96 強くなるために
翌朝、目覚めたエルオリーセは、ルビーに頼んで三吾を呼んでもらった。
「リーセ・・・・」
寝室に入った三吾は、それだけを声にしてエルオリーセを抱きしめる。
「ごめんなさい・・・ありがとう」
心配させてごめんなさい。そして助けてくれてありがとう。
「うん・・・うん・・・」
それだけしか言葉にできない。
そんな彼らに、これなら大丈夫だろうとルビーが声を掛けた。
「それじゃ、アタシは一度家に帰るわ。何かあったら、アルバに来させてね」
そして『笑うブチハイエナ亭』に帰り、店のドアを開けた時、ルビーが見たのはテーブルに突っ伏して寝ている常連客たちの姿だった。
「リーセ・・・僕は君のために何が出来るだろう」
彼女を抱きしめたまま、独り言のように三吾が呟いた。
昨晩、思いつく限りの罵倒と怨嗟の言葉を投げ、枕に悔しさの涙を吸わせた。
何時間もかけて怒りと悲しみを吐き出し、その後はずっとどうすればいいかを考えていた。けれど、朝になっても結論は出なかったのだ。
「・・・今は、こうしていて」
抱きしめて、もうしばらくこのままで。
心から安心できる暖かい場所。
限りなく愛してくれる彼の腕の中で、落ち着いた鼓動を聞いているだけで良い。
「強く・・・なりたいわ」
やがてエルオリーセは、彼の腕の中で小さく呟いた。
「ん?・・・それは、格闘技でも習いたいってこと?」
三吾は彼女の顔を覗き込む。
「それもあるけど・・・確かに自分の身は自分で守れるようにはなりたいけど・・・」
人型のメタモルファルは、アルバのような犬型に比べると弱い存在だと思う。
身を守るような牙も爪もない人間を初期形態とする自分は、今の段階ではメタモルファルの中でも弱い個体に位置付けられるだろう。
それなのに何故、自分の先代は次の世代の初期形態に人間を選んだのか。
けれどそれを今、考えても答えは出ない。
「人間の女性として、強く生きていきたい・・・っていうか・・・」
身体能力よりも、精神力。
身体よりも心。
これから先、長い時を生き続けるメタモルファルにとって、きっとそれは大事なことなのだろうと感じた。長い時間の中では、これからもいろいろなことが起きるだろうから。
今は、傍に三吾がいる。
何かあっても癒してもらえる場所がある。
けれど、その時間は有限だ。
それならば、その限られた時間の中で、沢山の経験をして強くなっておきたい。
「頑張るから・・・傍にいて、三吾」
「それは、僕も同じだよ。愛してる、リーセ」
限りある時間を切実に感じるのは、三吾も同じだ。自分にとっては長い、何十年という時間。
彼女を置いて先に逝く、と言う未来。
その時を迎えるまで、強くなって置かなければならいのは、人である三吾も同じなのだ。
優しく深い口づけを交わしながら、2人は静かに目を閉じた。
それから5年の月日が流れた。
小さな事件はあったが、概ね平穏な年月は長いようでもあり短いようでもあった。
その中で一番大きな出来事は、テルルが亡くなったことだろう。
衛兵犬テルルは、ゲンの相棒となっていた雌のシェパードで、アルバが覚醒するための相手でもあった。勇猛果敢で主に忠実、賢くて美しい犬だった。
アルバ以外の雄犬には目もくれず、一途に操を立てていた。アルバがメタモルファルであるため、異種間交配で子犬を産むことは出来なかったが、テルル自身はそれを知ることも無かった。
衛兵犬を引退した後、テルルは『笑うブチハイエナ亭』の2階で暮らした。
そこを訪れる度に、アルバは階段を上がって行ってテルルの傍に寄り添った。
仕事を離れただの飼い犬のようになったテルルは、急速に衰えていった。もともと大型犬の寿命は短い。人と仕事を共にする使役犬の場合は、さらに短くなる傾向がある。
やがてテルルは足腰も弱り、散歩にさえ出られなくなった。
そんな老犬に寄り添いながら、アルバは何を感じていたのだろう。
いよいよ最後の時を迎える晩、アルバはテルルの傍を離れなかった。
エルオリーセも、当然のように付き添った、
ゲンも仕事を早く切り上げ、店は臨時休業となる。
親しい人々と、唯一心を許した雄犬に見守られて、テルルは眠るように息を引き取った。
「コイツは、本当に幸せに逝っちまったな。衛兵犬になる苦労を乗り越えて、沢山の事件を解決に導いて、疲れも見せずに頑張ってくれたよ。もっと長く、余生を楽しませてやりたかったな・・・」
それでも、その最後は穏やかで幸せそうだった。それだけが、慰めになる。
冷たくなった愛犬の身体を撫でながら、ゲンはそう言って、何年も傍にいてくれた相棒に、衛兵隊長としての敬礼を送った。
それから数日後、テルルの埋葬を終えて店に帰ってきたゲンたちは、開店前のテーブルに付いて軽く一杯ひっかける。
「悲しんでばかりもいられんからな。テルルの後釜を鍛えなきゃならないんだが・・・こいつがまた、難物でな」
ゲンはわざとらしくため息をついて、肩をすくめて見せた。
「まぁ、素質はありそうなんで気長にやるさ。それにしても・・・」
まじまじとアルバを見つめて、羨ましそうに続ける。
「アルバは、まだまだ若いな。黒い部分に多少白毛は出てきてるが、動きも目の輝きも若いままだ」
エルオリーセの指示で毛色を多少変えてはいるが、きびきびした動きもキラキラした眼も、老犬のそれではない。
(・・・もう、誤魔化すのは難しいな)
今はまだテルルの葬儀が終わったばかりだし、次の採集旅行から帰ったら、アルバがメタモルファルであることを明かそう。
そう決意したエルオリーセに、ゲンが屈託なく言葉を投げる。
「きっと飼い主が若いからかもな。エルオリーセも、変わらずに若く見える。ルビーのヤツも近頃、すごく羨ましがってるんだよな」
「あ・・・あは・・・は・・・」
笑って誤魔化すが、もう自分の方も猶予は無いのだと思い知らされた。
この頃、学内や街の知り合いから、よく言われる。
「全然変わらず、若いままだ」と。
悪意からではなく、羨ましいという感じだが、それを聞くたびにエルオリーセの心はヒヤリとした。
三吾はもう40代に入っている。若々しい見かけの部類には入るが、年齢相応の威厳や落ち着きなどが魅力に加わってきた。
エルオリーセとしては、段々自分が不釣り合いに思えてきてならない。
彼は変わらず、自分を愛してくれている。
夫婦の夜の営みも変わらないが、たまに彼の方が先に寝入ってしまうこともあった。
それが夫の寿命を、縮めてしまうことにはならないだろうか。
傍にいることが、彼の負担になりはしないか。
そんな事ばかり考えていたエルオリーセだったが、ある日学院内で三吾の姿を見てしまう。
それは、学院司書のローレ・バークリーと並んで歩く彼だった。
たまたま歩く方向が一緒だったのだろうが、それはあまりにも自然でつり合いが取れているように見えた。
(・・・お似合いだわ)
年齢的にも丁度良く、落ち着いた雰囲気。
それはどうやっても、自分には出来ない。
(バークリーさんは、独身でお料理も上手なのよね)
以前、三吾が彼女からもらったという『筑前煮』なるものを持ち帰ってことがあった。奥様とご一緒にどうぞ、と言われたと言って美味しそうに食べる彼を覚えている。
このままでは、自分とアルバの正体が周囲にばれてしまう。そうなったら、大事になるのは間違いない。稀有な存在だとして遠巻きにされるくらいならまだ良いが、不気味な生き物だと迫害されるかもしれない。研究対象として、あるいは価値があるとみて、攫われたりしないとも限らない。
そんなメタモルファルを、妻にしている三吾にも、多大な迷惑を掛けることになるのだ。
エルオリーセは、俯いて立ち竦んだまま、その場を動けなかった。




