいなくなってから、朝食さえも用意せずキッチンに立たなくなっていたことに、三吾は今更ながら気づいた。
自分のためだけに料理するのは、どこか虚しくて、彼女がいないことを思い知るだけだったからなのだ。
「それは、嬉しいですが・・・バークレーさんは、他にお料理を食べてくれるような方はいないのですか?」
「ええ、昔は弟が来てくれたりしたんですけどね。5年くらい前だったかしら、仕事が決まったからってレーエフから出て行ってしまって、それ以来、音信不通なんです。姉想いの優しい弟でしたわ」
2人は、ゆっくりと歩き出した。
それは以前と同じような、年の近い友人同士の雰囲気をまとった和やかな姿だった。
その日の晩も、三吾は『笑うブチハイエナ亭』来ていた。
ルビーが作った夕食を食べながら、いつものように幼馴染と話す。
今晩は、夕方にあったローレのことを話した。近頃、妻を亡くしたやもめ男に、秋波を投げて寄越す女性がたまに出てくる。何か不都合なことが起こってからでは堪らないので、三吾はあったことを逐一ゲンに報告していた。
彼が今でもずっと身辺を清いままにしているのは、いつかはきっとエルオリーセに会えると信じているからだ。それを理解している幼馴染は、揶揄しながらも面白く話を聞いている。
「あら、またぁ。三吾も大変ねぇ」
厨房がひと段落したルビーまでもが、三吾をからかってくる。
「押しかけ家政婦?健気だと思うけど、三吾に家政婦は不要よね。だって、アタシがいるじゃないの」
夕食は手料理で、週に一度は旦那と一緒に三吾の家を訪れている。店を休みにするその日は、掃除や溜まった洗濯などをしながら、彼に寂しい思いをさせまいとしてくれているのだ。
「だよなぁ、俺だって自分ちのことは後回しで、お前の家の修理とかしてるしな」
「そうよねぇ、うちの棚はいつ修理してくれるやら」
そんな幼馴染夫婦の会話を聞きながら、三吾はエルオリーセに思いを馳せる。
(リーセ、僕には支えてくれる人たちがいるよ。君はどうかな?アルバが傍にいると思うけど、それ以外に君を支えてくれる人はいないんだろうな)
居たら居たで焼きもちを焼きそうだが、多分そんなことは無いだろう。
きっと彼女たちは、人との関わりを避けて生きているのだろうから。
(だから、君を支えるために、僕は探すんだ・・・絶対に見つけるから・・・)
ただ1人の、心から愛するメタモルファルを。




