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メタモルファルは寄り添う  作者: 甲斐 雫
第6章 メタモルファルは愛とともに
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90 ユニバース学院の司書

 その日、三吾はいつも通り定時で仕事を終えると研究室を後にした。

 薬学棟のドアから外に出たところで、穏やかな声が掛かる。

「オキシロ教授、お帰りですか?奥様は?」

「ああ、彼女は急な採集依頼が入ってね」


 その日の昼食後、化学系のとある研究室から急な採集依頼が来た。明日予定していた実験実習に使う素材が助手のミスで使えなくなってしまったそうだ。素材自体はレーエフの近くで採集できるものなので、急いで調達出来ないかと言うものだった。

「ミスした助手さんも責任があるから一緒に来てくれるそうだし、日没までに門に入れると思うけど、もし何かあってダメだったら、朝一番で家に帰るから。あ、助手さんは女性だから、それも併せて心配しないでね」

 エルオリーセはそう言って、アルバを連れて出て行った。

 そんな訳で、今日は1人で学院を出る三吾なのだ。


「まぁ、大変ですこと。そういう時、お夕飯はどうなさるの?」

 三吾に付き合うように歩き始めたのは、ユニバース学院図書館勤務の女性だった。

「行きつけの店で食べてますよ。今晩は彼女とも、そこで待ち合わせの予定です。バークリーさんは、どうされるんですか?」

 当たり障りのない世間話程度なら、もう既に余裕の三吾だ。

「私はいつも通り、市場に寄って買い物をしてから家に帰って作って食べますわ」


 眼鏡を掛けた女性、ローレ・バークリーは司書をしている。

 地味で目立たないが、ユニバース学院で長年勤務する彼女は、かなり優秀なのだろう。

 穏やかで落ち着いた雰囲気のローレは、図書館利用者にも評判が良く、三吾も資料を借りたりする時に他愛ない話をしていた。

 アスタの事件後、足が遠のいていた図書館にまた通い始めた時も、温かい労いの言葉を掛けてくれたのだ。


 やがて学院の正門前まで来ると、2人はそこで別れる。

 ローレは市場に向かって歩きながら、今晩の献立を考えていた。

(久しぶりに煮物にしようかしら。お買い得な野菜があるといいけど・・・)

 どことなくウキウキとしたような足取りの彼女に、後ろから声が掛かった。

「お~~い、姉さ~~ん」

 駆け寄ってきたのは、崩れた感じの若い男だった。



 一方エルオリーセの方は、思っていたよりずっと短時間で採集依頼の素材を集め終わっていた。彼女の素材に関する知識と、一緒に来ていた化学教室の助手の手伝いがあったからだ。

「本当にありがとうございました。助かりました。後は私が持って行きますから、エルオリーセさんはここで上がってはどうですか?お仕事が残っていないなら、このまま帰宅されてはいかがでしょう。事務の方には、私が伝えておきますので」

 小柄で栗鼠のような印象の助手は、気を遣ってくれているのだろう。自分のミスのせいで、緊急依頼を引き受けてもらったわけなのだから。

 エルオリーセは、学院を出る前に仕事をひと段落させていたことを思い出し、彼女の申し出をありがたく受けることにした。

 やりたい事があったのだ。


 エルオリーセがやりたい事は、「粥を炊く練習」だった。

 三吾のために先ずは病人食が作れるようになりたいと思い、それ以来色々と調べてきた。学院の図書館で資料を探してみたが、料理のレシピ本などは無い。かろうじて見つかったのは、「東方では米を使用した粥を病人食とする」という記述だけだった。

 そこでカウンターに座っている司書の女性に、粥の作り方についての資料は無いかと聞いてみたのだ。

「生憎、ここの図書館にはありませんが・・・お粥を作られるのでしょうか?」

 柔和な笑顔で、司書の女性は尋ねてくる。エルオリーセが頷くと、彼女は紙とペンを出してきてサラサラと書き始めた。

「私も時々、胃の調子が良くない時とかに作るのよ。レシピを書いてあげるわ。でも、時間とかは参考て程度にしてね。その家によって竈の火の具合は違うから。料理は慣れだと思うのよ。だから何回もチャレンジしてみるといいわ」

 エルオリーセは、深々と頭を下げて感謝した。

(この司書の方、きっと料理もお上手なんだろうな)

 眼鏡が似合う優し気な司書の胸には、ローレ・バークリーの名札があった。

 そしてエルオリーセは、レーエフの街を回って何とか米を入手した。後は、練習するだけだ。


 自宅に戻ったエルオリーセは、早速レシピを片手に粥を炊く練習を始める。1人前の粥のレシピは、初心者でも解るように丁寧に書かれていた。

 最初はレシピ通りに、分量や時間をきっちりと計って作ってみる。一応見た目は美味しそうにできたが、味を見てみるとまだ米粒が固くて水気が多いような気がする。

(やっぱり、火加減が違うのね)

 1回目の結果をしっかりとノートにメモし、エルオリーセは2回目にチャレンジした。

(こうしていると、確かに実験みたいだわ)

 何だか面白い、と思いながら作業を続けた。


 2回分のチャレンジの結果は、エルオリーセとアルバの胃の中に納まった。まだまだ練習が必要だと思いながら食べ終わったとき、玄関でノックの音がする。出てみると、三吾宛ての一通の手紙が届けられた。

(ちょうどイイわ。これ、持っていこう)

 エルオリーセは後片付けを急いで済ませ、待ち合わせている『笑うブチハイエナ亭』に向かった。


 いつも通りに三吾と夕食をとるエルオリーセだったが、お粥とは言え1人前を食べた直後では夕食が入りにくい。

「リーセ、何だか食欲がないみたいだけど、どこか具合が悪い?」

 心配そうに三吾が窺ってくるが、出来れば粥作りの練習については隠しておきたいエルオリーセだ。

(上手になってから、披露したいのよね)

「あ、自宅に寄ってきたから少し摘まみ食いしちゃっただけ。それより、手紙が来てたから持ってきたんだけど」

 誤魔化すように話題を変え、届いたばかりの封書を差し出す。

「ん?・・・ああ、山の管理人からだ」


 三吾が遺産として譲り受けたテクネ山は、レーエフから北西の方角にある。以前2人で訪れた時は、管理用の建物や庭なども荒れ放題になっていた。そこでその時に、管理をしてくれている役所に修理を依頼していた。


 三吾が封を開けると、2個の鍵と手紙が入っていた。

「修理が終わったそうだ。建物は簡素だが、普通に生活できる程度になっているようだ。鍵は予備を含めて2個だけど、1個はリーセが持っているといい」

 彼が手渡してくれた新しい鍵を、エルオリーセは自分のキーホルダーに付けた。

「いつかまた、行ってみたいな」

 別荘のように使うのも良いだろう、と三吾は楽しそうに微笑んだ。



 その頃、ローレ・バークリーは声を掛けてきた男と自宅で夕食を摂っていた。

「やっぱ、美味いワ。ホント、姉さんは料理上手だよな。ずっと食べたかったんだ、この味」

「うふふ、お世辞でも嬉しいわ。確かに凄く久しぶりなのよね、ジスに会うのも」

 ローレの前に座る弟は、姉と同じ焦げ茶の髪で瞳の色も同じだ。顔だちも似ていて、姉弟だということがよく分かる。けれど弟の頬には、大きな傷跡があった。

「そうだなぁ、なかなかレーエフまでは来れなかったから。ワイアにいたんだけど、結構遠いだろ?」

「そうね、でもそんな遠いここまで、よく来れたわね」

 穏やかに優しく話すローレは、弟を慈しみながらさり気なく言葉を選ぶ。弟の生活が心配ではあるが、詮索するような真似はしたくないのだろう。

「まぁね。仲間たちと来てるのさ。ワイアでの仕事がちょっとやり辛くなったんで、新天地を求めてって感じ。レーエフで様子を見て、ダメそうだったら東の方に行こうかって言ってるところなんだ。しばらくはこっちにいるよ。その間、泊まるトコはあるけど、夕飯だけ食べに来てもイイかな?」


 派手な開襟シャツの上に上着を羽織り、擦れた印象があるジス・バークリーだが、姉の前では素直な弟になっている。

「もちろん、毎晩来て頂戴。料理するのも張り合いがあるわ。誰かと話をしながら夕飯を食べることなんて無いから楽しいし」

「そっか、それじゃありがたく・・・って姉さん、イイ人いないのかよ?一緒にメシ食うような男とか・・・友達とか?」

「いないわよ。友達ならいるけど、夕飯を一緒に食べるほどの仲じゃないしね。私はもう、行き遅れの独身女だわ。35になってるのよ」

 卑下するような様子も無く、あっさりと言うローレは、ただ優しく微笑んでいる。

「レーエフの連中は、ホント、見る目が無ぇよな。姉さんは美人だし、頭も良いし、おまけに家庭的で料理なんて最高なのにサ」

 手放しで褒める弟に、ローレは苦笑いを返すだけだった。


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